メイアンの日課

 昼食のサンドイッチ、コーヒーと原稿用紙、ぬれるとただれるインクのペンをトートバックへ入れ、町外れの屋敷の門を開ける。今では門のチェーンは、来る時カフェで百円三枚とかえたコーヒーを持ったままで取れる。
 屋敷の庭は手入れを嫌って申し訳程度の広さしかなく、おかげで屋敷の主が眠った後も、手間がかからずすんでいる。
 重いトビラを押し開け、屋敷の奥へ向かう。大理石の床も、天井のシャンデリアも今となっては珍しくも何ともない。夜中家へ来て(しんしつのマドから。)お前のヨダレの方が美しいよ、と大口を開けて笑った彼が今なら理解る。
 昔は私も、屋敷へ入って直ぐあらわれる大理石のぴかぴかひかる床や、天井のシャンデリアをみて何時間でも歓喜した。大理石の床は天井のシャンデリアをうつして暖かく煌めいて、それはそれは美しかったのだ。
 主が眠ってからは料金が支払われていないのでそれをみるのは叶わないが、望んでもいない。屋敷はどの部分も美しいが、時として虚しかった。
 一番奥の部屋のトビラを全体重をかけ、開ける。
 二階部分までくうはくのつづく天井と、特別な細長いマド。
 そして屋敷の主の眠る棺は、部屋の中央で。
 実は、部屋の中はまっ暗で自分の手すらみえない。私は棺の傍へトートバックとコーヒーを置いて、両手で棺を開く。ギイィ。物音がよくひびく。
 「又ね。」
 手で彼が居るのを確かめる。ずっと若いままの友人はもう六年間も眠っている。
 柔らかいかんしょく。
 居る。
 棺を閉める。
 立ち上がって細長いカーテンを開け、束ねた。部屋の中が眩しいくらい明るくなった。
 埃が舞っている。そうじをしようかとおもって直ぐ、シメキリをおもい出す。
 棺の上で原稿用紙を広げた。こうして一日の仕事を始めるのが私の六年間の日課だった。この屋敷で仕事をするの自体は八年間の日課だ。

 もうしんでいるのかもな。

 けれどもともとしんではいるので、二度目のしを迎えたかどうかは確かめようがない。
 しんでいるかどうかは確かめられないけれど、眠っているなら時機目をさます、等と言って二十代後半で引っ越す筈が、今も本屋が一軒もない町へ留まっている。私が何時までも三文文士をしているのは多分それが原因。

 陽がかたむいて、部屋の中が暗くなる。今日の仕事をやめる合図だ。まぁ、今日は家で夜の部があるけど。三時間前のコーヒーを飲もうとしたら中身がなかった。
 私は朝行った日課を逆再生するみたくカーテンをしめ、棺を開けて閉め、「又ね。」と部屋を出た。出て来た部屋から物音がしたけれど、ポルターガイストじゃないかな。

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