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あの頃は絶対的な答えがある算数が好きだった【音声と文章】

山田ゆり
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※音声と文章、どちらでも楽しめます。

おはようございます。
山田ゆりです。


今回は
あの頃は絶対的な答えがある算数が好きだった
ということをお伝えいたします。


私は小6の1年間、
番長的な男の子からいじめを受け
その後、自分から友達を作る事が出来ず
高校を卒業するまでの7年間
寂しい学生時代を過ごした。

教室にいても誰とも話をすることができない。
昼休み時間
まわりは友達同士でワイワイガヤガヤしている。

誰か友達になって

私は心の中でそう叫んでいたが
自分から人に声をかけるのは怖くてできなかった。

ひとり寂しい思いをしていることを悟られたくなかったから
私は昼休み時間も教科書を広げて勉強する
可愛げのない子だった。

中学の時は特に勉強に熱を入れていて
宿題はほとんど学校ですませていた。


私はいじめに遭う以前から勉強が好きだった。
特に音楽・国語・算数が好きだった。
逆に暗記物の社会と理科は苦手だった。

算数・数学は、方程式さえ覚えていれば
後はそれに数字を当てはめるだけだから簡単で、
得意中の得意だった。

皆が遊んでいる昼休み時間も勉強をしていたから
中学の数学は、かなり先まで予習をしていた。
数学の授業はかなり前に予習していたものを
ずっとあとになって復習している感覚だった。

だから、数学の授業の時
先生が
「この問題、分かる人」と言うのと同時に私は手を挙げていた。

私に当ててほしいという気持ちが丸見えで
今思うと、かっこ悪い人だったと思う。

わずかな数式を覚えるだけで答えが出てくる数学。
答えがはっきり出る数学が私は大好きだった。


そのまま真っすぐ進んでいたら
私の人生はもっと違ったものになっていたかもしれない。

しかし、その後、入学した高校の
数学の先生が嫌いになり
数学の授業がいやになり
やがてあんなに好きだった数学は
予習復習することもなくなって
自然に数学はできなくなってしまった。



なぜ中学生のころ、あんなに数学に惚れ込んでいたのか。
それは
数式を暗記すれば必ず答えがでてくるから。
絶対的な答えがある世界が好きだったから。
白黒はっきりしているから。



今は、答えがたくさんある世界にいる。
そして、ビジネスの世界では
自分で答えを作っていくものだと教わった。



答えを作っていくのが起業家だと教わった。



答えは自分で作るもの。

だから私は、今日もまた、答えを求めて
頭に汗をかいている。


絶対的な答えはないと分かった今は
絶対的な答えがあると信じていたあの頃よりも
やりがいがある。





今回は
あの頃は絶対的な答えがある算数が好きだった
ということをお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。




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