見出し画像

名前を借りるということ

目まぐるしい日常の中で楽しみが一個あって。良くも悪くも無難な日も及第点な日も含め気がつくと頭上には月が出ている。いつもうっかり『あぁ…綺麗』と声が漏れてしまい、漱石に負けている。今日は月が上がる前に“逃げて”帰った。どうせまた負けるから。逃げるが勝ち、そんな日があってもいいじゃないか。


初めてのインタビュー

彼との初“対面”から間もなく一年といったところか。私のラジオもどきと彼のラジオはいつも近場を“ランデブー”していた。漂うというより、揺蕩うに近い、近づいて遠ざかって、そんなこんなで気になって。そんな日々の中で、波は私達を出逢わせた。互いに“おめでたい”を手に入れた日に、私が彼を“釣りあげて”いたようだ。チャンドラーに感謝しなければならない。

彼のラジオに初めてお邪魔した時は、入学式の直後か、転校初日のような気分だった。あの日私は自分の思いを上手く口に出来ていたのだろうか。今でもそこに確信は持てないでいる。

2度目のインタビュー

SNSのご縁は3年という説がある。頷ける話だ。私もかれこれ6〜7年の画面越しの付き合いが指折りだけ残っている。その他は…言わずもがな、“思い出が貼り出された空き家”だけが並んでいる。

再会”の日が決まり、さてどうしようと難題を抱えた。『誰と出ようか…』私は天という名前を授かってからまだ長くない。縁のある人が…少ない。確かに深い付き合いの方はいた。良くラジオを聴きに行き、企画の音源は必ず手を出し、直接感想を話に行った。今でもfanだと豪語し、時々流れてくる“うちの子”を近所の子供を見守るような気分で私も眺めている。でも彼らは呼べない。世界が違ってしまったから。私と世界線が変わってしまったから。

私の“ベストフレンド“。快諾してくれてありがとう。本心は如何かな?いやでも、やっぱり知りたくないな笑。

名前独り歩き

特定の場に腰を据えれば、ある程度知れ渡る“名前”。思惑と理想とかけ離れた形で、名前が先を歩いていく。

自分の名なら構わない。私は私だから、どう映ろうと構わない。ブレない私はここに居る。私がいるから天がいる。それだけで充分だし、それしか事実じゃない。

ただ“他人の看板に触れる”となるとどうか。楽しむだけでは済まない。日常の業務以上にちょっと緊張している。山積みの弔電を読んだり、隣でカメラが回っていたり、礼状300の式アタマでいる方が余程楽だとさえ思う。

初めてって、何も知らない頃って未知数だけど楽だなぁって『あの日楽させてもらってたんだぞ』ってすごく思う。

貴方達はこのメッセージを読むだろうか。

                “波乗り仲間”のラウンジマスター                                                           と                                              今の私のベストフレンド

どうかお願いです。

今日この時の、今の私だからこそ生まれたこのご縁、忘れないでいたいです。あとから噛みしめて2度味わいたいご縁です。沢山話しましょう。思い出にしましょう。私の持てる力を持って、貴方達の魅力、ちゃんと引き出していくから。味わい深い時間にしましょうね。

誰かの掌の上

上手くいかない泡沫の世

生きる為に忘れるが摂理なヒトの世で

出逢ってくれて

ありがとう

(2022/04/03)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?