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小説✴︎梅はその日の難逃れ 第38話


『あけぼの』の閉店イベントで再会した小春と千登勢は、昔話に花を咲き
その後も、長かった別々の時間を埋めるように、毎日のように寄り添い、足に障がいがあるため、ほとんど外出しなかった千登勢が、見違えるようにいそいそと出かけるのだ。

千登勢の娘であり春翔の母、春月《はづき》も明るくなっていく父親を見て嬉しく思っていた。
その上、以前は千登勢が出かける時は、春月が付き添うようにしていたが、小春がそばに居てくれるようになって付き添いも不要となった。

「春月さん、私が一緒の時は大丈夫よ。何かあったら連絡するから、あなたの時間を過ごして頂戴」と小春が申し出てくれた。
春月も、そんな小春の気遣いに感謝するのだった。



千登勢は少しづつ、小春と別れてからの事を聞かせてくれた。
父親の死後、未成年であった為、別れた母親の元へ身を寄せだが継父のいる家では、やはり居心地は悪く、千登勢は家出を繰り返していた。
それを見かねた幼馴染の待子の母が
「うちで預からせてもらえないか」と千登勢の母に言ってくれたのだ。

それから千登勢は、待子の家で世話になりながら、実夫の知り合いの庭師のところで、働かせてもらうようになった。
腕を磨いて独立もできる頃には、年頃となり待子と一緒になった。
小さい頃から待子の想いには気づいていたものの、妹のように思っていた千登勢だったが、健気に支え続けてくれた待子とその家族にも恩があった。

幼い頃の家族には、いい思い出がない千登勢とって、自分に愛情を向けてくれる待子や家族と世帯を持つことは、ある意味、憧れでもあった。
待子との結婚は幸せだった。
待子の愛を十分に感じる日々。千登勢も自分や家族の世話を甲斐甲斐しく務める、良妻賢母の待子を愛おしいと、年を経るごとに思うようになっていった。

やがて二人に長女が生まれた時「子供の名前は私に付けさせて欲しい」と待子が言ってきた。
自分からお願い事をする女では無く、珍しいと思い「ああ、苦労して産んだ我が子の名前は、待子がつけておくれ」と千登勢は快諾をした。

それからまもなく
待子は半紙に書いた名前を
赤ん坊の枕元にさげた。

「命名 春月」

「千登勢さん、どうかしら?
春月と書いて《はづき》って言うの」
微笑みながら待子は言った。
「8月生まれだから、『はづき』は
いいとしてなぜ葉月ではなく春月なんだ?」と千登勢が聞いた。

「千登勢さんは『春』が好きでしょう?木々が芽生える季節が。だから葉っぱではなく『春』にしたの」

そして二人目の子供が授かり
男子だった赤ん坊にも待子は『友春』と
名付けた。



体が弱い待子だったが
孫の春翔が中学生になる頃
持病が悪化し、入退院を繰り返す様になった。
医者からも、余命が少なくなってきた事を告げられた。

その日、待子の枕元に千登勢が寄り添っていると
「千登勢さん、今までありがとうございました。私の夢はあなたと一緒になる事でした。体の弱い私をもらってくれて夢を叶えてくれました。幸せでしたよ。でも、次はあなたの夢が叶う様に、私は見守らせてもらいますね。
子供達に『春』を付けました。せめてもの恩返しです。大好きな『春』です。あなたの大好きな“人“の『春』の字よ。……あなたの幸せ祈ってますから」

そう言った後、待子は意識がなくなった。安心したのか、眠る様な最後の姿だった。
待子は知っていたのだ。それでもどこまでも千登勢を思いやる待子の心を知り、千登勢は号泣するのだった。

小春との別れ際に、もらった梅干しを千登勢は今でも大切に持っていた事も、待子は知っていた。そして、あの雷の日の二人を待子は、物かげから見ていたのだった。

千登勢は一介の庭師から、『木杉ガーデン』という造園会社を起こし、大手と言われるまでにした。
取引のあったゼネコンで営業だった桜井が娘の春月と結婚し、木杉ガーデンの跡を継いでくれて、千登勢は現役を引退した。


千登勢から話を聞いた小春は
「待子さん、色が白くて小さくて
いつも千登勢さんの後ろを
着いてきていましたから、よく覚えています。可愛らしい女の子でした。
そしてどこまでも千登勢さんの事を想われていたのね」
小春もまた、涙を流した。

「支えるだけの一生だったとは思いますが、最後に幸せだったと言ってくれた顔は、決して嘘じゃなかったと思います。私がお嬢さんに想いがあったことを知っていたとしても……私にとって待子は、良い妻のまま心に残っております」
千登勢は空(くう)を見つめて言った。

小春も仏壇の待子の遺影を
しみじみと眺めた。

「お嬢さん、いや、小春さん。今回またこうして小春さんと会えたのは、待子のおかげと思っているのです。この出会い、待子にも感謝なんです」

「私も亡くなった夫には幸せにしてもらって、感謝しています。お互い色々あっても、いい人生を送れたのかもしれませんね」
「そうです。でも、こうしてまた出会えた。残りの人生を、若い頃の夢を取り返す生き方してもいいんじゃないかと、最近思っているんです」

「では、そろそろお暇《いとま》いたします」
小春が玄関へ向かうと
見送りに来た春月は、小春に言った。

「父がここ最近、すごく明るくなって
幸せそうなんです。小春さんのおかげです。いつでも来てくださいね」
「ありがとうございます。そう言って頂いて、私も嬉しいわ」
「息子の春翔がお世話にもなってましたものね」
「いえいえ、こちらがお世話になっていたんですから、こんなおばあちゃんの相手をしてもらえて」

そして、春月が打ち明けてくれた。
「小春さん.私ね。自分の名前の由来を
実は母から聞いていたんです。父の初恋の人は『春』がつく名前で、本当は父が結婚したかった人だったって。
初めて聞いた時は、母がどうして子供に、かつて父が好きだった人の名前をつけたのか、理解できませんでした。
母は、大好きだった父と結婚して、一緒に苦労できたことさえ、幸せだったって言っていました。だから、せめて父の1番好きだった人の名前をつけてあげたかったって聞いた時、これが母の愛の示し方なんだって思ったんです」
小春は「本当に、待子さんは心優しく、千登勢さんを愛していらしたんですね。素敵な奥様、お母様でしたね」
と言って涙ぐんだ。


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