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母と私との距離が縮まる瞬間【音声と文章】

山田ゆり
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※note毎日連続投稿1515日をコミット中!1515日目。
コミット達成しました!noteさんと、いつも「スキ」で応援して下さる皆様のお陰です。ありがとうございます。
引き続き、【毎日連続投稿1616日】をコミットします!

※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも短時間で楽しめます。






おはようございます。
山田ゆりです。





今回は
母と私との距離が縮まる瞬間
をお伝えいたします。


「お母さん!これ見て!」

三女が突然笑い出し、クッキーが入っていた大きな缶を私に差し出した。



何?どれどれ~。


中には母の若かりし頃の写真が入っていた。
恐らく、40~50代の頃である。

「おばあちゃんでも若い時があったんだね。」

三女が手袋の手をおなかにあてて笑いながら言った。


もうすぐ旧宅の解体作業が始まるため、三女と一緒に旧宅の片づけを急ピッチでしていた。


私は片づけの作業の手を止めそのアルバムを見た。



ご近所の奥様方と一緒に旅行した時の写真。
「若い」
それが一番に出てくる感想だ。



いつの時代も私にとって母は「年上の人」で母と私との距離は20数歳離れていた。

それは「母と子」の距離のようなものだ。
この距離は私が大人になっても縮まらなかった。

母が認知症になる前まで母と私はいくつになっても「親」と「子」だった。


しかし、今、目の前の写真の母は、還暦を過ぎた私から見るとかなり若く感じる。


母が75歳の時父が急逝し、その日から認知症の症状が出始めた。
そして、坂を転げ落ちるようにどんどん症状が進行していき、目はどんよりしてボーっとしている日が多くなっていった。
だから私の頭の中にはそういう母のイメージが強く残っている。


しかし、写真の中の母は、肌の張りが違う。
そしてあまり太っていなくて目が生き生きとしている。


その写真を見た時、母と私との距離が一気に縮まった気がした。

距離が縮まりすぎて母の方が逆にわたしより若い(笑)


晩年の母の記憶が強く残っている私にとって、母の若かりし頃の写真は「親」から「関係がかなり深い人」に変化する。






ぼんやりしていたり笑ったりしている85歳の母の写真を見る。
それは私がまだ経験したことのない世界である。



将来、私がその年齢以上になった時に85歳の頃の母の写真を見たら、私はどう感じるだろうか。
楽しみである。




たまには過去の世界でのんびりしたくなる。

老後の楽しみのためにもこれからも写真をとっていこうと思う。








今回は
母と私との距離が縮まる瞬間
をお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。



◆◆ アファメーション ◆◆
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私は愛されています
大きな愛で包まれています

失敗しても
ご迷惑をおかけしても
どんな時でも
愛されています

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