死んだ絵

首吊り男の絵を書いていたら、お腹が空いた。
ペンを置いて、水を飲む。そうすると、お腹が動き出して、気持ちが悪くなった。
ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん。絵の裏に記した中原中也の詩が光で透けて見えたような気がした。
私はゆらゆらと歩き、台所に立つ。冷たい水をくんで、冷蔵庫を覗いた。

僕は部屋の壁に貼られた、絵を見ていた。絵の中心には、寺山修司の言葉みたいに、ゆあーんと宙に吊られた男がいて、隣には、鋏で首をくくった紐を切ろうとする女がいて、後ろには空中ブランコをする男女。背景は真っ黒だった。
死人に口なし、僕は彼女にこの絵の意味を聞く事ができないから推測でしか物を話せない。
鋏を持つ女は身を投げられなかった女で、首を吊った男は受け止められなかった男だという事は恐らく合っているけど、答え合わせは叶わない。
それでも、ただ一つ分かることは、この絵の男は僕で、鋏を持っているのは君だという事。皮肉なのは、首を吊った男ーーつまり僕じゃなく、この世にいないのは君だと言う事だ。

サンドイッチを作って、頬張る。お腹が空きすぎて、美味しいのか不味いのか、よくわからない。不味いのに美味しいと感じているかもしれないし、美味しいのに不味いと感じているかもしれない。
書き終わったばかりの絵を見た。
誰かに何かを伝える気なんてさらさらない絵だった。
目は、口ほどに物を言う。口は、目より下だが物を言う。では、どちらもなかったら。
口がなく、目を閉じている絵の中の二人は最早、完成した時点で私の元を離れ、何を考えているかなんてわからない。
誰にもわかる必要はない。
私はサンドイッチを詰め込んで、絵をひっくり返した。
見たくない。

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