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麒麟がくる第36回の感想的なやつ

NHK大河ドラマの「麒麟がくる」も
だいぶ終盤に差し掛かってきた。
全44回なので今回のも含めると
残りは10回を切って遂に一桁台の9回に。
残り一桁になっちゃうと
終わりに近づく寂しさを感じずにはいられない。
特に「麒麟がくる」は
今まで見てきた大河ドラマとは違って
ブログで「麒麟がくる」のシリーズ記事を書いているので
多分見終わった時には物語から得られる感動と同時に
全話通して記事を書けたことの達成感が湧いてきて
今まで大河ドラマを見てきた時とは
全く違う感情が自分の中に生まれそうな気がしている。

この残りの話数的には細かい出来事を
幾つもタラタラと描くことはできないだろう。
明智光秀といえば本命は本能寺の変なので
終盤はやはり
この本能寺の変への足音が
徐々に加速していくような
ストーリー展開になっていくのであろう。

残念ながらきっと武田信玄は次回ナレ死ではないか(笑)

そして一気に三方ヶ原の戦いまで飛んでしまっため
信長さまが窮地に立たされている状況は
いまいちわかりずらい気がする。
あの時点で信長さまが誰とどんな戦いをしていたか
それを知っている人たちはわかってるんだろうけど
その辺の事情をよく知らない人たちには
武田信玄が東から攻めてくることの面倒くささが
伝わっていないのではないか。
武田信玄っていうなんかすっごい見た目強そうな人が
甲斐から攻めてくるんだって~なんとなく危なそう!
ていうふわっとしたイメージになっちゃってない?(笑)
まぁ前述のとおり細かいことをアレやコレやと盛り込んでいたら
話数に収まりきらなくなってしまうだろうし
仕方ない部分ではあるんだろうけど
状況説明だけでもなんかあった方がいい気もするよね。
もしかしたら次回の冒頭で
少しその辺の補足的内容が差し込まれてくるのかもしれないが。

とか思う一方で
信長さまの公方さまに対する信頼感や感情で
その状況をうまく伝えようとしているのかなとも感じる。

何を重視してどこまで史実や事件を取り込みながら
歴史上の人物の物語を作っていくかっていうのは
きっと自分には想像できない難しさや苦労があるのかな
という事をふと思ったりもする。
映像作品でも小説やマンガでもそうなんだろうけど
人に見てもらう物語には
『物語を通して受け取ってほしい』
という作り手のメッセージが必ずあるはずで
そのメッセージがブレないように造り上げるっていうのは
やったことのある人間にしかわからない苦悩が
あったりするんだろうなぁ、なんて思ったり。
「麒麟がくる」は今まで見た大河ドラマとは
違う姿勢で見ているので
単純に史実通りじゃない批判をしなくなったのは
私の成長だと思いたい(笑)

さて、そんな中で
今回の「麒麟がくる」のメインディッシュは
十兵衛と煕子のイチャイチャ坂本城デートではなく(笑)
十兵衛と公方さまの別離であろう。
煕子が今回も可愛かったことは間違いないが(笑)

古き悪しき者たちを一新することで
足利将軍家を中心とした室町幕府を
立て直したい十兵衛。
その点については公方さまも
十兵衛と同じ気持ちに違いない。
ただ、その将軍家を支えるべき中心人物が
信長さまであることを
公方さまは良しとしなかった。
一方で信長推しであった十兵衛も
比叡山焼き討ちを通して信長さまに対して
少し疑念が湧いてきているはず。
信長さま推しであることに変わりはないようだけど
あの二条城を建築していた頃から
少しずつ信長さまと十兵衛の間にも
綻びが見え隠れしていることは否めない。

なので十兵衛が公方さまに
信長さまから離れるよう言われた時
個人的には一瞬迷いが生じるのかな?
なんて思ったりしたんだけど
1ミリもそんなことはなかった(笑)
あんなに大泣きしたのもちょっと意外だった。
ここが個人的にはいまいちスッキリしていないんだけど
見た人の多くは納得してるんだろうか。
ちょっと気になってる。

それにしても足利将軍兄弟は
十兵衛を泣かせてばっかりだよね。
まぁ足利義輝公に泣かされた状況と
今回足利義昭公に泣かされた状況は
まったく違うんだけど(笑)

あと十兵衛意外とミーハーだったりする??w

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