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小説✴︎梅はその日の難逃れ 第43話

➖ 千鳥 ➖

よろしくお願いします」
千鳥はゆっくりと頭を下げた。
専門学校を卒業し、小さな映像制作会社に就職した千鳥は、研修が終わると、大手の映像会社のプロジェクションマッピング部門に派遣社員として入ることになった。
受付で、部長の坂上が迎えてくれた。(部長さん。人の良さそうなおじさんと言う感じ) 千鳥は少しほっとした。
「おはよう。米村さん。面接以来だね。今日は早速、チーム会議がこれからあるんだ案内するよ」
「はい」
坂上の後を、そろそろとついていく千鳥。
(さすが大手!オフィスもかっこいい。絨毯もふかふか)期待と不安を抱えつつ、千鳥は履き慣れないパンプスのかかとを気にしながら歩く。
エレベーターの30階で降り、数メートル歩くと青い市松模様のドアの前に、坂上が立ち止った。
「米村さん、ここがチームのミーティングルーム。僕が最初紹介するね」
「ありがとうございます」
千鳥は少し緊張しながら自分の夢の第一歩が、ここから開くことに喜びを感じていた。
ドアが開くと、20名ほどの社員が一斉にこちらへ目を向けた。
スーツ姿の人は1人もいない。それぞれ個性的なファッションに身を包み、座っている。
1番奥でサングラスをかけた男性が目に入り、千鳥は少し緊張度が上がってしまった。

「今日から、このチームに派遣として来てくれた米村さん。よろしく頼むよ」
坂上部長が言うと、コーヒーカップを音を立てて机に置く人がいて、びくっとした。さっきのサングラスの男性だった。
(ちょっと、怖いんですけどぉ)
千鳥のすくんでしまった肩に手をかけた女性が
「よろしくね。私、上野飛鳥。アスカって呼んでいいわ。ここのチームは全員、名前で呼び合うの米村さんの下の名前教えて」
「あ、すいません。申し遅れました私、米村千鳥といいます。千の鳥でチドリです。よろしくお願いします」
「あら、私は飛ぶ鳥でアスカだから、鳥仲間だわね」
飛鳥は笑顔で近くの椅子を指差す。
「ここ座ってね。千鳥ちゃん」飛鳥は背が高くモデルのようで、ぴたっとしたデニムパンツに白いシャツが似合っている。よく見ると、どの人も私服がおしゃれだ。千鳥の野暮ったいリクルートスーツでは明らかに浮いている。席についてひと呼吸すると、1番奥にいた女性がよく通る声で言った。
「千鳥さんようこそ。千鳥ちゃんでもいいかしら?」
「は、はい」千鳥はか細い声で答えた。
すると
「声が小さい!聞こえないよ!」
あのサングラスの人が言う。
もともと引っ込み思案で、大声では話さない千鳥には、早くも叱られたようで、少し半べそ顔で
「は、はい!」と声を張って答えると
「洋ちゃん、いじめないの!」
1番奥の女性が言い
「私はこのチームのリーダーで、松原雅子みんなは、“マサねぇ”って呼んでいるけどね」
(わー、女性がチームリーダー!かっこいい。そして、すごい美人)
千鳥はますます緊張してきて、体が少し震えてきてしまった。
すると、さっきのサングラス男が立ち上がり千鳥の近くにやってきた。

「俺がここのサブリーダー。ドリちゃんよろしくな」とサングラスを外した。
少し脅えた千鳥は、目を合わせられずにいたが、ドリちゃんと呼んだので、思わず顔を上げてその男を見た。
「覚えてる?俺、野崎洋平」
「えー!?」
さっきの声とは、裏腹の大声を出してしまう、千鳥だった。
「洋ちゃん知り合い?」雅子が驚きの表情で聞く。
「じゃあ、千鳥ちゃんのこと洋ちゃんに頼むわ」
野崎は笑顔で、千鳥に握手をしてきた。

『あけぼの』の閉店イベントで、野崎と知り合った千鳥と駿太郎は、専門学校D&Cのオープンスクールに、野崎が案内をかって出てくれた。
その後、千鳥と駿太郎はD&Cを受験したが、俊太郎は合格したものの、千鳥のほうは試験に落ちて、違う専門学校へ進んだ。
オープンスクールの時以来の、野崎との再会であったが、少し心細かった千鳥には笑顔の野崎を見て、少しほっとした。
千鳥にとって【君にもきっと出来るよ】と言ってくれた、野崎の言葉に、つき動かされ、ここまで来ることができたし、道標のような存在だった野崎と、また会えたことに、喜びを感じていた。
野崎のおかげで、すぐに千鳥はみんなから“ドリちゃん”と呼ばれるようになりチームにも馴染むこともできた。


雅子のチームで、ある大きなイベントがあり、仕込みで深夜になってしまった日。全員が明日の朝も早いので、社内の仮眠室に泊まることになった。
千鳥も自分の仕事が終わり、仮眠室に向かう途中、自販機の明かりだけになった喫茶室に、ひとりでコーラを飲んでいる野崎を見つけた。
「お疲れ様でした」
千鳥は野崎に声をかけた。
「ドリちゃんお疲れ。早速泊まり仕事になったね。ひと段落ついた?」
「はい。洋さんは?」
「俺は後少しかな?データの確認がある」
「バグが無ければいいですね」
「ああ」飲み干したペットボトルをゴミカゴに入れる野崎に
「あ、あの洋さん少し話してもいいいいですか?
「うん何?」
「私、『あけぼの』の閉店イベントの時、洋さんと初めて会って言ってくれた【君にもきっと出来るよ】って言ってくれたその言葉で、ここまで来ることができたんです。
何の夢もない私が、D &Cには入学できなかったけれど、専門学校も何とか卒業して仕事をさせていただけるようになりました。
洋さんには、本当に感謝しています」

「おおぅ。俺そんなこと言ったっけ?まぁでもホントだよ。夢は叶ったんだね。でもそれは、ドリちゃんの頑張りだ。これからが本当の意味で大変だけど、ドリちゃんの頑張り、俺に見せてくれよ」
「ありがとうございます。がんばります。足を引っ張らないように」

千鳥は野崎にやっとお礼を告げることができて、疲れてはいたが心地良い眠りにつくことができた。


「ドリちゃんは、春翔とは連絡をとっているの?」とある日、野崎に聞かれた。
「パンダ仲間なので、写真をたまに送ってくれてます」
「へえ、そうなんだ」
「ただの……パンダ友達です」
小さく呟く千鳥の言葉と少し寂しげな顔に野崎は
いまだに千鳥は春翔への想いが残っているんだと悟った。

ちょうどその頃、和歌山の熊野古道のイベントで、プロジェクションマッピングによるイベントの仕事が舞い込んだ。
期間限定で派遣だった千鳥にとっても、これが野崎たちチームとの最後の仕事になる。
野崎は一計を案じた。
自然の森が相手の仕事に、植物のことがよく分かっている春翔に手伝ってもらおうと思い立ったのだ。

春翔と久しぶりに連絡を取った。
快く引き受けてくれて、しばらく一緒に仕事が出来ると野崎自身も嬉しかったし、千鳥も喜んでくれるのではないかと思った。

東京から機材を運びながら、トラックやワゴンを使って和歌山の新浜まで移動。
全員が到着したところで、マサねぇがスピーカーを手に、皆に声をかける。
「お疲れ様でした。でもこれからが本番なので、今まで詰めてきた計画に沿って事故のないように仕上げて行きましょう!今回も洋ちゃんに、細かい調整も任せたので、従ってください」
洋平にスピーカーを渡すと
「えー、本日より熊野古道の仕事にかかりますが、自然が相手です。また世界遺産を傷つけないように、機材一つ置くにしても神経を使ってください。
それもあって、今回は、植物に詳しく造園業で働く和歌山在住で僕の友達に、手伝ってもらうことにしました。桜井春翔君です。よろしくお願いします」

後ろの方で皆の影に隠れて立っていた千鳥も、びっくりしてぴょんぴょん飛び跳ねて様子を見た。
「え?本当に桜井さん?」千鳥は慌てた。
「桜井は和歌山といっても白浜の方と、ちょっと離れているので何日間は僕達と一緒に宿も使ってもらって仕事したいと思います。じゃ、自己紹介して」洋平が促すと
「桜井春翔です。僕の知識が皆さんのお役に立てるといいなと思います。しばらくスタッフと関わらせていただきます。よろしくお願いします」
みんなから拍手がわく。
千鳥もあまりのサプライズに
ボーゼンと手を叩いていたが、すぐに春翔は千鳥に気付き駆けつけた。
「千鳥ちゃん、久しぶり!元気そうだね」
「桜井さん、来るなら来るって連絡してくれたらいいのに、驚きましたよー」
洋平も来て「へへ、ちょっとサプライズにしたかったの!まずは成功?」
「洋さん!」
「え?千鳥ちゃん、野崎のこと洋さんって呼んでるの?」
「あ、ここのスタッフはみんな名前呼びで」千鳥が言うと
「そ、だけど、ドリちゃんは俺が付けた」そう言い笑う洋平に
「じゃあ僕も千鳥ちゃんじゃなくてドリちゃんにするか、確か凛もそう呼んでたな」と春翔が言った。
ドリちゃん呼びを、春翔がしてくれると、何だかお互いの距離が一気に縮まった気がした千鳥だった。
「じゃあ俺も野崎は洋平だし、春翔って呼んでいいよ、ドリちゃん」
「……じゃあ春翔さんで」小さな声で呟く千鳥に
「声が小さーい!」と洋平が言い
「春翔さん!」と千鳥が言い直すと
「はい!」と手を挙げる春翔に皆が笑っていた。

熊野古道の仕事は順調に進み、無事終わることができた。
機材の撤収も済み、帰り支度をしていた、野崎は千鳥に声をかけた。
「今日はみんなで打ち上げだな」
「はい」
「もちろん春翔も呼んでるから」
「あ、はい」
微笑みかける洋平は
「もう、またしばらくは会えなくなるし、春翔としっかり話したり出来ると良いな」
「え?そ、それはどう言う?」
「ドリちゃん、春翔の事好きなんだろ?」
「え、あ、その、え?」
しどろもどろの千鳥に
「頑張れよ!」と言い、自分の車の方へ行ってしまった。

(きゃー。洋さんが何で?そ、そりゃ好きではあったけど、失恋したし
春翔くんには、私なんてただのパンダオタクとしてしか見てないだろうし。こんな私を
それ以外で見てくれるわけもないし。まして恋とかしないって決めたし、フラれて傷つきたくないし……)
あわあわしている千鳥に
「どした?ドリちゃん?」
飛鳥が声をかける。
「いえ、何でもないです」千鳥も我に帰った。

春翔は撮影が始まるまでの仕込み段階まで、現地で手伝ったが
1週間程で白浜の方へ帰っていた。
その1週間の間もかなり忙しく、千鳥も春翔と話す時間もほぼ無かった。
この打ち上げで、ようやく春翔と話す時間も取れるだろうと思ったのだった。

野崎は打ち上げの店の前で、春翔を待った。すると一台の車が店の前に停まり、春翔が姿を現す。春翔が助手席から出てきた車を、運転しているのは女性だった。
ちょうどそこに千鳥も到着し、鉢合わせとなり、その様子を見て立ち止まった。
野崎はまさかこんな事になるとも思わず、少し引きつった笑顔で春翔に声をかけた。

千鳥も野崎も少し驚いた顔で、春翔を見たので「あ、今日は車で送ってもらった。彼女、今付き合ってる人。マキさん」と春翔は紹介した。女性も「こんばんは。運転席から失礼します」と挨拶した。

「こんばんは。私、先に入ってますね」
千鳥はそっけなく、ドアを開けて入って行った。
何気ない顔をしたけど、本当はさっきまでの期待の気持ちから、ガクッと落ち込んだ千鳥だった。

「マキさん。ありがとう、帰りはタクシーで帰るから、休んでて」
春翔はマキに言うと
「うん。わかった」
マキは車を走らせた。

車が去った後、野崎は
「何だ、おまえ、付き合ってる彼女居たのかよ。え?一緒に住んでるの?」
「ああ、うん。最近彼女の部屋に
引っ越した」
「あぁ、もっと早く知ってれば」
「どういう事?」
「あ、いや、何でもない。まぁ入れや」
「おう」

(せっかくドリちゃんを喜ばそうと思ったのに)
野崎は、春翔に彼女がいるのを知らずに呼んでしまい、かえって千鳥を悲しませことになるとは……。
自分の不甲斐なさに、せっかく仕事は大成功したのに、打ち上げの気持ちではなくなってきた。

打ち上げの間、春翔は千鳥の気持ちに気がつきもせず「仕事中は話せなかったから、久しぶりだし隣に座っても良い?」と自ら千鳥の隣に座ってきた。

その時、春翔からマキは、パンダの写真でオタクには少し有名な『さくらまき』だと知らされ、千鳥は彼女のファンでもあり、なおのことショックだった。しかも『五十嵐マキ』から『さくらまき』になったことを知っていたのだ。
(これって、桜井のさくらじゃないの?)二人の仲の良さをアピールされてしまっているから、尚更笑顔もひきつった千鳥。

打ち上げでは、「千鳥ちゃんはほんとに気が利くからすごい助かったよ」「頑張り屋でいいよね」「また手伝って欲しいよね」と口々に千鳥を褒めてくるスタッフたち。
「いえいえ。こちらこそ温かく接してくださりありがとうございました」と千鳥も答える。
みんなが次々と千鳥のグラスにビールを注ぐ。普段ほとんどアルコールは口にしない千鳥だが、ビールだけは多少飲めた。「おいおいアルハラになるからあんまり勧めるなよ」野崎が牽制するが「大丈夫です。少しなら。この、めはりずしとビール、合いますよね」と千鳥は答えると、目の端に春翔が見える。ニコニコ微笑む春翔の笑顔に(やっぱりまぶしくてずるいよ。こんな笑顔見せられても、さくらまきさんが彼女なんだよね。きっと彼女にはもっととびきりの笑顔を見せるんだろうな)そう思った後、千鳥はグラスのビールを飲み干した。


心に引っかかる、小さなトゲのようなものを流せるような気がした千鳥。ビールを飲む毎に心のひっかかりは流れていったのか、酔いが回って麻痺していったのか、千鳥自身もわからなかったが、眠くてしかたなくなってそれでも春翔には、他愛のない話と何でもないようなふりをした。
しかし、それからまもなくその後の記憶を、無くしてしまった千鳥だった。

「ドリー、ドリちゃん大丈夫?」頭の上から声が聞こえた。薄目を開けると誰かの膝枕をしてもらっているのが分かった。結局飲み潰れた千鳥は、春翔を本当はまだ、好きだったと気がつかされた夜になった。

しかし千鳥は、これで春翔に対してのあきらめの心がはっきりし、好きな人は作らない方がいいと、より一層思うのだった。

酔い潰れた千鳥を介抱して、宿まで送っってくれたのは野崎だった。
次の日、二日酔いの千鳥はやっとのことで起きて来たが、すでにチームのみんなは東京へ出発してしまった後だった。
自分の車で来ていた野崎は、一人残って、千鳥を送ってくれることになったと言う。
「ええ!す、すみません。ご迷惑おかけしてしまいました」
「いや、大丈夫。チームのみんなも反省してて。飲ませすぎたって。だからこれ」
笑いながら野崎が見せた。
コンビニ袋を開けると、二日酔いに効くドリンクや千鳥が好きそうな食べ物がたくさん入っていた。
「これ、みんなから託されたよ。とりあえず、俺がドリちゃんちまで送るよ」
「ありがとうございます。アタタタ」
頭を下げるが、頭痛がする千鳥は
荷物を簡単に詰めて、車に乗り込んだ」

野崎の運転は優しく、千鳥はうたた寝しているうちにパーキングエリアに着き、休憩に入った。
「ドリちゃん。どう?気分は?」
「あ、だいぶ良いです!なんかお腹空きました」
「あはは、それなら大丈夫だな。よし、なんか美味いもの食べよ」

東京に近くなる頃はすっかり体調も戻り、千鳥の笑顔も戻ったと感じた野崎は、ホッとした。

千鳥の家の前に到着。
「あ、ここが我が家です」
「え?ここ?すごいお屋敷じゃん!
ドリちゃんってお嬢様?」
「曽祖父が実業家だったってだけです。今は女3人で細々と暮らしてます」
「へえ」
「あの、良ければ少しひと休みしませんか?長時間、ドライブさせてしまったので」
「良いの?」
「と言っても、うちの家で始めたカフェなんですが、良かったら」

駐車場に車を停めて、裏戸から入ると
家のテラスに直接行くことが出来
そのまま元応接室である「AKEBONO」の入り口になる。
案内されて野崎は
「へえーオシャレな和洋折衷のお屋敷なんだな。良いねえ」
「ありがとうございます。元は応接室だったんですが、カフェとして利用してもらってます」
「いや、良いよ、ここ」野崎は辺りを見回して言った。

入ると愁が
「いらっしゃいませ。あ、千鳥ちゃん。おかえり」
「ただいま」
「仕事は無事終わった?」
「はい。今日は派遣先の先輩が和歌山から車で送ってくれました」
「おお、それはお疲れでしょう。どうぞどうぞ」
「お邪魔します」
「先輩の野崎さんです」
「僕は、ここのカフェをやらせていただいてる露木です。千鳥ちゃんがお世話になりました」
「野崎です。いえいえ、彼女頑張ってくれたんで、大変助かりました」
「野崎さんは春翔さん、あ、櫻井さんのお友達なんです」
「へえー。春くんの」
「洋さん、こちらの露木さんがここの前やってたカフェに、桜井さんがアルバイトしてたんですよ」
「あ、だったらオレ一度寄ったことあります。古民家のカフェ!」
「おお、来ていただいてたんですね」

そこから愁も野崎も話が弾み、出された食事に野崎も喜んでくれた事に、千鳥も嬉しかった。

「洋さん、本当にありがとうございました」
「いやいやこちらこそご馳走になっちゃったな。カフェ、良かった。また来るよ」

3日後の派遣終了の日、挨拶をしながら野崎にもお礼を言うと、野崎の方から「俺こそなんかごめん。お詫びに何かあれば何でも協力するから言って」
「いえ、こちらこそ、ご迷惑をかけしてしまいました。こんな私ですが、これからも映像のことをいろいろ教えてください。相談に乗ってください」

それから千鳥は派遣が終わってからも野崎とは、仕事の相談などで連絡を取るようになっていた。まるで兄のような父のような、千鳥にとって心の安らぐ人だなと思うようになっていった。


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