【つながる旅行記#317】高知城歴史博物館で知識を得る…!
前回は観光案内所で高知の知識をそれとなくゲットした。
ではレプリカな3志士像に見送られつつ、街に繰り出すとしよう。
始めての高知、楽しみだ……!
中央分離帯のヤシの木(?)に、宇和島的な南国感を感じつつ軽快に走る。
そういえば昔社会の資料集で、高知は日本で一番暑いとか書いてあったような。
南国仕様なのも当然というわけか。
……なにやらオーテピアという凄そうな施設が建設中らしい。
図書館と科学館が合わさり、災害時の避難場所としても機能する巨大施設のようだ。
オーテピアが出来る高知駅の辺りは手前に山があるのだが、もし巨大津波が来た場合、高知港を通じて津波が侵入してくる可能性は高い。
そういう意味でも重要な施設になるのかもしれないな。
おっ!! 歩いていたら城が見えてきた。
あれは高知城である。
もちろん来たからには寄らねばなるまい。
そしてなんと、近くに高知城歴史博物館もあった。
こりゃもうどっちも行かないとである。(共通券あるし)
そんなわけで博物館の中へ。
最近できたばかりなのか、めちゃくちゃ綺麗である。
古代から始まる土佐国の年表もあった。
スルーしがちな展示だが、意外な事実が書かれていることもあるから実は結構大事だったりするのだ。
しげしげと見てみると、どうも自分の旅行記に度々出現している弘法大師・空海は、高知県ともかなりの関わりがあるようだ。
室戸岬で修行したり、足摺岬に金剛福寺を建立したり、相変わらずの大活躍である。
そういえば、戦国無双を嗜んでいる自分としては、高知の戦国武将といえば長宗我部(ちょうそかべ)家である。
まあ無双ゲーでは謎のキャラ付けをされてしまっているが、歴史を見るとなかなか大変なことになっていた家だった気がする。
(仙石秀久の件とかね……)
そしてこちらがそんな長宗我部家による検地帳だ。
年表を見るに、戸次川の戦いで多くの家臣やめちゃくちゃ優秀な長男を失った後に検地が行われている。
果たしてそのときの長宗我部元親の心中やいかに……。
そしてどうも高知城は長宗我部家というよりは、関ヶ原の戦い後にやってきた山内家によって築城されたようだ。
なお高知城も1747年に改修されたものがそのまま残っているので、現存12天守の一つである。
なんだかんだで城に行くことは多いので、この12天守を制覇するのも良いかもしれない。
なんだか旅をしているとこういう制覇目標がどんどん増えていく。
そして高知城を築城した山内家だが、めちゃくちゃ財政的に大変だったようだ。
徳川の世になってからの天下普請や参勤交代による凄まじい負担が、この土佐国にも容赦なく襲いかかってきたのである。
参勤交代は地方の武将の経済力を盛大に削ぎつつ、江戸はめっちゃ富ませるという妙案だったなんて話があるが、これを見ると確かにそうかもしれないなと思う。
ある意味で強制的に経済を回せるとはいえ、歪な関係性だなというのが正直なところだ。
そりゃ恨みやなんやらも積もろうて。
そして今年(2017年)は、山内一豊の妻である見性院の没後400年だったらしい。
「見性院がへそくりを使って夫の山内一豊に良い馬を買ったことで、信長の目に止まって加増に繋がった」という話は学校教育でも使用されており、良妻賢母の象徴として非常に有名とのこと。
まあその話が本当だったのかというと正直怪しいらしいのだが、他にも『笠の緒の密書』の話などもあるので、夫を支える妻として活躍していたのは事実なのだろう。
なにやら女性は男性よりも感情の機微を察知する能力が高いというし、笠の緒の密書の話のように、見性院が上司へのベストな対応方法を見事にアドバイスしていた可能性は高い気がする。
大名の妻はお家の共同経営者でもあるし、こういう支え合いが出来る関係って大事だなと思う。
そんなわけで、高知城歴史博物館でした。
あらかじめゲーム知識が入っていたおかげか、スッと入ってくる情報が多めで非常に良かった。
ではすぐそこにある高知城にも行くとしようか。
旅行はまだまだ始まったばかりだ。
次回へ続く……!!