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傷付かなくてもいいことに傷ついていないか【音声と文章】

山田ゆり
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目の前の事実を人は客観的に見ているようで、実は主観的に見ている。



それは先月から始まった講座(ズーム)に参加してみて分かった。

その講座は途中でそれまでの気づきや感想をシェアする時間がある。
私は1回は手を挙げるようにしている。
受講生は数百人いるから、1回発表したらあとはいいと自分で決めた。

その他に練習会が何度かある。その時も気づきや感想をシェアしてくださいと言われる。
数十人の参加者がいるからここでも1回、シェアすると自分で決めた。



また、講座や練習会が終わったら48時間以内にグループチャットにその日の気づき・感想を書き込むように言われ、私はその通りにしている。

つまり、言われたからやっているだけだ。




しかし、今月の講座に参加して、ブレイクアウトルームでご一緒した方から
「練習会でいつもシェアをしたり、チャットに毎回書き込みをしていますよね。凄いですね。」と言われた。

勘違いされたくないのではっきり言うが、私は「凄い」と言われたくてシェアをしているのではない。
「シェアをしてください」と言われたからそうしているだけなのだ。



大勢の方の前で(ズーム)自分の意見を言う機会がほとんどない私は、自分の順番が近づくにつれて心臓の鼓動が耳の奥でバクバク音を出す。

いざ、自分の番になると声が上ずってしまい、自分で何を言っているのか分からなくなるほど上がってしまい、早く終わらせることしか考えられなくなる。
そんな自分はカッコ悪いと思う。

それでも主催者の方は優しくコメントをして下さる。
ただそれだけ。
終わってから「こう言えばもっと自分の意見がはっきりしたのに」と反省している。



チャットへの書き込みも「書いてください」と言われたから書いているだけ。
小学生でももっとましなことを書くかもしれない、その程度の文章を書いているだけ。


多分、チャットへのシェアを全員はされていないと思う。
だから、していない人から見ると「凄い!」と思われるのだ。




私は「凄い」と思われたくてシェアをしてはいない。
希望を持って上を目指すことはするけれども、事実以上の姿に見せることはしたくはない。
そんなことをすれば自分が苦しくなるだけだから。





目の前の事実を人は客観的に見ているようで、実は主観的に見ている。


目の前の事実を正確に捉えている人は少ないかもしれない。
ほとんどの人は「自分メガネ」で歪曲されたものを見ているに過ぎない。


どうしてもその人の感情が入ってしまうのだ。
「あの人は凄い」
その後に「それに比べて自分は駄目だ」と思う人は気を付けよう。

傷付かなくてもいいことに傷ついていないか。
落ち込む必要はないのに落ち込んでいないか。



目の前に見えるのは「事実」だけ。
それが「凄く見える」のは自分がそう思うと自分が決めただけから。





「凄い」は自分が勝手に作っているということに気付こう。





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