18年前の母の手の骨折から始まったノート【音声と文章】
山田ゆり
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※途中、プリンターのメンテナンスが始まり、音が入っていますが気にしないでください(≧◇≦)
※文章と音声、どちらでも楽しめます。
おはようございます。
山田ゆりです。
今回は
18年前の母の手の骨折から始まったノート
をお伝えいたします。
○○さん メロン2つ、ジュース、ポカ
〇〇さん 見舞金〇〇〇円
そのノートはずっと
名前といただきものが日ごとに書かれている。
2004年7月8日(木)に母が入院した。
母はお風呂場で転んだ際に手をついてしまい、
右手を骨折して接骨院に入院した。
徒歩3分位のところにあるその医院は
小さいながらも「骨つぎ」の専門として地元でも有名な医院だ。
我が家は入院したら
本人が見舞客からいただいた内容をノートに書く習慣がある。
それまでに仕事中に屋根から落ちて腰を悪くした弟や
内科的なことで入院した父
婦人科で入院した私など
何度かありその都度
お見舞いのノートは増えていった。
母が入院した時は
私が毎晩、ノートを書いていた。
私は仕事が終わり夕食後エプロン姿で
娘たちと手をつなぎながらつっかけを履いて
母の病室に毎日通っていた。
お見舞いにはお金の他に、
ジュースやヨーグルトなどもあり、
夜に私についてきた娘たちにそれを母は渡していた。
孫の喜ぶ顔を見るのが楽しみだった母。
そんな母の嬉しそうな顔を見るのが私は好きだった。
そのノートは8月31日(火)に退院するまで書かれていた。
「無事、退院しました」の内容のはがきを
私はwordで作りお見舞いして下さった方へお出しした。
ノートにその試し印刷の紙が貼られている。
このノートはそれで終わる予定だった。
しかし最初の5枚しか使っていないそのノートは
B6でしっかりしたもので
それで終わらせるのはもったいないと私は思ってきた。
我が家は、1990年に弟が不治の病に突然罹り、
僅か3か月間の闘病の末に亡くなっている。
弟は友だちを大切にする人だったから
亡くなってから毎年お盆に
お線香を上げに来て下さるお友達が数人いらっしゃっる。
そのノートが満杯になっていた。
だから、その続きは母のこのノートに書くことにした。
弟の場合、
5年たっても10年経っても
毎年、お盆の時期に線香を上げに来て下さるお友達が3人いらっしゃる。
最初の年は独身だったのに
数年後、女性を連れてやってきて
翌年には赤ちゃんを抱っこしてきて
年を重ねる度にお子さんが増えてきた。
その子たちの成長を私や母は見守っていた。
ひと言ではあるが
そのノートに私は書いてある。
2004年7月の母の手の骨折入院から始まったこのノートは
その後
2008年 父 死去
2015年 独り身の伯母 死去
2018年 母 死去
2019年 夫 死去
と、
それぞれの記録が綴られてきている。
表紙がボロボロで紙も変色しているが
我が家の大事な記録である。
決して綺麗とは言えない私の字だが
丸っこくて味のあるその文字で
これからも私はこのノートに書き足していく。
ノートには年月日とお名前とお持ちくださったものの他に
例えば
・ご長男はウチの二女より1つ年下
・お子様が野球部に入った
・お子様が車の運転免許をとった
・お子様が都会へ就職した
・当日、私たちが不在の時にお越しくださり、
名刺とお菓子の箱が入り口にあった
など、ひと言書いている。
ノートは弟のお友達の記録であり
弟が生きていたらもしかしたら今頃は
こんな感じになっているだろうと想像させてくれるには十分だ。
供養とは忘れないこと。
弟のお友達からそれを気付かせてもらった。
さらに供養とは
亡くなった方への優しさと
いま生きている遺族へのいたわりでもある。
弟が亡くなって今年で32年。
あなたは家族以外で32年も毎年、
お線香を上げにいくところがあるでしょうか。
だから、今でもお越しくださっているお友達に感謝しかない。
お友達との接点があるのは両親と私。
あれから父が亡くなり、
母がアルツハイマー型認知症になり、
そして、母も亡くなり今は私だけになった。
昨今のこのご時世である。
起こしいただいてもいただけなくても
毎年感謝の気持ちを忘れないようにしたい。
今回は
18年前の母の手の骨折から始まったノート
をお伝えいたしました。
本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。
山田ゆりでした。
◆◆ kindle出版しました ◆◆
https://amzn.to/3exJcNx
【わたしだけじゃないんだ】
突然、アルツハイマー型認知症になった同居の実母を介護した、
子育てOLの10年と10日の記録
※amazonアンリミテッドに加入して、
期間内に解約すれば無料で読めます。
https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/hz/signup?tag=yuri53yuri-22
◆◆ note有料マガジン ◆◆
【自分のための人生】
https://note.com/tukuda/m/m5b66808db98c
『読むとほっこりする』
『胸にじーんと来ました』
などの感想をいただいています。
◆◆ アファメーション ◆◆
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。
私は愛されています
大きな愛で包まれています
失敗しても
ご迷惑をおかけしても
どんな時でも
愛されています
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+
大それたことはしなくてもよい
そこに向かう姿勢が大事
日々忘れない努力をする
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+
※途中、プリンターのメンテナンスが始まり、音が入っていますが気にしないでください(≧◇≦)
※文章と音声、どちらでも楽しめます。
おはようございます。
山田ゆりです。
今回は
18年前の母の手の骨折から始まったノート
をお伝えいたします。
○○さん メロン2つ、ジュース、ポカ
〇〇さん 見舞金〇〇〇円
そのノートはずっと
名前といただきものが日ごとに書かれている。
2004年7月8日(木)に母が入院した。
母はお風呂場で転んだ際に手をついてしまい、
右手を骨折して接骨院に入院した。
徒歩3分位のところにあるその医院は
小さいながらも「骨つぎ」の専門として地元でも有名な医院だ。
我が家は入院したら
本人が見舞客からいただいた内容をノートに書く習慣がある。
それまでに仕事中に屋根から落ちて腰を悪くした弟や
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婦人科で入院した私など
何度かありその都度
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このノートはそれで終わる予定だった。
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B6でしっかりしたもので
それで終わらせるのはもったいないと私は思ってきた。
我が家は、1990年に弟が不治の病に突然罹り、
僅か3か月間の闘病の末に亡くなっている。
弟は友だちを大切にする人だったから
亡くなってから毎年お盆に
お線香を上げに来て下さるお友達が数人いらっしゃっる。
そのノートが満杯になっていた。
だから、その続きは母のこのノートに書くことにした。
弟の場合、
5年たっても10年経っても
毎年、お盆の時期に線香を上げに来て下さるお友達が3人いらっしゃる。
最初の年は独身だったのに
数年後、女性を連れてやってきて
翌年には赤ちゃんを抱っこしてきて
年を重ねる度にお子さんが増えてきた。
その子たちの成長を私や母は見守っていた。
ひと言ではあるが
そのノートに私は書いてある。
2004年7月の母の手の骨折入院から始まったこのノートは
その後
2008年 父 死去
2015年 独り身の伯母 死去
2018年 母 死去
2019年 夫 死去
と、
それぞれの記録が綴られてきている。
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我が家の大事な記録である。
決して綺麗とは言えない私の字だが
丸っこくて味のあるその文字で
これからも私はこのノートに書き足していく。
ノートには年月日とお名前とお持ちくださったものの他に
例えば
・ご長男はウチの二女より1つ年下
・お子様が野球部に入った
・お子様が車の運転免許をとった
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・当日、私たちが不在の時にお越しくださり、
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など、ひと言書いている。
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弟が生きていたらもしかしたら今頃は
こんな感じになっているだろうと想像させてくれるには十分だ。
供養とは忘れないこと。
弟のお友達からそれを気付かせてもらった。
さらに供養とは
亡くなった方への優しさと
いま生きている遺族へのいたわりでもある。
弟が亡くなって今年で32年。
あなたは家族以外で32年も毎年、
お線香を上げにいくところがあるでしょうか。
だから、今でもお越しくださっているお友達に感謝しかない。
お友達との接点があるのは両親と私。
あれから父が亡くなり、
母がアルツハイマー型認知症になり、
そして、母も亡くなり今は私だけになった。
昨今のこのご時世である。
起こしいただいてもいただけなくても
毎年感謝の気持ちを忘れないようにしたい。
今回は
18年前の母の手の骨折から始まったノート
をお伝えいたしました。
本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。
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突然、アルツハイマー型認知症になった同居の実母を介護した、
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大それたことはしなくてもよい
そこに向かう姿勢が大事
日々忘れない努力をする
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