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妙子さんのこと

私の家の真向かいには私より10歳ほど年上の妙子さん(仮名です)が住んでいる。
20年前、実家の敷地内に私たちは家を建てて、それまで住んでいたアパートから引っ越した。一人娘のわたしが、実家を継いで父と母と暮らすことにしたからだ。
休日家族でどこかへ出かけようとする時、道路に出ようと車が途切れるのを待っていると、庭で草取りしている妙子さんと目が合った。妙子さんは笑顔で頭を下げたり、手を振ったりして来た。まだ若かった私はそれがわずらわしくてしかたなかった。挨拶なんていいから、どこへ出かけてもほっといてくれればいいのに、そう思った。田舎で実家の跡をとるということは、こういうことだ。近所付き合いは避けられない。そのことに正直うんざりしていた。
妙子さんは、この辺りで年が一番上だったこともあって、地域で行うゴミ置き場の清掃や、道祖神の祭りなどでも、女性達のリーダー格だったから、妙子さんにどう思われているか気にならずにはいられなかった。だから、庭に妙子さんがいるのを見つけると、なるべく顔を合わせないようにしていた。
その妙子さんの旦那さんが今年の5月に亡くなった。休みの日に家の前に救急車が停まったのに驚いて外に出てみると、体を支えてもらってようやく救急車に乗り込む旦那さんの姿があった。半年ほど前に、脳に腫瘍が見つかり、もう残された時間はわずかだと、後で妙子さんから聞いた。
3人のお子さん達はもう結婚して、それぞれ別に暮らしている。
旦那さんが亡くなったら、あの家に妙子さんは1人になってしまうんだ。そう思ったら、何だか今まで疎遠にしていた自分が申し訳なく思えて来た。私も息子達はみんな家を出て、いずれは私たち夫婦もどちらか1人になる日が来るのだ。
私は妙子さんが庭に出ているかどうか気にするようになった。妙子さんが草を取ったり洗濯物を干したりしているのを見ると、ホッとする。時には目が合うと、道路を渡って立ち話をしに行くようになった。あんなにわずらわしいと思っていた近所付き合いだったけれど、お互い大事な存在なのだと気がついた。
旦那さんが亡くなる前に妙子さんは眠れない日があると私に言った。「そんな時は、夜中でも電話してください。すぐ近くにいるんだから、いつでも様子を見に来ますよ」私は言った。
亡くなった義母も、施設に住む私の母も、近所の人とはいつも行き来してお茶を飲んだりしていたものだ。私もやっとそういう関係の大切さがわかるようになったみたいだ。

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