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辛い決断【音声と文章】

山田ゆり
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※今回は長くなりました。
※音声・文章、どちらでも楽しめます。


おはようございます。
山田ゆりです。



今回は
辛い決断
をお伝えいたします。


ケンブリッジ大学バーバラ・サハキアン教授の研究によると
人は一日に3万5千回の「決断」をしているそうだ。




突然、不治の病を宣告され
僅か3か月の闘病の末に
あっという間にこの世を去った弟の最期の時
私はずっとそばにいた。

医師から「今夜がヤマです。会わせたい方に連絡をしてください」と言われた。

1階のロビーの公衆電話に向かった。
私は弟の勤務先で一番かわいがってくださっている
直属の上長さん宅へお電話をした。


電話に奥様が出られた。
ご主人様はあいにく都内へ出張中とのこと。
実は、会社にもお友達にも
弟が命に関わる病気だとは伝えていなかったから
奥様はとても驚かれた。

弟がICTUに入って面会謝絶になる前まで
その方は2日に1回はお見舞いに来て下さっていた。
その方にはお子さまがいらっしゃらなかったから
弟を我が子のようにかわいがってくださっていた。


私は弟が入院して亡くなるまでの3か月間、
ずっと弟のベッドの隣の床で寝泊まりしていたから良く分かっている。

私は弟の最期をその方に見送っていただきたかった。
でも出張中だから仕方がない。

私は奥様にこれまでのことに対して感謝の言葉を述べ電話を切った。



次に、弟のお友達に電話をかけた。
高校の野球部の一年先輩の方だ。

弟が入った学校は、スポーツが盛んな高校で、
弟が高1の夏に甲子園に初出場した。
弟はベンチ入りしなかったが
その先輩は主将として出場された。

弟たちは卒業後、地元の社会人野球のチームに入り県大会はもちろん、
地方大会などにも出ていた。

その方が電話に出られ、やはりひどく驚かれていた。
そして病名を聞かれ私は正直にお答えした。

一年前にとても有名な女優さんが同じ病名で
お亡くなりになっていたから
その方はすぐに分かって下さった。


たくさんの皆さまに連絡をしたかったが
私は弟のそばにいたかった。
結局、その先輩だけに電話をしただけだった。

あんなに友達の多い弟なのに
直接知らせることができたのは一人だった。
弟に申し訳ないと思った。



私は病室に戻った。

病室は廊下から中が見えるカタチになっていた。

私は弟のすぐそばにしゃがんで
弟の手をさすっていた。

心の中で弟の名前を呼んだ。
弟に本当の病名を知らせなかったことを
私は何度も心の中で謝った。



少しすると、弟の勤務先の局長さんがお見えになった。

先ほど電話した直属の上長の奥様から連絡があり
お越しくださったとのこと。

私は弟から離れ、
最期の顔を見て欲しいとその方に場所を譲った。

その方は少ししたらお帰りになるだろうと思っていたがそうではなかった。
弟の身体をさすってずっとその場にいらっしゃった。



少しすると、先ほど電話した野球部の先輩がお見えになった。

私は皆さんのところに行き、
平日の深夜にも関わらずお越しくださったことに感謝申し上げた。

いらっしゃったのはお一人ではなかった。
私が知っているお友達が10数人いらっしゃっていた。


その中には当時、弟とお付き合いをされていた方もいた。

窓越しに弟の姿を見たその方は
声を出さないようにこらえ
泣きながらその場にしゃがみこんでしまい
周りの方々に支えられていた。

彼女には申し訳ないと思った。
入院当初、普通病棟でいつもの軽口を言い合っていた二人の姿が脳裏によみがえった。


深夜にたくさんの人が廊下にいては
他の患者さんが不安になるからというお友達の配慮で

お友達は数人に分かれ
いくらかそこで窓越しに弟を見たら1階のロビーに降り、
入れ替わりに他の数人がまた上に上がって
弟の様子を見るということを繰り返した。

なんという素晴らしい配慮をされるのだと感じた。


深夜にも関わらず、お友達は
弟が息を引き取るまで
1階から病室まで何往復もされていた。



ここ数日、弟の状態が不安定で寝不足だった私は
不謹慎にも、苦しんでいる弟のそばでウトウトしてきた。

それを見た局長さんから
「お姉さんは休んでいてください。」と優しく声をかけられた。
私は弟が苦しんでいるのに眠くなっている自分を恥じた。


「ありがとうございます。これで十分です。どうぞお帰り下さい。」と
何度か局長さんに申し上げたが
局長さんはそれでも帰らず
結局、最期まで弟のそばで体をさすって下さっていた。



私は内心
最期は身内だけで見送りたいと思っていた。
しかしそれは傲慢ともいうべきことだと自戒した。


弟はハアハアと苦しそうに息をしていた。
静かに息を引き取るドラマのワンシーンとは全く違っていた。



ツー!

心電図がゼロになり
医師が両手に機器を持ってきて
弟の身体に電気ショックを2回かけた。

その度に弟の身体は大きく動いたが
心臓は動かなかった。

今思えば、その行為は
人の命を救うというよりも
ひとつの儀式だったのではないかと思う。




28歳の誕生日を病室で迎えた弟は逝ってしまった。



弟の身体が運ばれていった。
そして医師から「献体」をするかどうかを聞かれた。

弟の死を受け止められずにいた私は即答できなかった。

まだ、もしかしたら生き返るかもしれない
そんな状態の弟の身体から臓器を取り出すなんて。


しかし、もしかして、弟の献体によって
今後の医療の発展に少しでも貢献できるのなら、
プラス思考の弟はそれを選ぶかもしれない。


私は迷いに迷って、親戚で一番信頼のおける方に相談し
そして私の意思で献体を選択した。
それはとても辛い決断だった。




献体が終わり戻ってきた弟の顔を見て
私はとてもショックだった。


薬の副作用で膨れ上がっていた弟の顔は
入院前のスッキリした顔になっていたからだった。

あの見慣れた懐かしい弟の顔になっていた。
もしかして、生き返るのではないかと思うほど、
弟の顔は私の知っているいつもの顔だった。

だから、その時、献体をした事に
胸の奥がチクリと痛んだ。


献体をしなかったらもしかして生き返ったのか?
まだ生きていた弟の身体にメスをいれたのか?


そんな事はないと自分に言い聞かせながら
でも、やっぱり自分を責めた。




私は他の病室の患者さんに聞こえないように
首に巻いたタオルを口にあてて
嗚咽した。
涙が止まらなかった。



弟と一緒に自宅に戻る霊柩車の中でも
タオルを口に当てて
声を殺して私は泣いていた。


ずっと泣いている私を見て
何も知らない運転手の葬儀屋さんは
亡くなったのはご主人様だと勘違いされていた。





今回は
辛い決断
をお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。



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