働くってなんだろな。

勤労は教育と納税と並ぶ国民の三大義務だ。
そんなことを知ったのは、小学校か中学の社会の授業だ。
その時は別に気にも留めなかったけれども
最近、なぜ働くのかを考えている。
かなり身近な人間が、いわゆる社会規範から外れながらも
自分のやりたことをやっているからだろうか。
理由は、雨の日の山道みたいに霧がかった
不透明さはあるけれども考えているという事実は確か。

個人的に働くということは高校三年の夏からやっている。
高校野球を終えて、受験をするには何もかもが足りない
低辺校だったから、ひどく当たり前の流れだった。
勿論、アルバイトという雇用形態だったけれども。
(今思えば、ひどく劣悪なブラックバイトだったと思う)
それから推薦入試という抜け道で進学先を決めた。
大学に入学してからもバイトは続けながら
昼は冠婚葬祭の料理を扱い、夜は居酒屋という
老舗の料理店でのバイトを掛け持ちを始めた。
お金は欲しかった。でもそれだけではなかった。
理由がそれだけなら、もっといい好待遇のバイトはあった。
都内に出ていたからこそ、余計に地元で働く意味はなかった。
大学四年時には都内の学童保育のバイトを始めた。
高校時代はコンビニで老若男女の相手を。
大学時代は小金持ちと子供を。
内向的な人間とは思えないほど、サービス業に従事してきた。
結論として、色々な人間を観察しておきたかったのだ。
それは将来に向けた一つの布石だった。
就職活動をする時も敢えて大企業や
興味のない職種の採用試験を受けていた。
(勿論、内定は欲しかったけれど本番ではなかった)
就職活動を始める前から明確に行くべき道を決めていた。
正確には高校時代には、ぼんやりと描いていたから
色々な人間と触れておきたかったんだよね。
そして新卒で見事に希望の職種に就職。
気付けば、もう七年目。
一人暮らしも同じく七年目だ。
若手から中堅の狭間に身を置く立場。
留年も浪人も転職も求職期間もしていないから
見事なまでにストレートで綺麗な経歴だ。
(面白みは全く持って皆無だと思うけれども)
転んだことも、立ち止まったこともない経歴は
時代が違えば称賛されるのだろう。
今だって、何もない僕が持つ唯一の武器だ。
でもさ、なんだか嘘を付いている気もしている。
多分、大学二年の夏に出会った一冊の小説の
一小節が大きく影響していることは理解している。

「30になったら、自分の進む道を決める」
現在に至るまで、そこそこ読書を嗜んできたけれども
未だに更新されない僕のナンバー1小説の言葉が
頭に浮かんでは、強く主張する。
「お前は、このままでいいのか?」と。
そんなことを考え始めた矢先に
起業した友人からタイムリーに
「なんで働いてんの?」なんて訊かれるもんだから
コンビニの光に誘われる虫のような無抵抗さで
見事に底なし沼に嵌まっている。
仕事をしていて、楽しいと感じる機会は乏しい。
でも仕事ってのはそういうもんだと
刷り込まれているから、変に飲み込める自分がいて。
良くも悪くも無理が得意技になっている。
【WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント】が
突き刺さるお年頃になったのかなと感慨深さはあるけれど
何度も考える。これでいいのか? と。
そんなことを考えているからなんだろうか
仕事中に引き継ぎ事項をまとめ始めている。
別に離れる予定もないのに。
これが本音なのかな、とは思っている。
小説内で大好きで憧れの彼が残した言葉を
今宵も頭で反芻して、将来を考えることにしよう。
そして小室哲哉が書いた詩を唱えてから眠ろう。

「自分で動き出さなきゃ何も起こらない夜に何かを叫んで自分を壊せ!」

文責 朝比奈ケイスケ

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