見出し画像

【つながる旅行記#241】駅前から楽しませてくれる敦賀を歩く【都怒我阿羅斯等】

三方五湖のサイクリングからまた何日か経った。

初めての福井旅行は非常に満足の行くものになったが、前回巡ったのは福井県西部のみ。まだまだ福井の見どころはあるはずだ。

そんなわけで次の休みにまたもや福井県にやってきた。

今回訪れたのは敦賀(つるが)だ。

この前行った美浜町のすぐ横、福井県の真ん中くらいに位置している。

敦賀
敦賀駅
木のぬくもり

……おや、なにやら駅前にある銅像が手を上げている

ちょっと近づいてみよう。

しかし鳥浜貝塚の縄文人といい、福井の像は手を挙げがちなのだろうか。

さてさて銅像の名前を見ると、『都怒我阿羅斯等』というらしい。


……な、なんて?


『日本書紀』では「都怒我阿羅斯等」、他文献では「都怒賀阿羅斯止」「都怒何阿羅志止」「都奴加阿羅志等」とも表記される。また『日本書紀』では別名を「于斯岐阿利叱智干岐」とする。

都怒我阿羅斯等

(こりゃ駅前からすごいもんをぶちかましてきたな…!)

なお読み方は「つぬがあらしと」。
別名の読み方はというと、「うしきありしちかんき」。


……はい。


まあ名前はともかくこの人物が何なのかというと、古代朝鮮の王子であり、敦賀(つるが)の地名の由来になったといわれている人らしい。

都怒我阿羅斯等には額から角が生えていたとか
(銅像では兜の飾りとして再現)

ところで、この人物が西暦でいうと何年あたりの人物なのかが気になってこないだろうか?

年代を探る手がかりは、都怒我阿羅斯等と関連する記載がある第10代崇神天皇の時代を探ればいい。

だが崇神天皇は「この天皇は多分実在しそう」といわれるくらいギリギリな伝説ラインにいる天皇なのである。

そして崇神天皇に関する年代の記録も、日本書紀と古事記で記載が違うので、この時代は正直よくわからないらしい。

(色々検索した限りでは西暦300年あたりと言っている人が多いような?)



まあそれはそうと、敦賀といえば多くの人は別のものに注目するはずだ。

昆布館…

そう、この辺りは『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』関連の銅像もたくさんあるのだ。

鳥取県の境港が水木しげる作品の銅像ですごいことになっていたように、敦賀は松本零士作品の銅像で盛り上げているらしい。

いやはや、松本零士先生は敦賀生まれだったんだなあ……


いや実は全然違う。


松本零士は福岡県久留米市生まれだ。

そして戦争の疎開などで日本各地を転々としたことはあったが、福井には一度も来ていない


じゃあなんで関わりのない敦賀がこんなことになっているのかというと、「駅と港の街」であり、「科学都市」を掲げている市のシンボルとして松本零士作品がふさわしかったからだそうだ。

じゃあ……いいか!!


※(全ての銅像を以下の平成を感じるサイトで閲覧可能)


フジテレビ
キッズパークつるが

そんなわけで、駅前から続く長いアーケードを歩いていく。

これだけアーケードが続いていると雨の日はかなり助かりそうだ。

……まあ正直シャッターが閉まっている店が多いのは否めないが、やはり今の世の中はこうなってしまうものなのかもしれない。

おや、そんな事を考えていたら目的地が見えてきた。


これは敦賀市立博物館
やはり新しい場所に来たら博物館である。

この博物館は旧大和田銀行の建物を再利用しているとのこと。

大和田荘七像

そしてこちらがその銀行を建てた大和田さんの像である。
見て分かる通り石製だが、昔は銅像だったのだ。

ではなんで今は石像になっているかというと……

そう、金属供出だね!!

あらためて日本中の銅像が供出されていたんだなと実感するなあ……。


では久々の金属供出エピソードに触れたところで、博物館に入るとしよう。

一体何が待っているのか!!


次回へ続く……!


サポートには感謝のコメントをお返しします!