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【米】『タイ米は不味い説』を深掘ったら思いもよらぬ方向に行ってしまった記事

なんだか最近米関連の記事をそこそこ書いたせいか、米に関するアンテナが発達したらしい。

やけに米に関する動画やラジオが視界に入るようになった。

これを機にあれこれ調べたので、ここはひとつ記事にしておこうと思う。

放っておいたら例によって数日後には忘れてそうだし、この記事が誰かの役に立つ可能性もあるかもしれないのだから。



【平成の米騒動とタイ米】

かつて日本は異常気象による冷夏で米不足に陥ったことがあった。

いわゆる『平成の米騒動』というやつである。(1993年)

政府はアメリカやタイから米を緊急輸入してどうにか米不足を解消しようと動いたのだが、その米(とくにタイ米)を食べて日本国民はこう言った。

「タイ米まっず!!」……と。


こんな事言われたら微笑みの国と呼ばれるタイの人も激怒することだろう。(実際「美味しんぼ」のタイ米回ではめちゃくちゃキレていた)

なんでもこのときタイ政府は備蓄米を輸出してくれたらしい。

そんなタイの善意に対してその返しはないだろと率直に思う。


だが、実際「まずかった」という意見が多かったからこんなに話が残っているわけでもある。

そんな感想になった理由としては、「日本人の慣れ親しんだジャポニカ米じゃないから」とか、「タイの米は香りが強いから」とか、「インディカ米(タイ米)は炊飯器で炊くようなもんじゃないから」とか色々ある。

1993年なのでテレビは家庭に普及しており、調理方法の周知も行われていたようだが、それでもタイ米は人気がなかった。

それに対して日本政府は、インディカ米とジャポニカ米を混ぜることを推奨するという意味不明なことをするに至り、状況は混迷を極める。

(それぞれ調理方法が違うんだから混ぜたらアウトだろと)


まあでも海外のお米なんて初めてだから、対応も大変だったのかもね……


……いや、本当に初めてだったのか?



【戦前の米】

実は日本人が海外の米を知ったのは平成が初めてだったのかといえば、もちろんそんなことはないのだ。

たとえば1908年に始まった夏目漱石の長編小説「坑夫」では、作中に南京米が登場する。

南京米は中国辺りの米だが、輸送の過程で劣化したり、慣れないインディカ米だしで、作中では貧民の食うまずい米として扱われている。(「土壁食ってるみたい」とか言っちゃう)

そう、日本人は100年前からインディカ米は不味いという認識なのだ。


そして太平洋戦争が迫る1939年、日本は支配下にあった朝鮮や台湾の米が想定外に収穫できなかったことで、海外の米を大量に国内に輸入することになった。

まさかの太平洋戦争前から米が足りてなかったらしい。


政府からは日本の米は七分つき米(糠を3割残すくらいの精米)にするようにとのお達しがあり、さらにそこに外国の米が混ぜられることになる。

……いやまさか平成の米騒動以前の日本でも、違う品種の米同士を混ぜていたとは思いもよらなかった。歴史は繰り返すのだ。


そしてこの外国米を混ぜた米は『霜降米』と呼ばれた。(名前だけは高級そう)

そんな霜降米の外国米の比率は当初2割だったが、政府発表では「この程度なら味は変わらないよ!^^」という触れ込みだったようだ。

だがもうその時点で「いや普通にまずいが?」という民衆の意見は存在した。

そして状況は更に悪化する。


1940年5月には外国米の比率が6割になり、6月初旬には驚愕の7割になるのだ。

しかもよく内訳を見ると、「外国米7割・台湾米1割・内地米2割」となっており、日本国内の米は2割しか入っていないのである。

恐ろしいことに、この状況の1年後には太平洋戦争に突入することになるのだが、わりと正気の沙汰とは思えない判断だ。

食料供給が不安定な状態での戦争なんて戦国武将ですら避けそうだが……。


……いやまてよ?

この頃は既に泥沼の日中戦争の真っ最中か?


そうなのだ。

自分は太平洋戦争が進むごとに配給制になり、どんどん食事が貧しくなっていったと思っていたが、実はもう日中戦争をやっているこの段階で配給制なのである。


こ、この状態で更に敵を増やすんですか……!?



【南部仏印進駐の米】

日中戦争進行中の時点で、食料が足りてなかった日本。

そして1940年5月。世界の情勢は動いていた。

ドイツのフランス侵攻によってフランスが劣勢になると、日本は仏印(フランス領インドシナ)を攻めることを画策し始めるのだ。

理由としては、日中戦争において仏印経由でイギリスやアメリカが中国に援助を行っていたのが最高に邪魔だったからである。

(中国への援助ルートは全部で4つある:援蒋ルート

仏印

そしてここは掘り下げてたら大変なことになるので軽く流すが、日本軍は仏印北部をまず取り、その4日後にあの有名な日独伊三国同盟に調印。

その後南部にも侵攻したことで、アメリカが「ちょっと日本いい加減にしな?」と口を挟み始める。(鉄くずなどの輸出もストップ)

日本は、「米が欲しいから行ったのだ!!」とアメリカに説明。
(実際食糧確保が目的だったのは確かにある)

それに対してアメリカのルーズベルト大統領は、「じゃあ仏印を中立地帯にして、米は自由に買えるようにするから…」という提案をするが、日本はそれを拒否。

その後もアメリカとの交渉は一向にうまく行かないまま、ハル・ノートへと繋がっていく。


太平洋戦争の開戦直前である1941年11月、湯川食糧管理局長官のラジオでの食糧問題についての発言はこうだ。

「食糧問題は解決されつつある」
「大陸に希望を持て」
「南方のウクライナを手にしなくてはならない」

大陸には無限の生産力がある!!

要するに、外米輸入が日本の生命線だったのだ。

当時の文書からはアジアの米作りへのディスが見られる記述もあり、「日本の科学力で米作りを導けば、増産も容易!!」と思っていた節がある。

(しかし日本の戦前や戦中の農業力はそんなに褒められたものだったっけ……?)

・戦時下の農業資材問題
https://www.jstage.jst.go.jp/article/joah/39/0/39_KJ00009050343/_pdf


なんだかすごく戦争解説っぽくなってきているので、箸休め的にとある本を紹介しよう。

1941年出版の『仏印進駐記』には、こんな事が書いてある。

日本では皆、サイゴン米なんて聞いたら「まづい」といって顔をしかめる。

仏印にいる日本人は、トンキン米にしろサイゴン米にしろ、一番安い一番悪いのを好んで食べているのだ

仏印の米は「匂い米」といって、炊きたての温い米は変な匂いがする。
この匂いが好きになれない日本人たちは、匂いの全然ない、一番悪い米を食うのだ。

仏印では匂いがあるほど良い米とされているが、日本人の食っている米はフランス本国では家畜の飼料用にされるような下等米なのである。

75ページあたり

そう、日本人が好んで(どうにか)食べていた米は家畜用だったらしい。

米には現在でも「人が食べる用」、「家畜用」、「工業用(デンプン等)」の区分けがあるというが、これが日本人の外米への嫌悪を助長した可能性は十分ありそうだ。

なお、この本の著者は「香り米も慣れたら美味いな!」ということで、下等米は食べずに普通に香り米を楽しんだようである。

順応性って大事。


【太平洋戦争での米】

そして太平洋戦争へ突入した日本。

まあ長々と戦争について語ってもしょうがないのでさっさと結論を言えば、この国外の米に頼った食料自給計画は破綻し、多くの日本人は飢えていく。

そうなった理由を挙げ始めたらきりがないが、

「若い人が兵隊に行かされて食糧生産量が下がる」
「内地の兵隊は一般人より食べるので食糧消費が増える」
「戦況悪化で外地での食糧生産量が悪化」
「内地も肥料や燃料の減少で食糧生産量が悪化」
「外地の食糧を日本へ送る船が沈められすぎて輸送ができない」

などなど、なんかもう見てて辛い。

お偉いさんが開戦前に「食料も大丈夫也」と言っていたのは何だったのかについては、正直あんまりちゃんと考えてなかったとの見方が強いようだ。

以下の本に詳しいようなので興味があったらどうぞ。


【タイ米は不味いのか】

戦争云々はともかくとして、結局タイ米は不味いのだろうか?

もちろん調理法によっては普通に美味いというのは仏印進駐記の時点でもわかっていたことではある。

だがどうも戦争期の外米に関しては基本的に非難轟々だったのは明らかだ。
輸入時点でもう劣化した米で、下等米も大いに含まれていただろうから。

つまりこの時代(1940年辺り)で外米の香りや味にやられた人たちはタイ米(南京米)の印象は最悪だったのだろう。


そして50年あまり経った1993年の冷害で、また日本にやってきたタイ米。

当時の事を知る老人たちは否応なしに戦時中のことが思い出されて、本気で勘弁してくれと思ったのかもしれない。


そういえば1993年に緊急輸入された米はタイの備蓄米だったと言ったが、タイでは古い米のほうが美味しいとされている。

米も熟成させたほうが匂いが増すのだ。

それをタイ政府は快く売ってくれたのだという話だが、当時はタイ以外の国からの米供給があまりうまくいかなかったため、他のタイ米も入ってきた可能性はないだろうか?

それこそ香りはないがパッサパサの家畜用の米とか。


もしそうだったら、そりゃ不味いと思っても仕方ないんじゃないだろうか。

自分は米騒動経験をしていない世代だし、当時のタイ米の質については自分の検索能力ではわからなかったので、当時を知る人の意見をお聞きしたいところである。



【お米は大事】

そんなわけで1993年の米騒動のあと、日本では冷害に弱いササニシキから、ひとめぼれコシヒカリなどの冷害に強い品種への転換が進むことになった。

どれだけ米の品種があるかは米博物館で見てきたが、こうやって人間は品種改良を行って、災害をも乗り越えられる米を作ってきたのだ。

個人的には、長年日本人が悩まされてきたカドミウムへの低吸収性能もゲットしたあきたこまちRにも頑張ってほしいと思っている。


なんだか最近の自分は米まみれだったが、色々知識がついてよかった。

そのうち良いタイ米の匂いがどんなものかも嗅いでみよう。

まあ10調べたうちの3くらいしか反映できてないと思うので、米事情に興味が湧いた人は是非とも深掘りして欲しいと思う。


※【かなり参考にさせていただいたもの】↓

「開戦・終戦の決断と食糧」について
―軍・外地を含めた大日本帝国として―
http://www.nohken.or.jp/4-3unno.pdf

戦時期の外米輸入 戦時期の外米輸入 ’一九四○〜四三年の大量輸入と備蓄米
https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/6825/files/shigakukahen39_077-121.pdf


しかしやけに米情報が目に入るようになったとはいえ、まさかハマっているゲームでもインディカ米の話が出てくるとは思わなかった。

これがシンクロニシティ……!?


お米に感謝を。


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