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回想と夢

はじめに

私は何者にもなれない人間だとつくづく思う今日この頃。日常の中で人知れず推しに励まされたり、やっぱり夢は追いかけたいと思ってしまったり。そんな日々。

私は一体何になりたいのだろうか。
そう、考える時はいつもなにかが終わった後だったりする。大学の合否を待っている手持ち無沙汰な日々に夢を考えてみることにした。

私は1度夢を追いかけて挫折した経験がある。
気持ちに余裕がなくなって追いかけられなくなった。それだけで私の心は折れてやりたいことを失った。

あの時のような絶望感はもうきっと経験しない。だから今から前を向こう。

きっと私は何者にもなれない。
でもずっと、なにかになりたがってる。この先も

将来の夢には色々あると思う
この職業がしたい
そんな思想を持った人になりたい
あんな関わり方のできる人間になりたい

どんなこともこなせるようになりたい

過去

生きた心地のしない日々

私は2021年の4月まで虐待家庭で育った。
虐待と言うとみんなが何を想像するかは分からないが、私の家庭は、身体的虐待や心理的虐待、ネグレクトなどに該当するようだった。
母子家庭だった。

児童相談所には何度か訪問という形で様子を見に来てもらっていた。

私の虐待は私が成長するにつれエスカレートしていったもので、最後の方は、記憶が断片的だが、痣ができるようなことも食事を取らない日も増えていたと思う。

(この家は腐ってる
私はもう死体みたいなものかな)

母への強い憎悪をベースに飢餓感と痛みに軋む体で早く眠ることを考えていた。

ある日、母が自殺未遂のオーバードーズをして夜方に入院した。私はその時同じ家にいたが運良く眠っていた。犬がいるので、と言って未成年の私は、1晩家で留守番をすることにした。本当は危険だから子供が家で1人でいちゃいけないんだが。
病院の帰りに、送ってくれる警察に、児童相談所に連絡する事を頼んだ。
では、警察が保護しに向かいますので先程控えさせて頂いた電話番号に連絡させてもらいますね。
そんなようなことを言っていた気がする。それで一縷の希望が見えた。

変貌する環境

こんな家はおさらばだ!
と思った私は最後に家の掃除をした。深夜に。
母が暴れて荒れていたリビングを片付けた。
何日前からあるのか分からない洗い物を洗った。
夜の犬の散歩にも行って、
泥中でも清々しさを感じていた。

朝10時。知らない番号からの着信に出ると警察だった。今行きますねー。と言われたので待っていたらすぐ来た。そして警察署に向かう。

そこからも笑えるけど長かったw

警察署で3時間聴取を受けて
スマホを受け渡してから
児相まで2時間かけて行った。
そこから児相職員と話をして
一時保護所に2,3時間かけて行った。

1日でこんなに色んな人と話すのは久しぶりで動揺しっぱなしだった。

ちゃんと一汁一菜揃ったご飯を見るのも久しぶりで感動した。
お腹が鳴って食べ始めたのにも関わらず
大半を残さなきゃいけないぐらい胃が縮んでいる事に悲しくなった。

そこから私の周囲の環境は、
基本的に上昇の一途を辿って行った。

今と夢

得がたき今

しがらみを捨てて、私は過去を思い出せない時があった。それは幸せなことでもあるけど異質な証拠でもあった。

代わりに色んなものを得た。以前とは比べ物にならないぐらいには幸せで、だけど人よりは不幸せな私の人生。

思い出せない過去は、たまにフラッシュバックして私を苦しめるけど、
思った程辛くはなかった。

だから、今は大丈夫。

夢のことを考えよう。
そう思った。

夢を見せる夢

夢。
子供時代に都度問われるその答え、
私は小学生時代、
キラキラ輝くような職業だったり
人気職業に夢を見ていた。
夢だった訳じゃない。
厳密に言うと夢などなかった。
今、その夢を考えると
ひとつ思い浮かぶものがあった。
あまり変わらないんだな。と思う。

私の羽が育てばいいのになーと願う。

不条理な世の中で。

おわりに

今回の記事も虐待の暗い話が多くて
申し訳ないです(´._.`)

この記事を公開する事は、私にとって
やる気を出すための宣言でもあります(笑)

読んで頂きありがとうございます。

これからもよろしくお願いします🙇‍♀️

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