旧宅の解体が始まった【音声と文章】
山田ゆり
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※note毎日連続投稿1616日をコミット中!
1524日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも短時間で楽しめます。
おはようございます。
山田ゆりです。
今回は
旧宅の解体が始まった
をお伝えいたします。
50年以上住み慣れた旧宅を解体する日がとうとうやって来た。
当初は、新居を建てたらすぐに取り壊す予定だったが片付けが終わらず延び延びになり、あっという間に3年が過ぎてしまった。
毎年「今年こそは荷物を片付けよう」と思うのだが、この家には現在の私たち4人の他に、弟、父、母、伯母、夫の5人の遺品もたくさんあり、それらをどうするかと考えると時間がかかった。
現在生きている人の物の整理はできるが、もう新しい思い出の品が発生しない遺族のものを捨てることにとても困難をきたしていた。
新居も同じ広さの家だったら、とりあえず迷う遺品は新居のどこかに置くことは可能だが、新居は旧宅よりも10坪小さい。
土地は広々しているが、私たちで建てるには金銭的にこの広さが精いっぱいだった。
新居は夫が亡くなってすぐに建てたから何も知らない人は夫の生命保険がたくさん入って建てたのだろうと想像するかもしれないが、そうではない。
夫の生命保険は私の3分の1よりも少ない金額にしか入っていなかった。
勿論、夫の生命保険を新居の現金払いに使わせてもらったが、残金は私と娘の二人で住宅ローンを組んで建てた。
だからこれから何十年もかけて返済をしていくことになる。
だから決して、あぶく銭で家を建てたわけではない。
私のnoteをいつもご覧になっている方々は新居を建てた事の経緯をご存じだと思うが、それをご存じない方に、なぜ、新居に変えたのか、簡単にご説明しよう。
築50年以上の旧宅は経年劣化していった。建てつけも悪くなり、冬場は窓の隙間から雪が部屋に入ってきていた。
襖は二階からの重さで動かないところもあった。
しかしそれらは我慢できるレベルだった。
夫が急逝する一か月前頃から台所で流した水が逆流して床がぶよぶよに膨れ上がり、そして床が割れてそこから土や虫などが出てくるようになった。
どういう事かというと、台所で茶碗を洗うとその水が床の一部から湧き出てくる。そこに使わなくなったバスタオルをあてて、びしょびしょになったバスタオルを絞る。その時、台所で絞ったらその水はまた床から湧いてくるから台所には大きなバケツを置いていて、バスタオルはそのバケツの中で絞っていた。
夫が床を見てくれて、「これで大丈夫だ」と言ってくれた。
数日間は何もなかった。
しかし、夫が急逝し、その直後からまた台所から水が湧いてくるようになった。
上から流した水が下から湧いてくる。
バスタオルをバケツの中で絞る。
その水を外に捨てに行く。
その繰り返しだった。
床はびしょびしょになるから、それまでスリッパだったが、台所に居る時はバスブーツを履いていた。
お風呂場を掃除する時にはく、あの靴を当時、台所で履いていた。
これではいけない。
台所以外で茶碗を洗おうと考えた。
旧宅には洗面台はなかったからお風呂場しか洗うところがなかった。
当時のお風呂場はタイルがところどころ剥がれ、シャワーがない。
つまり茶碗を洗うとしたら水しかないのだ。季節は冬だった。
そこで大鍋でお湯を沸かし、それを台所に持って行った。
でも、洗い流す時は水だから、洗い物が終わる頃は手先から体中が冷えてしまっていた。
しばらくはお風呂場にしゃがんで茶碗を洗う日々が続いた。
この姿を他人に見られたくないと感じながら茶碗を洗っていた。
台所の水の逆流は続いていた。
我が家はこれまで父が何度も増改築してきた。
「これ以上、手直しをするのはお金の無駄」と近年、大工さんから言われていた。
頼りになる夫を失い、私たちは我慢の生活を送っていた。
しかし、我慢できない状況になった。
台所の隙間から土や虫が出てくるのさえ嫌だったが、夜中、トイレに起きた時、ネズミに遭遇することになった。
初めて遭遇した時は心臓が止まるかと思った。
私たちが生活しているところをネズミが徘徊している。
それを知った時、もう、この家には住めないと思った。
そこまで我慢して私たちがここで生活するのはおかしい。
お金がないから人間らしい生活を諦めなければいけないという考えは間違っている。お金はないなら借りようと思った。
それまで私は「借金」が嫌いだった。
家も「そのうちお金が溜まったら現金で買おう」と思っていた。
しかし、いつ、ネズミと遭遇するか分からない。また、私たちの知らない時間帯にネズミたちが我が家を歩いているのを想像しただけでも気持ちが悪い。
私たちは人間らしい生活をしていいのだ。
私はすぐに家の建て替えをするために行動し、現在の家を建てた。
だから、贅沢したいとかきれいな家に住みたいから家を建てたのではない。
出来ればあの家にはずっと住んでいたかった。
いくらか不便なところはあったが思い出がいっぱいあり、何よりも自分の家だから家賃はゼロなのがいい。
でも、水で波打つ台所の床を、バスブーツを履きながら料理をしたり、ネズミたちが走り回っていても我慢しなければいけないのは間違っていると思った。人間の尊厳とは何だろうと思う。
そんな旧宅ではあるが、やはり取り壊すとなると、たくさんの思いが去来した。
長くなりましたので続きは次回へ。
今回は
旧宅の解体が始まった
をお伝えいたしました。
本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。
山田ゆりでした。
P.S.
8月11日までに4冊目のkindle出版をすることをコミットします!
その過程を有料グループチャット
【ゆりのkindle制作の裏側】でお見せしています(*’ω’*)
詳しくはこちらのnoteをご覧ください。
↓
https://note.com/tukuda/n/naf56c832a19b
◆◆ アファメーション ◆◆
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。
私は愛されています
大きな愛で包まれています
失敗しても
ご迷惑をおかけしても
どんな時でも
愛されています
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おはようございます。
山田ゆりです。
今回は
旧宅の解体が始まった
をお伝えいたします。
50年以上住み慣れた旧宅を解体する日がとうとうやって来た。
当初は、新居を建てたらすぐに取り壊す予定だったが片付けが終わらず延び延びになり、あっという間に3年が過ぎてしまった。
毎年「今年こそは荷物を片付けよう」と思うのだが、この家には現在の私たち4人の他に、弟、父、母、伯母、夫の5人の遺品もたくさんあり、それらをどうするかと考えると時間がかかった。
現在生きている人の物の整理はできるが、もう新しい思い出の品が発生しない遺族のものを捨てることにとても困難をきたしていた。
新居も同じ広さの家だったら、とりあえず迷う遺品は新居のどこかに置くことは可能だが、新居は旧宅よりも10坪小さい。
土地は広々しているが、私たちで建てるには金銭的にこの広さが精いっぱいだった。
新居は夫が亡くなってすぐに建てたから何も知らない人は夫の生命保険がたくさん入って建てたのだろうと想像するかもしれないが、そうではない。
夫の生命保険は私の3分の1よりも少ない金額にしか入っていなかった。
勿論、夫の生命保険を新居の現金払いに使わせてもらったが、残金は私と娘の二人で住宅ローンを組んで建てた。
だからこれから何十年もかけて返済をしていくことになる。
だから決して、あぶく銭で家を建てたわけではない。
私のnoteをいつもご覧になっている方々は新居を建てた事の経緯をご存じだと思うが、それをご存じない方に、なぜ、新居に変えたのか、簡単にご説明しよう。
築50年以上の旧宅は経年劣化していった。建てつけも悪くなり、冬場は窓の隙間から雪が部屋に入ってきていた。
襖は二階からの重さで動かないところもあった。
しかしそれらは我慢できるレベルだった。
夫が急逝する一か月前頃から台所で流した水が逆流して床がぶよぶよに膨れ上がり、そして床が割れてそこから土や虫などが出てくるようになった。
どういう事かというと、台所で茶碗を洗うとその水が床の一部から湧き出てくる。そこに使わなくなったバスタオルをあてて、びしょびしょになったバスタオルを絞る。その時、台所で絞ったらその水はまた床から湧いてくるから台所には大きなバケツを置いていて、バスタオルはそのバケツの中で絞っていた。
夫が床を見てくれて、「これで大丈夫だ」と言ってくれた。
数日間は何もなかった。
しかし、夫が急逝し、その直後からまた台所から水が湧いてくるようになった。
上から流した水が下から湧いてくる。
バスタオルをバケツの中で絞る。
その水を外に捨てに行く。
その繰り返しだった。
床はびしょびしょになるから、それまでスリッパだったが、台所に居る時はバスブーツを履いていた。
お風呂場を掃除する時にはく、あの靴を当時、台所で履いていた。
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それを知った時、もう、この家には住めないと思った。
そこまで我慢して私たちがここで生活するのはおかしい。
お金がないから人間らしい生活を諦めなければいけないという考えは間違っている。お金はないなら借りようと思った。
それまで私は「借金」が嫌いだった。
家も「そのうちお金が溜まったら現金で買おう」と思っていた。
しかし、いつ、ネズミと遭遇するか分からない。また、私たちの知らない時間帯にネズミたちが我が家を歩いているのを想像しただけでも気持ちが悪い。
私たちは人間らしい生活をしていいのだ。
私はすぐに家の建て替えをするために行動し、現在の家を建てた。
だから、贅沢したいとかきれいな家に住みたいから家を建てたのではない。
出来ればあの家にはずっと住んでいたかった。
いくらか不便なところはあったが思い出がいっぱいあり、何よりも自分の家だから家賃はゼロなのがいい。
でも、水で波打つ台所の床を、バスブーツを履きながら料理をしたり、ネズミたちが走り回っていても我慢しなければいけないのは間違っていると思った。人間の尊厳とは何だろうと思う。
そんな旧宅ではあるが、やはり取り壊すとなると、たくさんの思いが去来した。
長くなりましたので続きは次回へ。
今回は
旧宅の解体が始まった
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本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。
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P.S.
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