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家が無くなった【音声と文章】

山田ゆり
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※note毎日連続投稿1616日をコミット中!
1531日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも短時間で楽しめます。






おはようございます。
山田ゆりです。





今回は
家が無くなった
をお伝えいたします。



50年以上住み慣れた旧宅の解体は順調に進み、昨日、帰宅したら、家が無くなっていた!


解体当日の朝までギリギリ片付けていたこともあり、感傷に浸ることなく、旧宅の解体は始まり、毎日少しずつ解体が進んでいった。


そして、建具などが取り外され、ガランとした家になり、やがて、壁がはがされ、柱だけになった。


壁ごとショベルカーで壊すのかと思っていたが、環境保護の観点からごみの分別のためなのだと分かる。


柱だけの家のそばにショベルカーが置かれた初日は、少し胸の奥がチクリとした。

「覚悟をしないといけない。」
「明日にでも家は無くなるかもしれない。」


しかし、ショベルカーによる取り壊しは思った以上にゆっくりだった。

だから、帰宅するたびに旧宅を眺めながら
「まだ、ある」とほっとしていた。


ショベルカーの位置は少しずつ前進していった。
「明日帰宅したら旧宅の姿はないかもしれない」
毎日そう思いながら、帰宅してまだその姿があることに安堵していた。



しかし、とうとう、その日が来た。

昨日、仕事を終えて車を運転しながら我が家に曲がった辺りでドキリとした。


それまでは、曲がるとすぐに旧宅の屋根が向こうに見えていたがその日はそれが見えない。

遠くにショベルカーしかなかった。



解体を依頼したのは家主の私である。
私がお願いしたことが順調に進んでいることは喜ばしい事だ。

でも、お隣の家が丸見えで
その風景を想像はしていたがそれが現実になり、やはりショックだった。


私は車から降りて携帯電話のシャッターを何度も切った。

もっと、写真を撮っておけばよかったのかもしれない。
過去の自分を悔やむがそれはもう遅い。

毎日、写真を撮っていたが、「明日もある」と言う思いがあり、真剣に撮っていなかったと反省する。
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仕方ないのだ。住めない家をいつまでも放置しておくわけにはいかない。



旧宅は、私が10歳の時に両親が建てた。
あの頃は、居間の窓から外の蛍が良く見えた。
夏になると庭の木々にたくさんの蛍がいるのは当たり前だった。


やがて、いつの間にか蛍がいなくなった。
豚を飼い始めたからかもしれない。


両親はお金になりそうなことをたくさんしていた。

豚を3頭飼っていて、ある時期になると出荷していた。

ブヒー!ブヒー!

連れていかれる時のあの豚の叫び声。
毎日残飯を上げにいっていた豚が業者によって連れていかれるその瞬間は自分のからだが引き裂かれるような思いだった。


鶏を飼っていた時もあった。
毎朝、卵を産んでくれた。
鳥小屋は臭くて私はあまりいかなかったが卵は食べていた。

考えてみればある意味、残酷な事をしていたのだが、その時はそれほど罪悪感は無かった。


鶏を始末するのは父か母がやっていた。
私はその現場を見たことは無い。
見なくてよかったと思う。




形あるものは必ずなくなるものだ。

豚も鶏も家も、必要がなくなればいつかは無くなる。


いつまでもそばに置いておくわけにはいかない。

仕方ないのだ。
そういうものだ。


仕方ない。

この世を去るまでこれからどのくらい「仕方ない」ことが起きるのだろうか。



昨日まで晴天が続いていたが今朝は
ポツポツと窓を打つ雨である。
人生は晴れの日もあれば雨の日もある。


起きたことを嘆いてばかりではいられない。

「仕方ない」と自分に言い聞かせるしかないことはたくさんある。

それでいいんだ。
必要以上に自分を責めないようにしよう。



全ては自分の責任だと思うがしかし、いつまでも過去を悔やんだり落ち込んでいたりせず、「仕方ない」と割り切って、自分を解放しよう。


自分だって頑張っているのだ。
一生懸命生きている自分を認めよう。



両親、弟、夫と暮らした旧宅にはたくさんの思い出がある。

その思い出は自分の心の中だけになった。
いつまで覚えていられるか分からない。
私が亡くなる時はその思いと一緒に身体が空中に散らばって無くなってしまう。
それはそれでいいと思う。


残された人がそれからどのように感じて何を思い出にするかは人それぞれだ。



モノはいつかは無くなる。
それでいい。





今回は
家が無くなった
をお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。






P.S.
8月11日までに4冊目のkindle出版をすることをコミットします!
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詳しくはこちらのnoteをご覧ください。

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