大人が手を出すべきではないその時間をどうか大切に生きてほしい

 恩田陸さんの「夜のピクニック」を読んだ。400ページを超える長編で、読む前は長いなぁと思いながら最初のページをめくったらそこからはあっという間に読み終わってしまった。もっと読みたかった。彼らのこれからを自分で想像することも含めて読書の楽しみだと分かっているが、登場するキャラクター全員が愛おしく、なんだか自分も行事に参加していたような、そしてそれが終わってしまったような気持ちになって、この先の彼らを想像することしかできないのが寂しかった。

 私は、中学生の時は毎日「はやく高校生になりたい」と、高校生の時は毎日「はやく大学生になりたい」と切望しながら過ごしていた。中学時代はともかく、高校時代には気のおける友人も何人かいて楽しく過ごしていたが、それでも嫌いな勉強や毎日の縛られた生活に辟易して、さっさと大人になりたいと怠惰の中に漠然と考えていた。
 思い返すともったいない。特にこの夜のピクニックを読んでいる最中、読み終わった後、これを書いている今は、どうしてもっとあの時を大切に生きていなかったのか後悔しか湧かない。私は行事も別に好きではなかった。授業がなくなる程度の認識で、みんなで何か一つに向かって頑張ろうというようなことに対しては冷めた気持ちを抱いていた。しょうもない学生である。
 好きな人がいた。でも気持ちを伝えようという気は毛頭なく、ただお喋りができればそれでいいと考えていた。彼に彼女ができたらしいと聞いたときは胸が傷んだが、淡い期待が無くなるというのは案外ラクなもので、むしろ今までより開放的な気持ちで彼を好きでいることができた。卒業まで一人で抱えた好意は、大学に入学し彼の存在がわたしの中で薄れていくと自然に消えて、今では高校の思い出の一つに過ぎなくなった。
 テニスコートの横にある自動販売機や、教室から見えるグランドで走る陸上部、体育で水泳を選択した友達の濡れた髪や、テストの間で賢い友人が出そうな公式を教えてくれている声。眼鏡の奥の小さな目で優しく笑う好きな人と、センター試験の朝の不安に揺れる親友の目。
 ふだんは全く思い出さないようなささやかだけど確かにその場で見ていた光景や聞いた声が、夜のピクニックを読むと鮮明に思い出される。高校を卒業してたった4年。4年で私はあの時のピュアな煌めきを二度と体現できなくなったと自覚している。これから先、歳を重ねるにつれてどんどん高校時代の思い出は眩しくなっていって、最後には光の中に埋もれて見えなくなってしまうかもしれない。

 もっと多くの人と関わっておくんだった。もっと行事を楽しむんだった。もっと普段の生活を真剣に素直に過ごせばよかった。あぁ、本当にもったいない。青春がこんなに眩しいものだなんて。そしてわたしもその眩しさの当事者であったなんて。
 気づいていたなら、もっと当事者らしく振舞ったのに。

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