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日記181:「星導ショウのにじさんじフレグランスにハワワ…するオタク」

の、話。

にじさんじフレグランスなるグッズが存在することは知っていた。これでも一応3年か4年はコンテンツを追い続け、コンテンツに救われ続けている身であるからだ。
しかしながら、しかしながらだ。
それはあくまで対岸の火事、ただし大人数でバーベキュー大会!みたいな話で(葵井巫女子構文?)、それがまさか近年夢中になっているライバーのグッズとして出るだなんて思わないだろう!と頭を抱えているのだ。昨日から延々と…。

正直、ほしい。
にじさんじフレグランスはほしい。香水にまったく造詣の深くない人間が買うのもどうかと思うが、いやまったく思わないが、とにかくまあ、ほしい。
ほしいけれど、しかしフレグランスというのは、消耗品である。つまるところ、使うとなくなるものなのである。
私は自分の死を信じていないおかしな人間なので、うんと長生きすることを想定しているわけだから、使ったらなくなるものはあんまり大切にできない。できないというか、所有して情を移したくない。なくなったときに悲しくなりたくない。悲しい感情は大嫌いだ。

人は人を想起する際、声から忘れていくという雑学を過去に聞いたことがある。あれも確かにじさんじに関連して知見を得た雑学だ。黛灰、彼が引退すると声明したときに誰かがそう書いていた。
私は声が思い出せなくなることは今のところはあんまりないけれど、けれど味覚と嗅覚の記憶が非常に弱い。一般にどうなのかはわからないが、なにかを頭に思い浮かべるとき、私はそれが実際に脳内で再生される。物体だったら視覚的に脳裏で浮かぶし、声はやはり脳内で再生される。そういう流れで行くと、私は味や匂いはまったく再生されないというわけであった。

うんと先のことだとは思うのだが、ミラン・ケストレルのにじさんじフレグランスが発売されるとなったら、私は気が狂うと思う。死ぬほど悩み、悩み、そうして悩んでいるうちに売り切れてくれはしないだろうかとどこかで願ったりすることが容易にできる。
そうならないように星導ショウのフレグランスを買っておきたいような…気もするが…どうするべきなのか。死にそうだ!

おまけ。
るべぱぺが本日届いた。思っていたより小さいいのちでびっくりした。なんてキュートな…。

夏ごろにミラン・ケストレルのぱぺが届くので大きめのポーチを買ったのだが、だいぶ大きすぎたな…となった。ちいちゃいねえ…

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