見出し画像

【小説】私の明日はどっちだ?10-②

これまでのおはなしはマガジンからどうぞ。

悩んでるヒマもない

年末だからといって気ぜわしさに追い立てられているのは、スタッフ側の都合だ。慣れない事務処理や設備管理など、気持ちだけでは回しきれない業務が山積みされている。琴音さんは涼しい顔でこなしていくけれど、私はお世辞にも手際がいいとは言えなかった。トミさんの、あれあんたまだ終わんないの?という突っ込みに笑顔で応えるのにも疲れてきた。この疲労に見合うだけのご褒美…帰ったら何を食べようか。私の頭の中はそのことでいっぱいになっていた。

「ハルカくん、異動になるらしいですよ」
「え、異動?」

一緒に残業していた琴音さんが、ポツリともらした。このところ休みが多く、ニワカさんに聞いても詳しいことはわからないままで、気になってはいた。でも毎日何かしら起こるので、それに対応するだけで精いっぱいだったのだ。まさかここからいなくなるなんて…。

「最近いないこと多かったじゃないですか。あれ、全国の施設見学しに行ってたみたいなんです。今度は立ち上げから関わるとかで、あんなに若いのに、チーフじゃないかって噂ですよ」

噂って。どこの誰が言っているのかわからないが、もし本当ならすごいことだ。いくつだろうと、ハルカくんに期待が集まるのは納得できる。理想と現実は違うと言われても、人と関わっている以上、相手へのリスペクトや誠意が根底にあってほしいものだ。

「ハルカくん頑張ってるもんね。おめでとうだね。で、いつ頃?」
「まだハッキリとは聞いてないんですけど。春頃かなって話です」
「琴音さん、噂にしちゃ充分詳しいじゃない。…てことは、琴音さんも昇進?」
「それも。もちろんまだわかりませんけど、たぶん…」
てへへ、と照れ笑いしながら琴音さんは言った。

「で、薮田さんもですよ」
「はい?」
「だから。いろいろスライドして、薮田さんも前進、ですよ」

そんなのウソだ。まだ一年もたってないし、仕事はのろいし、失敗ばっかりだし。第一もし任されたとしても、今まではみんなが助けてくれたから何とかなっていたけど、私自身に力があるかと言えば、明らかに、ない。

「いや、それはないでしょう。まだ何にもできないし」
「でもたぶん新しい人入って来そうですよ。その指導とかじゃないんでしょうか。薮田さん、面倒見いいし」
「ない、ない。ああ見えてニワカさん、ここの所長さんでしょう。さすがに経営上、それはないと思う」
「ニワカさんがどう見えてるのかわかりませんけど、人を見る目は確かだと思いますよ。まあ、私にしても薮田さんにしても本当にそうなるか、まだわかりませんけどね」
「琴音さんはきっと上がるよ。能力あるもの。でも、正直ハルカくんがいなくなったらいろいろ困るなあ。私なんて、全面的に頼りきってるのに」
「いつそういう話が来ても落ち着いていられるように、気持ちの準備だけはしておきましょうよ」
「琴音さんはね」
「…」

私はここに来たばかりだから、周りにいる人はずっと変わらずにいてくれるものだと思っていた。いつも助けてくれるものだと思っていた。今までそれに気づけなかったほど、ここでのやりとりは心地よかった。さっきまで、今日は何を食べて元気になろうかということばかり考えていたのに、帰りの道ではまるっきりどこかに消えていた。ハルカくんいなくなっちゃうんだ、あんなに若いのにお給料もっと増えるんだ、すごいな、まてよ、もし私も昇進てことになったら少しはお給料上がるんだろうか、それはかなりうれしいかも、いや実際のところそれはあり得ないか、でも私けっこうここキライじゃないし長くいたいかも…。疲れを感じているヒマがないほどいろいろな思いが頭の中を駆け巡っていた。

*****************

あいかわらずハルカくんは来たり来なかったり、気持ちだけがどんどんせわしくなっていくうちに、気がつけば新しい年を迎えていた。子どもたちが来てワイワイ取材していった新聞が地域の掲示板に貼られ、最近では、それを見て初めてここを訪れる人が増えている。ボンちゃん渾身の記事「ぼくのともだち」はなんと地方版の本物の(?)新聞にも取り上げられ、この辺りではちょっとした有名人になった。次郎さんは、理屈っぽい癖は抜けないけれど時々は立ち止まって人の話に耳を傾けている。なぜか自信をつけたシゲルさんや、おだやかなあつしさんとも何気にうまくやっている。あの時は途中で投げ出したくなるほどつらかったけれど、今となっては結果オーライ。

なんだ。けっこうやるじゃん?私。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?