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勉強代にしては勿体ない

月盛です。
他力本願ですが、毎日みなさんに(勝手に)報告していくことで片づけなど習慣化できるようにとなればとそれこそ勝手に期待しています。
もうずっと特別何の策をたてなくても出来ている人はいいのです。

思えば子供の頃から整理整頓が苦手でした。
母からは毎日のように「片づけて!」と言われ続けていて、なのにそれの克服よりどうやって逃げようかのほうに知恵を絞っていました。
学習机の上は何やら積みあがっていましたから、宿題など台所のテーブルでしているのですが、これはこれで勉強しているよ~のアピールにもなり教科書を広げている間は母は何も言いません。
頃を見図って配膳を手伝ったりしながら調子よくやっていたのです。

東京での暮らしが始まる時に母が手伝いのために、来てくれました。
一緒に買い物をして生活用品を揃えましたが、母は八百屋の店先で固まってしまいました。
家では野菜を買うということは無くて”畑から”とる物ですので「きゅうりも買うのか・・・」と呟きながらどうにも心細い目で私を見るのです。
トイレットペーパー、まな板、包丁、ラップとか揃えながら母の心配は大きくなっていきました。
4畳半の狭い部屋でしたから布団を敷いたり畳んだりしないとご飯を食べるテーブルが出せません。
折り畳みの小さなテーブルですがその上に物が積みあがったら・・・母は何度も何度も「出したら仕舞えよ」「食べ終わったらすぐ洗えよ」と繰り返し言いながら帰っていったのです。

定点観察です。
居間は

図書館で本を5冊借りてきますが、だいたい一週間で終わります。
戻しています。


キッチンは

ほとんど外食はありません。
奇麗になりました。


母の心配は的中し、もう一か月後から散らかり生活が始まったのです。
慣れない仕事や慣れない人間関係で帰ったらすぐに寝落ちのような時期を経て、少し慣れたらもうまっすぐに家には帰らないって感じで遊び歩いていました。
テレビや雑誌で見た街に自分がいることが楽しくて楽しくて部屋なんて眼中に無く散らかり放題でした。
洗濯も溜まり明日着て行くものが無ければ買えばいいのです。
安くて見栄えのするものがいくらでもありました。
母からの「大丈夫か?」の電話をうるさく感じて、短い返事で切りながらすぐに忘れていました。
今思い出してみると、酷い娘でした(笑)
その頃はもう遠い日で、気持ちの動きも何を着ていたのかも今は思い出せません。

一日一捨てです。
衣類が続きます。

これも去年ほとんど着た覚えがない。

これも皺が気になる物です。
分かっているのに買ってしまうのです。
最近はそんなことが無くなってきましたが・・・。

若い時のことを思い出すと、時間もお金も勿体ない事をしたと思うのですが多分それも必然だったのでしょう。
やっちゃったなぁ~ってならないと気が付かない事もありますから。
勉強代にしては勿体ない事ですよね。
(タイトル写真は作業机の上・危険ゾーンです)

それではまた明日!

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