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死にきれなかった話。


はじめまして、佃煮のあまりです🐈‍⬛
初めての記事は、今年の3月に起こしてしまった自殺未遂について記録を残そうと思って書くことに決めました。希死念慮が現れたきっかけについては長くなってしまうのでカットします。

3/16(土)

この日は17時から23時までバイトのシフトが入っていました。しかし20時過ぎについに限界を迎えました。怒りと悲しみと希死念慮で頭がいっばいいっぱいになって心の中は大パニックでした。涙が半分出ててこのまま接客することが難しい状況に。副店長に「ちょっと体調悪くなって、帰ります」と一言だけ残して店長には無断で早足で帰宅してしまいました。帰り道にコンビニで度数7%と5%のお酒を2本買って泣きながら帰りました。

3/17(日)

日付が変わると直ぐに外に行きました。まだ3月で寒くてコートを着てました。歩いて10分くらいの所にある歩道橋に到着。ここで薬を飲んで飛び降りる計画でした。
深夜の1時に頃、大量服薬を始めました。ここでは何を飲んだか何錠飲んだかは伏せます。
沢山薬を飲んだ後ふらふらになった状態から飛び降りたら確実に死ねる、そう確信していたのでまずはひたすらに薬を飲み込み続けました。一定数飲んでると当然ですが気持ち悪くなり吐きたくなりましたが、それを我慢して必死に飲みました。ここから段々と記憶が無くなってました。よし、飛び降りるぞ。と心に決めた辺りでプツンと記憶が切れてました。

3/19(火)

気付いたら大学病院のHCUのベッドの上でした。点滴、酸素マスク、尿カテーテル、心電図。身体のありとあらゆるところに管がついてて動けない……。そこでやっと「死ねなかったんだ」と気付きました。
ふわふわしてると知らない男の先生が様子を見に来てくれました。大学病院の内科の先生でした。そこで私はぼんやりとした意識の中、一体何があったのかを先生から聞きました。
2日間ほど意識がなかった。通行人の方が救急車を呼んでくださり、総合病院で処置を受けた。容態が安定してきたので搬送先の病院からかかりつけの精神科病院に移動したが、1日経過した後にお酒と薬が詰まって誤嚥性肺炎になってしまい高熱が出た。段々と酸素も吸えなくなってきて容態が急変した。だから救急車で身体管理ができる大学病院に搬送された。搬送後はしばらくの間ICUで生死をさまよっていた。あと1時間肺炎に気付くのが遅れてたら命を落としていた……などなど。
え、1時間遅れてたら死んでた……?そのまま肺炎って誰も気付かなかったら死ねたってこと?なんで殺してくれなかったの……。
薬も生死に関わる危ない量を飲んでいたそう。たまたま処方されて飲んでいた薬が副作用の出やすい強い薬がたくさん入っていたらしいです。結局意識朦朧としていて飛び降りはしなかったみたいですが、しっかり靴は脱いでいたらしいので、記憶ないまま飛び降りてたら命は無かったそうです。

助かったとも言えるし死ねなかったとも言える……かなり複雑すぎる気持ちで悶々としていました。同時に散々人に迷惑かけている状況に申し訳ない気持ちでした。
次に大学病院の精神科の先生登場。おじさん先生でした。また似たような事情を聞きました。

まだぼやぼやするけれど、意識が戻ってきたので、酸素マスクは外されて鼻から酸素を吸うチューブになりました。

少ししたら父と母が登場。面会に来たみたいです。特に何も言われることは無かったです……HCUの中だったし怒るにも怒れないですよね。殴られるかと思ってひんやりしました。「コンビニで飲み物か何か買ってくる」と言って、お茶と暇つぶし用の本を買ってきてくれました。コロナの関係もあったので短時間で帰っていきました。

この数日間トイレはどうしてたんだろう……とふと思ってたら、看護師さんが「カテーテル取るね」といい、下から管を引っこ抜いた……びっくりしました。あとで調べたら尿道カテーテルが繋がれていたらしいです。こんな経験人生初です。

その日はぼんやりしててそのくらいしか記憶がないです。

3/20(水)

次の日3/20は春分の日で祝日でした。
看護師さんが「スマホ使えなくて暇だよね。テレビあるから持ってくるね!」と言ってくれて部屋に大きなテレビ登場。ベッドに横になりながらテレビを観てました。

HCUの中は、中央に壁のないナースステーションがあり、ナースステーションの周りを囲うように一つ一つベッドがありました。壁やカーテンで仕切られているわけではなかったです。ベッド周りは心電図モニターが数台、あとはよく分からない医療機器がたくさん。リモコンでリクライニングができるベッドでした。本当にドラマとか映画で見るような治療室のイメージそのまんまでした。

トイレ以外はベッドの上で安静にすごしてました。この日はまだ点滴と心電図付いてたかな。

トイレに行きたい時は、まずナースコールを押して看護師さんを呼び、車椅子に乗せてもらい、ナースステーションの目の前にあるトイレまで連れてってくれました。フラフラするのが危険なので看護師さんに全介助してもらってました。

この日から病院食で常食(普通のご飯)も登場。食欲もだんだん出てきたので食べてみたのですが、あまり美味しくない。いつものかかりつけの精神科病院の方が何十倍も美味しい……。ということでほとんど残してました。飲み物も通常通り摂って大丈夫だったので、家族に買ってきてもらったペットボトルのお茶を飲んでました。

薬もこの日から飲みました。肺炎の抗生物質のお薬と、精神安定剤と、眠剤の3種類が処方されていました。大学病院の方の精神科の先生が処方してくれたみたいです。

HCUの看護師さんはとっても優しかったです。ドラマとかで観るイメージは、救急で緊迫感がある感じで冷静で冷たいイメージがあったのですが、ナースコール押しても何一つ嫌な顔せず優しく対応してくれてとても安心しました。

3/21(木)

次の日3/21。朝ごはんを食べてぼーっとテレビを観ていたら看護師さんが「髪洗おう!身体もタオルで吹いて病衣服も変えちゃおう」となり、ベッドの上でシャンプーが始まりました。なんかヘッドスパみたいな感覚で気持ち良かったです。HCUだから忙しくて大変そうなのに嫌な顔せずニコニコで洗ってくださりました。身体も吹いて着替えてさっぱり。
午後は体重と身長計測がありました。

その日の夕方。明日の午後にHCUを退院して、かかりつけの病院に再入院。まって、再入院したら保護室に連れていかれるのでは……とソワソワしてきました。嫌だ、保護室は嫌だ……段々とソワソワが不安に、不安が恐怖に変わってきて過呼吸を起こしてパニックになってしまいました。あーどうしようどうしようと思い、何故かフラフラとベッドから降りてHCUの出入口に向かってました……。でも看護師さん沢山いるので秒で異変に気付かれました。「ちょっとあまりさんどこ行くのまだ安静にしないと!」「嫌だ嫌だ保護室嫌だ行きたくない(ボロ泣き)」「ここで脱走したらますます保護室になっちゃうよ?いいの?良くないよね、ベッド戻ろうね」となり、暴走終了。ベッドの上でめそめそ泣いてたら「これ落ち着く薬だよ、先生に処方してもらったから飲もうね」と謎の注射器登場。「はい口開けてー」と言われ開けたら、注射器から謎の液体が口の中にプシュッと入りました。なんかこの味知ってる……と思ったら、不穏時にいつも飲んでいるリスペリドン液でした。いつもの個包装袋じゃなかったからびっくりしました。飲んだら落ち着いてきてウトウトしてました。

3/17

この日は午後に家族が迎えに来てHCUを退院して、すぐかかりつけの精神病院に移動でした。もうフラフラは無くなって元気もあって自力で歩けるようになっていました。
退院するまで心電図はずっと付けっぱなしでした。看護師さんにお礼を言って、無事HCUを退院しました。
この後は長くなるので割愛しますが、かかりつけの病院に1週間ほど入院して3/27には退院して自宅に戻りました。保護室ではなく一般の閉鎖病棟でした。もっと長く精神科には入院する予定だったのですが、大学の新学期が4/1から始まるので早く退院しました。

ここまで長文を読んでくださりありがとうございました。

貴重な集中治療室の一枠を奪ってしまったのも事実だし、命を捨てる行動をしているのに、それでも命を救うために尽力してくださったたくさんの医療従事者の方々に迷惑と貴重な時間をかけさせてしまうことになったことを深く反省しています。本当に申し訳ありませんでした。人に迷惑をかけて、人を巻き込んで死ぬことは二度としないようにしようと心に誓いました。

それではまた🐈‍⬛🐾

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