見出し画像

日記58:「ミラン・ケストレルのアクスタが届きまして」

ようこそ!

私はグッズを買うタイプのオタクではないことを自負している。
これまでに買ったものを挙げても数個にしかならない。たとえば手元にあるwowakaのアクスタ、これは彼の遺影みたいなもんだ。箪笥の上に袋に包まれたまま飾ってあるのはバンド、「まちがいさがし」のシャツである。その程度と、あとはスマホに保存された、最近買うようになった星導ショウとミラン・ケストレルのボイスくらいである。

私は一生アクスタを買わないつもりでいた。アクスタだけでなく、かたちとして残る、遺るグッズとか、そういうものを。
なんとなく、物を飾るということに執着したくなかった。そう思ったのは数年前にwowakaのアクスタを買い、部屋の隅に置いてからだった。私の中で彼の死は特別なものだったし(参照:https://note.com/tukidekka/m/m2e740a21b665)、特別なものとしていたかった。彼の死を乗り越えないことで負った傷をほじくり返して膿ませたままにしたかった。

ミラン・ケストレルという人間は、なんだか特別だと思った。
私は硬質な光が好きだ。ガラスを破ることなく空より降りて机にさす日光、水面で飽くことなく踊ったまま一生を過ごすきらめき、どこまでも遠いままであってほしいと願う月も星も、なんとなく好きだ。
私の名前の鯨月は彼の所から拝借した。配信の端々で月とか星とかに触れる彼を見て、なるほど、これがきらめきかと思った。

物を飾ることに執着はしたくない、やはり。
見えないもの、存在しない陰影、空想の中で生きる質感が好きだ。人間の思考はどこまでも伸びやかで艶やかで、それこそ夜空の月に負けず劣らずの可能性が、魅力が、ある。
それはそれとして、彼に感じた祈りを捨て置くのは、なんだかもったいない気がした。私がなにかにこうも強い祈りを見出すことはないだろうと思った。この先生きていく中で、大切なものにしてもよいだろうかと思った。

届いたそれを開封してちょっと驚いた。
アクスタ、わりにデカい。隣にあるwowakaと観葉植物も驚いている。
ちなみにこの観葉植物、なんの気なしに買ったものだったが、なんでも別名を「宇宙の木」というらしい。これも縁。


陽の当たるところで
定位置に悩む

いいなと思ったら応援しよう!