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田畑を相続した我が家の場合

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代々続いた田畑を相続した場合、あなただったらどうされますか? 夫の急逝で女性4人だけの会社員の家族が田畑を相続した。 日中はフルタイムで働く家族は、田畑を耕す時間がない。 「…
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#田畑の相続

「大きい畑」とこれからも関わっていく

※軽い咳が出て読み上げることができませんので今回は朗読無しになります。 ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n7960d9739fdf?from=notice 「大きな畑」の借主(Sさん)からの電話は次のようなことでした。 Sさんは私の親戚のAさんの土地を買うことになり、売買契約を交わし農業委員会へ書類を提出し、あとは今月下旬に行われる農業委員会の総会で承認を待つだけの状態でした。 しかし、つい先日、それを取り消したと言うのを電話で話されていました。 それはAさんとSさんとの話であり、なぜ私にその話をされるのでしょうか。 きっと、私の縁でまとまった話だったからその報告をされていらっしゃるのかなと思いながら私はSさんの電話に相槌を打っていました。 最初はAさんがSさんに畑を貸すという話から始まりました。そして、トラクターもあるからそれも一緒に貸しますということになりました。 その内、Aさんは土地とトラクターを売ってもいいとSさんに話を持ちかけました。 80代のAさんはひとり娘(50代後半独身)しかおらず、手広くやっていた農業の後継者はいません。 恐らくそういった背景もあるのだと思います。 畑とトラクターをAさんがSさんへ売るということが決まり、売買契約書を取り交わし農業委員会へ書類を提出しました。 ところが最近になって、畑もトラクターも売らない。貸すのだったらいいとAさんが言いだしたそうです。 そして、その件でSさんがAさんのお宅に伺った時に、またAさんの話が変わっていて、トラクターは貸さないとおっしゃる。 それはAさんの奥様が強く話をされていた。 売ると決まったものを売らない、貸すならいいと言い、貸すと言ったものを今度は貸さないと言い出す。 これから農業の事業拡大を構想しているSさんは、話がコロコロ変わるAさんに不信感を抱き、結局、今回の件は無かったことに決定されたそうです。 「そうなんですね。」と私はSさんのお話をお聞きしていた。 私がSさんの伝手でビニールハウスを解体してもらい、それを知ったAさんもSさんにビニールハウスの解体をしていただいた。 それが縁で、AさんとSさんの土地の売買の話が始まったから、今回、その話が無かったことになったから、一応、私にその連絡をして下さっているのだと私はのんびりとSさんのお話を聞いていました。 それで電話は終わるのかと思いきや、次の展開に私は想像もしていませんでした。 ビニールハウスは地面に鉄の棒が埋め込まれていて、今回、私のところもAさんのところも、その埋め込まれた鉄の棒は撤去していないとのことでした。 その撤去をするにはそれを引っこ抜くための重機が必要でそれをすると更にお金が掛かります。 Aさんの奥様は、その棒をいつ抜くんだと言われ、Sさんは、「今回の作業にそれは入っていないから抜きません」とお答えしました。 するとAさんの奥様は、それを撤去するのは当たり前だろうとおっしゃってきました。 更には、私の大きい畑に先日行き、私のビニールハウスの地面にも残っているのを確認したと話されたそうです。 その畑は、私がSさんに貸すことになった畑です。 その畑に入っていいのは、土地の所有者である私と、借主であるSさん以外は許されないことです。 家のように畑には周りに塀があるわけでもカギを掛けているわけでもありません。だから、誰でも中に入ろうと思えば入れます。 しかし、いくらAさんが私の親戚であろうと、勝手に人の畑に入ってその地面を調べるということは非常識です。 田舎の人はこういう非常識なことを当たり前にする方がいらっしゃいます。 Aさんの奥様はそういう方で、昔から嫌いでした。ニコニコしていて腹の底では何を考えているのか分からないい人。 あなたの周りにはいらっしゃらないでしょうか。 Aさんは「私のハウスの棒を抜いてくれるまで何度も電話するから。」と脅迫めいたことをおっしゃったそうです。 AさんとSさんだけの話でしたら私にとっては、他人事でした。 しかし、私の親戚で非常識な人がいる。 その人が、親戚だという理由だけで、私の土地に無断で入ってくる。 その土地を借りて耕作をするSさんは、Aさんの奥様からどんな嫌がらせをされるか分からない。 知らないうちに除草剤をまかれるかもしれない。 それはあり得ない事とは言えないくらいAさんの奥様は勝手な人なのです。 いつ、Aさんの奥様によって畑を荒らされるか分からない。 そんな不安を抱えて農業をすることはできないから、 私の「大きな畑」を借りることは無かったことにしてほしい、 とSさんから言われました。 そんな結末になるとは思ってもみなかった私は、最初、言葉に詰まりました。 Sさんは今年の植える苗を既に購入済みで、それが成長して出荷したら100数十万円の売り上げが見込めるのだそうです。 そろそろ、畑を耕そうと思っていた矢先のAさんからのお話でした。 Aさんからの嫌がらせを回避するために今年の100数十万円の売り上げを捨ててでもこの「大きな畑」の賃貸借を解除したいとおっしゃいました。 私にはとても申し訳ないと思っていますがAさんからの攻撃を心配しながらの耕作はしたくないとのことでした。 私は数秒間考えました。 今必要な事は、残念ではありますが、賃貸借の契約を早く解除してSさんの希望を叶えてあげることだと私は決断しました。 そして、今月下旬に行われる農業委員会の総会が近づいているため、事を急ぐ必要があると私は判断し、Sさんと都合を合わせ、その電話の二日後に、農業委員会へ二人揃って出向き、契約解除の手続きを行いました。 やっと、草刈りの心配から解放された。 そして「大きな畑」は信頼できるSさんによって新しく生まれ変わる。 そう思っていた矢先の出来事でした。 私は契約解除の当日、これまでのお礼として栄養ドリンク2箱をSさんにお渡ししました。 あの、草がボウボウで、ここは密林かと思うほどだった状態を綺麗に草を刈って下さった。 また、ビニールや農業資材が散乱していたものを一か所にまとめてくださった。 荒れ放題の畑を綺麗にしてくださったSさんには感謝しかない。 いい人に借りてもらうことができ、家族全員喜んでいましたが、事情をお聞きすると致し方ない。 やっと借り手が見つかった「大きな畑」は結局、親戚のAさんの理由で、契約解除になってしまいました。 夫から相続した「大きい畑」と「小さい畑」と「田んぼ」は 「小さい畑」と「田んぼ」はお陰様で売れました。 「大きい畑」は一旦、賃貸借契約まで行きましたが、結局、契約解除になりました。 農業をすることができない人が田畑を相続するとどうなるのか。 普通の人では経験できないことをさせていただき、また一つ、勉強になりました。 特に思い入れが強い「大きい畑」。 私はこれからも「大きい畑」と関わっていく。 今日は軽い咳が時々出るため、朗読はお休みさせていただきました。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1811日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  「大きい畑」とこれからも関わっていく

借り手が現れた「大きな畑」のその後【音声と文章】

※軽い咳が出て読み上げることができませんので今回は朗読無しになります。 ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓人を騙して得たお金の価値はいかほどか?【音声と文章】 https://note.com/tukuda/n/ned279814ce79?magazine_key=ma35047324572 夫から相続した田畑は大きく分けて、「大きい畑」と「小さい畑」と「田んぼ」の3つです。 夫が急逝して私と3人の娘たちが残され、日中はそれぞれ仕事をしているから田畑を耕すことはできません。 また、重い噴霧器を背中に背負うことも、 夫が使っていた草刈り機を持ち上げることもできません。 稲刈りが終わった田んぼの中でトラクターを数メートル運転したことはありますが、公道を走ったことはありません。 それ以前に、トラクターの鍵の所在が分からない状態です。 ないない尽くしの私たちは、農業を引き継ぐことを諦め、農業委員会に土地を貸します・売りますの申請をしました。 しかし、土地や周りの農道の状態が良くないこともあり、借り手・買い手は見つからずに数年が経っていきました。 農業をしない。そう決めればそれで済むものだと勘違いしていた私は、田畑を耕さなくても、毎年経費がかかることをすぐに知りました。 固定資産税や土地改良区の賦課金はもちろん、広大な畑の草刈りや田んぼの草取りに想像以上の労力とお金が掛かりました。 想像してみてください。 収入は入ってこないのに、年間、数十万円の経費がかかる、そんな土地をあなたはずっと持ち続けることができるでしょうか。 田畑は「生き物」だから、刈った草はすぐに生えてきて、気にはなるが休みやお天気の関係で、丁度良くならず、その内、周りの田畑の方から苦情が来るのです。 恐らく「だらしない人」と噂されているかもしれません。 これまで人さまにご迷惑をおかけしないように注意して生きてきたつもりですが、田畑を相続してからは、苦情の電話や来客に気持ちが沈みます。 私たちだって好きで田畑を放置しているのではありません。 早朝の4:30から田んぼの草取りをしたり、女性でも使えるといううたい文句の草刈り機を購入して、草を刈ったりもしてみました。 でも、やってもやっても草はすぐに生えてきます。 これをずっと経験していかなければいけない。 農業に対するイメージは相続後にがらりと変わりました。 農業委員会へ、タダでいいから引き取ってもらいたいと相談に行きましたが、タダではできない、必ずお金の授受をしないとできないと断られました。そして、今の世の中、農業をする人が少なくなっているから借り手・買い手は難しいと言われました。 収入は入ってこないのに多額の経費だけが掛かるのです。私たちはそのような農業に絶望していました。 しかし、4年目にして山は動いたのです。 「大きい畑」は借り手が現れ、 「小さい畑」と「田んぼ」はそれぞれ買い手が現れました。 そして、全ての書類関係を農業委員会へ提出し、これでやっと肩の荷が下りたと安堵しました。 会社の帰りに、遠回りにはなりますが、たまに田畑を遠目で見て車を走らせます。 夕焼けに染まるお山に抱え込まれているような我が家の畑を眺める。 まだ保育園児だったころに、祖父母、両親、姉、弟、伯母さんと一緒に稲刈りをした風景を今でも思い出します。 あの頃はコンバインはなくて鎌を手に稲を刈っていた。 腰に下げた藁の束から数本を引き抜き、その藁で刈った稲を束ねる。 それを狛犬のような格好に組み立てて稲を干す。 棒掛けもしていた。 子どもの私たちは、赤とんぼを捕まえようと田んぼを走り回っていた。 乾いた田んぼの中を走るたびにバッタの大群が、「大変だー大変だー」と言っているように飛び跳ねて逃げていく。 10時と3時に出されるおやつを目当てにお手伝いに行っていた。 普段は食べない袋菓子がたくさん用意され他にふかし芋、枝豆、りんご、梨などもあった。 遠い遠い思い出です。 「田んぼ」と「小さい畑」は売ることができました。 でも、昔田んぼだった「大きい畑」は当分、売ることはしないつもりです。それも手放してしまえば、幼い頃の思い出も失くしてしまう気がするからです。 そして、縁あって、借主が現れました。 もう、草刈りの心配はありません。 草が大人の胸の高さまで生い茂り異様な雰囲気を醸し出していた「大きな畑」は、借りてくださった方によって、綺麗に草が刈られ、すっきりしています。 もうこれで、収入が無いのに多額のお金を出して土地の維持をしなくてもいいのが嬉しい。 若い頃は先祖代々から続いている土地を継承するのは当たり前と思い、跡取りになった私は、その常識を普通に受け入れました。 しかし、専業農家の夫が急逝し、女性だけの我が家では農業を継ぐことは無理だと分かり、私たちは苦渋の決断をしました。 田畑を相続することの現実の厳しさをこの数年間で思い知りました。 「大きな畑」にあった2つのビニールハウスは借り手の都合で、無い方が作業がしやすいと言われ、私は快くハウスの解体に同意し、その方が知っている業者さんによってハウスは解体されました。 ある日、親戚のAさんから、自分もハウスの解体をしたいのだが、どこの業者さんを使ったのか教えて欲しいと電話が来ました。 それでは、ということで私は大きな畑の借主さんに事の事情をお話したら、彼とAさんとで話をすることになりました。 その後、彼の知っている業者さんによって親戚のAさんのビニールハウスは解体されたようです。 しかし、話はそれだけでは終わりませんでした。 もう80代になるAさんは、農業を畳みたい気持ちを彼に話したところ、事業拡大を計画しているAさんがその土地を買うことになったのです。 Aさん宅は農業の後継者がいらっしゃいません。 Aさんはラッキーでした。私はそのことをずっとあとになって「大きな畑」の借主から知らされました。 幸運な人はどこまで行っても幸運なのだと、ブラックな自分がつぶやいているのを感じました。 その理由はこちらのnoteを読んでくださった方はご存じだと思います。 ↓ https://note.com/tukuda/n/ned279814ce79?magazine_key=ma35047324572 賃貸借契約も取り交わし、後は農業委員会の総会で承認されるのを待つばかりのある日、 「大きな畑」の借主から「至急、お話したい」と電話が入りました。 普段、落ち着いている彼とは違う雰囲気の電話でした。 それは、 親戚のAさんの土地を「大きな畑」の借主が買うことになっていましたが、その売買契約をつい先日、取り消したと言う事でした。 それはAさんと「大きな畑」の借主との話であり、なぜ私にその話をされるのだろうかと思いながら、私は彼の話を時々相槌を入れながら静かに聞いていました。 きっと、私の縁でまとまった話だったからその報告をされていらっしゃるのかなと思いながらのんびり聞いていたら、それは私が予想もつかない展開になったのです。 長くなりましたので、続きは別の機会にいたします。 今日は軽い咳が止まらず、朗読はお休みさせていただきました。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1810日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  借り手が現れた「大きな畑」のその後

相続した「田んぼ」が売れました【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1676日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 相続した「田んぼ」が売れました をお伝えいたします。 我が家は代々、お米と野菜の農家だった。 父が急逝し、その翌年、お婿さんである夫は会社を辞め専業農家になった。 私は会社員をずっと続けていて、定年退職になったら夫の農業をお手伝いしたいと思っていた。 いつかはネット販売もしようと考えていた。 一緒に暮らすアルツハイマー型認知症の母を自宅で介護しながらの生活は、ちょうど3人の娘たちの進学・就職時期と重なり、当時はてんやわんやだった。 そして、母の介護は突然、終止符が打たれた。 自宅のトイレで倒れた母はそのまま戻って来なかった。 父が亡くなって母が亡くなるまでの10年間は特に激動の日々だった。 母の死を悲しむ暇もなく過ごしていた1年後に夫が突然死した。 母の葬儀が終わって、「もう当分はこんなことないから静かに暮らせそうだね」と夫と話していた矢先の出来事だった。 私は夫から田畑を相続した。我が家の田畑は大きく分けて、「田んぼ」、「大きい畑」「小さい畑」の3つになる。 夫のいない我が家は、3人の娘たちと私の4人家族だ。 それぞれ仕事をしているから日中、田畑を耕せない。 重い農機具を持てない。 だから私は農業を諦めた。 田畑を貸したいという申請を農業委員会へ提出したが、全く反応は無かった。 農業をしないと決めた私は、それでいいものだと思っていた。 しかし、田畑は生き物である。 放っておくと草が生える。 耕作しない田畑を見に行くことが無かった私に苦情が来た。 伸び放題の田んぼの堰の草が、周りの田んぼへの水の流れを止めているということだった。 自分が田んぼを耕作しないのだから何もしなくて良いとその頃思っていたが、何もしなくても草の処理はしないといけないことをその時初めて知った。 最初は4時台に起きて田んぼの草を抜いていった。5時には朝の支度と朝活をして7時には家を出ないといけない。 忙しい日々が続いた。そして、思った以上に草取りは進まず、それをしてくださる方を紹介していただき、お金をかけて草を取ってもらうことになった。 労力は減ったが、その分、金銭的負担が出てきた。 その田んぼの草取りは年に3回、取らないといけなかった。 田んぼを持っているのに植え付けをしていないから収入はゼロ。 しかし、固定資産税や土地改良区の賦課金、草取りの手数料などの経費がかかる。 耕作しない田んぼを相続した場合、このように毎年、ただただ、お金だけが出てゆく。 よく、田畑は資産だと言うが、私の場合は負の遺産である。 早くこの田んぼは手放したかった。 農業委員会に出かけて田んぼは売却の手続きに変えた。 安い金額でいいから、誰か買ってほしい。そう思っていたが、買い手は4年間現れなかった。 農業委員会に、「タダでいいので手放したい」と相談に行ったら、「タダはできないことになっている」と言われ落胆した。 こうしてこれから先も、負の遺産の経費を払い続けなければいけないのか。 田畑は我が家にとって重い存在だった。 しかし、4年目の今年、この件は大きく動いた。 田んぼを買いたいという方が現れた。 農業委員会の調整委員の方が四方八方に話をされ、見つけてくださったのだ。 私たちは喜んだ。 田んぼがなかなか売れないのには訳があった。 田んぼのトラクターなどが通る道があるのだが、我が家の近くのその道が崩れやすくなっていて、U字溝を設置した方がいいと言われていた。 しかし、その工事には数十万円かかるそうだ。 耕作しない田んぼに数十万円をかける気持ちは私にはない。田んぼの道が良くないことが田んぼが売れない理由の一つになっていた。 それを承知で買って下さる方が現れたのだ。 売却金額は田んぼの道の状態を考慮して、本来の価格の5分の1の値段になった。 普通だったらそれに異論を唱えたいところだが、今は一日でも早くその田んぼを手放したい。 タダで売ってもいいと思っているからだ。 私は娘たちに話を伝えた。 娘たちはみんな、賛成してくれた。これまでの苦労や金銭的なことを私から聞いていたから、田んぼが売れたことを素直に喜んでくれた。 先日、農業委員会の調整委員の方が自宅に見え、申請書類をお持ち下さり押印した。 あとは農業委員会の会議に掛けられて承認されると金銭の授受をしたら農業委員会へ出かけて書類手続きをすれば良いことになった。 まだ手放したくない「大きな畑」のことは以前、noteに書いた。 愛着のある畑だから、まだ、「売る」ことはできない。当分、「貸す」方向で話はついている。 一方、この「田んぼ」には、愛着はない。 勿論、両親や夫、子ども達と一緒に田植えや稲刈りをした思い出はたくさんある。 夕焼けがあっという間に終わり、暗くなった田んぼに向かってトラクターのライトをあてながら稲刈りをした思い出もある。 でも、この田んぼは草取りの作業やあぜ道などに今後もお金がかかりすぎる。 この田んぼにあまり愛着がないのは、この土地はもともと、親戚の田んぼだったから。 我が家にはその親戚の方(Aさん)の敷地の近くに畑を持っていた。 その畑に行くためには、Aさんの畑の中を通ることになる。 親戚の大本家様が、「いつまで人の畑を通っているんだ。この畑と、少し離れたところにあるAさんの田んぼとを交換したらどうだ。」と言われていた。 父は最初それを拒んだ。 しかし、大本家様はことあるごとに父に言ってきて、次第にその回数が多くなってきた。なぜそのように強くおっしゃるのだろうかと思うほど。 そして父は諦めて、等価交換に同意し、今の田んぼが父に渡った。 しかし、これには実は、裏があったのだ。 いままで耕してきた父の畑に数年後、県の道路ができた。 大本家様のお婿さんは県庁に勤めていらっしゃる。 無学な父は、そんな情報は全く知らなかったのだ。 そして、Aさんはそのお金で豪華な家を建て替えた。 知らないということは損なのである。 そういういきさつを私は父や母から聞かされていた。 だから、この田んぼには、根底では愛着を抱いていない。 相続した「田んぼ」「大きな畑」「小さな畑」。 「田んぼ」は売り手が見つかった。 「大きな畑」は借り手が見つかった。 そして「小さな畑」も今年、大きな動きがあった。 それについては後日、また書くことにする。 今回は 相続した「田んぼ」が売れました をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その3~【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1628日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その3~ をお伝えいたします。 ※このシリーズの一つ前はこちらです。 ↓(大きい畑その2) https://note.com/tukuda/n/nb9320677f5ad 「大きい畑」に関して、 「ハウスの解体と鉄骨代金の回収」 「ビニールなどの農業資材の収集運搬と処分」 二つが課題として上がってきた。 その件をまずは農業委員会の調整委員の方に報告の電話をした。 私が電話するより前に、借りたいという人(Sさん)から調整委員の方に電話が入っていて事の次第は知っていた。 調整委員の方はこれまでとても親身になって対応をしてくださっていて、私たちはその方に全幅の信頼をおいていた。 その方は分からない事をお聞きすると丁寧に教えて下さった。 農業に関する相談先がない我が家としては調整委員の存在はとても大きい。 だから、今回の件も調整委員の方に全てお話をした。 しかし、その日の電話は言葉を選んで言いにくそうにおっしゃっていた。 どうやら今回の件は調整委員の仕事の範囲を超えているらしい。 それは今回が初めてではなく、これまでのこともそれに該当しているようだった。 その方は、突然配偶者を失くし頼るあてもない私たちに感情移入され、どうやら、自分の仕事以上のことを請け負っていたということが分かった。 言葉を選びながら、でも、とても申し訳ないという気持ちが手に取るように分かる。 そうか。 なんでも調整委員の方に頼っていいものだと勘違いしていた私の落ち度である。 つまり、今の問題は、Sさんと私とのやり取りで決めることであり、調整委員の方がどうこうすることではないということが分かった。 私の腹は決まった。 とにかく、あの畑のことはすぐに取り掛からなければいけないことだ。 「大きい畑」に対して私がすることは二つ。 まずは、ビニールハウスを解体して撤去すること。 Sさんが、「山田さんの方で、どこかに見積もりを取ってもらって、その中から選ばれてもいいかもしれない。 そしてもしも、丁度良い業者を見つけることができなかったら、私の知り合いでそういう業者を知っているから、値段的に合うのだったらそちらを紹介してもどちらでもいい」とおっしゃってくださった。 なるほど。業者さんに見積もりを取っていただくこと自体、仕事柄なれているから気持ちの抵抗は全くない。事務を30年以上してきた経験がここで役立つことに嬉しさを感じた。 私は早速、PCで検索してみた。 すぐに見つかると思っていたが、そうでもなかった。 恐らく、検索のワードが適切ではなかったかもしれない。 地元の地名も入れて検索したが、かえってヒットしなくなった。 あれこれ1時間以上、ネットの世界をぶらぶらし、全国ネットの業者を選んだ。 その日は日曜日だったので電話ができず、とりあえずメールを送った。 「メールを受け取りました」のメールが届いた。これは自動返信メールであり、私のメールを実際は見ていないのは分かっている。 翌日の午前中にメールが届いた。 どんな業者さんを紹介してくださるのだろうかとワクワクしてメールの本文を読んだ。 <<弊社の提携先では対応可能な解体業者がおりませんでした。<< 全国ネットだとうたっているのに、対応できる業者がいないとは。 つまり、私の住んでいるところは「国内」ではないということか。 これは良くあることだからさほど落ち込まなかった。 またネットの世界で探さなければいけない。 私はもともとネット検索があまり得意ではない。 ネット検索は一見便利そうで、実は、知らず知らずの内に時間が過ぎてしまう。 それがとてももったいない。 私は自分で探すのを諦め、Sさんが知っている業者さんを使うことに決めた。 さっそっく、その日の夜にSさんへ電話をし、業者さんと連絡を取ってほしいとお願いした。 そして二つ目は、農業資材の撤去だ。 Sさんが、まずはビニールハウスを解体・撤去すれば、農業資材を一か所に集める作業がやりやすいから、先にビニールハウスを解体させてほしいとおっしゃっている。 どちらもいつかはやらなければいけないことだから、迷っている時間はない。 夫が残した負の遺産の清算は私の仕事だ。 これを次の世代へ丸投げしてはいけない。そう思っている。 あと一か月もすれば雪が降り始める。 その前までに終わらせないといけない。 Sさんからの電話を私は待った。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その3~をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

田畑を相続した我が家の場合~大きい畑~【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1624日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑~ をお伝えいたします。 先祖代々の土地を持ち続けること~大きい畑」の場合~ 農業をする気がない人は田畑を相続してはいけない。 これは我が家の田畑に関する淡々とした記録である。 お米と野菜の専業農家だった夫が急逝し、田畑の管理と言う大仕事が降ってきた。 相続した田畑は、大雑把に言うと、「田んぼ」と「大きい畑」と「小さい畑」の3か所になる。 「大きい畑」の方は道路に面しているところで、以前は田んぼだったところである。 亡くなった父の後を継いで、会社員から専業農家になった夫が、 田んぼから畑に変えたのだ。 だから周りは田んぼで、私のところだけが畑になっている。 夫の急死で私は田畑を相続した。 夫が亡くなり初めての春、周りの田んぼに水が入り清々しい状態なのに 私の畑のところだけが1m以上の草が生えていて 遠くから見ると砂漠の中に突如現れた密林のようで、異様さを感じる。 カマを手に草を刈ったが、思ったほど進まなかった。 我が家には夫が使っていた草刈り機があるが、それは重くて持つことができない。 仕方なく、女性でも使えるといううたい文句の草刈り機をホームセンターから購入した。 最初の印象は体重43㎏に満たない私でも使いこなせると感じた。 人力に比べて驚くほど早く草を刈ることができるだろうと私は意気込んだ。 颯爽と機械を繰る自分の姿を想像した。 しかし実際は、へっぴり腰で私はフラフラしながら畑の草を刈っていた。 わずか一時間後、のどがカラカラになり休憩した。 用意していた飲料は砂地に水が落ちていくように乾いた体の中に入って行った。 刈ったところを見る。まだ全体の10分の1にも満たない。 結局その日は一枚の畑の4分の1もできなかった。 草刈り機の重さが肩にずしりと食い込んでそれ以上草を刈ることはできなかった。 もっと体力があればきっとできたのだろう。 「世の中そんなに甘くはない」 そう言われているようだった。 娘が仕事帰りに少しずつ、手にカマを持って草を刈ってくれた。 私も時々、草を刈りに出かけた。 しかし、一週間に1度の休みの時は買い物や家事などが優先され、 毎回畑に行くことは無理だった。 また、時間的には行ける日でも、雨で行けない日もあった。 だから、畑の草は私たちが頑張っても成果は目に見えず、失望しかなかった。 田畑を貸そうと思い、調べてみた。 田畑の移動は「農業委員会」に届け出なければいけないということをその時初めて知った。 「農業委員会」の存在さえ私は知らなかった。 相続した田畑は、まずは「貸す」という選択を私は選んだ。 その手続きをして市役所を出た時「これで草刈りから解放される」と思った。 しかし、その後、「借りたい」と言う人はなかなか現れなかった。 やがて、そこを「買いたい」と言う人が現れた。 農業委員会と農家の仲介役である調整委員の方が我が家に訪れ、その話をしてくださった。 その方に売ったら私たちの苦労はもうなくなる。売ってしまえば楽になる。 そう思ったが、しかし、私はその土地をまだ売りたくはなかった。 その土地は道に面しているとても使いやすい土地だった。 今はできないけれど、将来、定年退職したら畑をやりたいとその時は思っていた。 そして一番の理由は、その土地は私が保育園児の頃、祖父や両親、姉や弟たちと稲刈りをしていた土地だった。 我がふるさとのお山が向こうに見えるその場所は、私の心の基地のようなのだ。 まだその思いは捨てきれない。 この景色を人に渡したくはなかった。 私は娘たちに自分の気持ちを伝え、娘たちは納得してくれた。 せっかく「買いたい」と言ってくださる方がいたが、その話は無かったことになった。 実は、夫が残してくれたこの「大きい畑」を畑として使用するには難問がいくつかあった。 ・草がボウボウ ・畑の周りに農業資材のビニールがたくさん無造作に置かれている ・同じく畑の周りに特大の焼酎のペットボトルが散乱している ・大小2つのビニールハウスがあるが、ビニールがかかっていないところがある ・大きいビニールハウスの中にトラクターが放置されている 広大な畑には、大小合わせて2つのビニールハウスがある。 そのビニールハウスにはトラクターや農機具などが置かれている。 そして、畑の周りには、露地栽培用のビニールがところどころに無造作に置かれていた。 素人の私からすると、使わないならビニールハウスの中に置いておけばいいと思うのだが、夫はところどころにビニールを置きっぱなしにしていた。 それを寄せようと私はビニールを持ってみた。 しかし、それは予想以上に重かった。 長さが数十mのビニールハウスは女性の私では持てなかった。 だからそれを片付けることができない。 また、その畑には水があまりない。 父が健在だったころは井戸を掘ってその井戸水を機械で汲み上げて作物に掛けていた。 しかしその後その井戸は枯れてしまった。 そこで父は使わなくなったバスタブを持って来て雨水をためておいてそれを使っていたが、それだけでは足りなかった。 夫は毎晩、焼酎を飲む人だった。片手で持つのは重いと感じるあの大きなペットボトルに入っている焼酎を飲んでいた。 夫はそのペットボトルに水を入れて畑の周りに置くことにした。 その数は数個ではない。あの広大な畑の周りには数十個、もしかしたら百は超えるかもしれないそのペットボトルが散乱していた。 知らない人はなぜペットボトルを畑の周りに捨てているのだと思うかもしれない。 私は夫が健在なころから、そのペットボトルの存在が嫌いだった。 どうみても見苦しい。 でも、夫がしている農業に口出しはしないことにしていた。初めての農業を夫なりに頑張っているのが分かっていたから。 夫が急逝し、田畑の管理を私がしなければならなくなり、たくさんの問題を抱え込むことになった。 畑に散乱した農業資材のビニールと大きなペットボトル。それらを片付けなければいけない。 汚れものを運ぶためには軽トラックが必要だ。 夫が亡くなってすぐに軽トラックはもう使わないと思い、会社でお世話になっている自動車会社に買い取っていただいたが、それは早すぎた行動だったと後悔している。 私たちの軽自動車にあの汚いものを乗せて運ぶことはできない。 今年になってその「大きい畑」の方を借りたいという人が現れた。 農業委員会の調整委員に間に入っていただき、話はトントンと進んだ。 実際の賃貸借契約は来年の3月からで、それまでに、畑として使えるように借主が整備してくれるとのことだった。 長くなりましたので、続きは別の日にいたします。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑~ をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

先祖代々の田畑を引き継いだけれども【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1621日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 先祖代々の田畑を引き継いだけれども をお伝えいたします。 先祖代々の土地を持ち続けること ~農業を継ぐことができない我が家の場合~ 農業をする気がない人は田畑を相続してはいけない。 耕作しない田畑を持つということは、そこから収入が上がらなくても税金や維持管理のためにお金がかかるということ。 私のnoteは、「我が家の記録」の為に続けているのだが、最近、それを忘れていたのに気が付いた。 よって、これは我が家の田畑に関する淡々とした記録である。 お米と野菜の専業農家だった夫が急逝し、田畑の管理と言う大仕事が突然、降ってきた。 相続した田畑は、大雑把に言うと、「田んぼ」と「大きい畑」と「小さい畑」の3か所になる。 私は田畑の相続を甘く見ていた。 名義が夫から私に変わるだけで、固定資産税と土地改良区の賦課金さえ滞納しなければ、あとはその土地で農業はしなくてもいいものだと思っていた。 いや、正しくは、できれば何かの作物を作ってみたいが、フルタイムで働き残業や休日出勤もたまにあり、更にマイビジネスをしている私は、農業をする時間がとれないのが現状だった。 秋に夫が亡くなり初めて迎えた春に、隣の田んぼの方が我が家に見えた。 そして、「田の周りの草をきちんと管理してくれ」と苦情を言われた。 私は稲作はやれない、だから田んぼはそのままでいいと思っていて、一度も田んぼに足を運んではいなかった。 その方がお帰りになって早速、田植え用の長靴を履いて田んぼを見に行った。 そして自分の田んぼだけ、密林のように草がぼうぼうと生い茂っているのを見た。 これではいけない。 そこで私は、翌朝から少しずつ田んぼの周りの小さな堰の草取りを始めた。 田植え用の長靴は薄く、水の冷たさが直に伝わってきて、世の中、甘くはないと言われているようだった。 2~3週間かけて草を取り除き、やり終わった後ろを振り向くと、最初のあたりにまた草がうっすらと生え始めていた。 こんなことをしていては追いつかないと思った。 私にも他にやることがある。今はどちらかというと、別のことに時間を使いたい。 私は田んぼの堰の草取りをしてくださる方を教えていただき、その方に代金をお支払いしてやっていただくことにした。 これで田んぼの草取りからは解放された。 でも、何も収益が上がらない田んぼに対して毎年税金と賦課金を納め、更に、年数回の堰の草取りのために手数料を払うことになった。 田んぼの相続は農業をする気がないのならするものではない。 これは私の実体験からくる結論だ。 畑の方もいろいろと問題が起こった。 長くなりましたので続きは別の機会にいたします。 今回は 先祖代々の田畑を引き継いだけれども をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

変わったもの。変わらないもの。【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1620日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 変わったもの。変わらないもの。 をお伝えいたします。 祖父がまだ健在だったころ、祖父、両親、叔母たちと一緒に まだ小学生だった私たち3姉弟も手伝って 稲刈りをしていた風景が今でも心の絵画として残っている。 稲を刈るとバッタが「大変だ、大変だ」と言わんばかりに飛び跳ねる。 赤とんぼが稲を刈っている母の麦わら帽子の上にとまる。 手で刈った稲を束ねて棒に差して干したり こま犬のような形にして田んぼに立てて置いたりしていた。 私たち子どもは10時と3時の休憩時間が特に楽しみだった。 いつも食べ慣れているリンゴや梨、葡萄の他に袋菓子が出された。 あの頃は普段、袋菓子を食べる習慣が無かったから、 私たちはそれを目当てにお手伝いをしていたところもある。 母が大きなやかんに水を入れて持って来てくれ、 私たちは普段使っているコップに水を入れて飲んだ。 みんな、田んぼに藁を敷いてそれに体育座りのような格好で座っていた。 藁を厚めに敷かないとお尻がひやひやした。 足元にはバッタが飛び交っていた。 どこもかしこも稲刈りが進んでいて、 その光景をふるさとのお山は静かに見守っていた。 夕焼けの匂いがしてきた頃にお山は赤く染まり始め、 あっという間に日が落ちて実りの秋の終わりを感じさせた。 帰りは父が運転するトラクターの荷台にみんなが乗り家に帰った。 手に持った藁はザラザラして、その先にトンボが止まる。 私は藁を左手にそっと持ち替えて 右手でトンボの羽をつかもうとする。 しかし、トンボは大きなたくさんの目で私を捉え スーッと上に飛んで行ってしまった。 それを見て姉や弟が笑う。 私も笑う。 あの頃は、これがずっと続くと思っていた。 祖父と弟が亡くなった。 私はお婿さんをとった。 父が亡くなり、夫が会社を辞めて専業農家になった。 叔母と母が亡くなった。 それでも夫と私と3人の娘たち5人で田畑を守ってきた。 夫以外はお手伝い程度しかできなかったが、しかし、 我が家が作ったお米を食べられる幸せを味わっていた。 やがて、予告もなく夫が急逝した。 田畑を夫から相続はしたが、農業をすることができない。 稲刈りをしないで冬がやって来るなんて お米を買って食べるなんて 赤とんぼと戯れていたあの頃は思ってもみなかったことである。 田植えや稲刈りをして当たり前だった我が家は、それができなくなった。 刈り取った田んぼに藁を敷いて座り 果物やお菓子を食べながら でき秋を喜び季節の節目を感じる。 何代も続いたその風習を 次の世代は体感できないのかと思うと それを選択した私は胸が痛い。 しかし、我がふるさとのお山は それでも大きくすそ野を広げて 今日も変わらず私たちを見守ってくれている。 今回は 変わったもの。変わらないもの。 をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+