【つながる旅行記#89】はじめての釧路湿原☆Part.1 ~北斗遺跡編~
いやこんなことある……?
駄菓子屋でまさかの中身なし駄菓子に遭遇してしまった。
ちょっと感動した。
さて、弘前での聖地巡礼を終えて、自分はなぜか釧路にいた。
現在は駅からほど近いアベニュー946内部にある、喫茶ポラリスで行動計画を練っている。
さきほどの駄菓子屋は2階にあったものだ。
おっさんだってパフェを食べたい時はある。
そしてこれでなんと320円。
嘘だろ……?
まったく、喫茶ポラリスは最高だぜ!!
(まあこの建物無くなるんだけど……)
ポテトも食べとくか……。
そう、アベニュー946はもうすぐ閉店し、跡地はパチンコ屋になるという。
原因は老朽化なので、仕方ないといえばその通り。
そういえば……
自分が学生時代に過ごした場所はどうなっているのだろう?
自分の都合に関係なく、世の中は変わっていくもの。
今もきっと、かつて過ごした場所はどんどん変わっているはず。
自分がそれに気づくのは、変化したあとに訪れてからなのだ。
なんだか、寂しいよね……。
ということで北斗遺跡に行きます。
たかが数十年の話に思いを馳せている今の気持ちを吹き飛ばす、圧倒的な年代の差を体感しにいこう。
北斗遺跡は釧路市街地から12kmくらい離れた場所にある。
全国的に有名な釧路湿原のすぐそこみたいなものだ。
(釧路湿原は広いので、すぐそこなんてのはいくらでもあるが)
バス停からちょっと歩いて遺跡ヘ向かおう。
到着。
中はそんなに広くはないが、別に1日過ごせる展示を期待していたわけではないので問題はない。
北斗遺跡は旧石器時代から擦文(さつもん)文化まで続く遺跡で、200軒以上の住居跡が見つかっている。湿原西部では1番大きな遺跡だ。
土器の装飾はわりと控えめなようだ。
擦文文化は7世紀頃に成立し、徐々に本州やオホーツクの影響を受けて、13世紀頃にはアイヌ文化へと移り変わったと見られている。
段々と石器は消滅し、鉄器が使われるようになった。
住居は擦文文化の時代も竪穴式住居。
中は四角形で、一辺は5~10m、深さは70~110cmとのこと。
一辺5mなら自分の部屋より広いな……。
自分は竪穴式住居というと「ものすごく古い時代に使われていた住居」というイメージがずっとあったが、実際は奈良・平安時代の本州においても都会から離れた場所では普通に使われていた住居だ。
(下手すると江戸時代でも使われていた例はある)
結局これも、自分たちは絵巻物で見るような都会の進んだ姿しか知らないという一例なのだろう。
ゴーストオブツシマという鎌倉時代の対馬が舞台のゲームでは、フィールド上に普通に竪穴式住居が出てくるので、開発元はそういう歴史も調べて作っていたのかもしれない。
そう考えると凄いな。海外のスタジオなのに。
この遺跡の人々は色々なものを食べていたらしい。
よく「縄文時代の方が食生活は豊かだった!」なんて話を聞くが、
確かに米ばかり食べてた時代よりはずっとマシなのかもしれない。
しかし個人的に凄いと思ったのは、
この小さい骨で生物を同定できる研究者の腕前である。
ちなみに北斗遺跡以外にも大量の遺跡が釧路湿原周辺にはある。
やっぱり生物も多くて暮らしやすい場所だったんだろう。
良いジオラマだ……!
ではいよいよ北斗遺跡の跡地を見に行くとしよう。
10分ほど歩けば展望台があるらしい。
ほどなくして展望台に到着。
展望台からの眺めはどうだろうか……?
おぉ……!
遠くに復元住居が見えた。
案内板によると、この復元は樺太アイヌの住居を元にしており、
保温を考えて煙出しは無くして出入り口で排煙するようにしたらしい。
復元も色々考えてやるものなのだなあ。
(しかし聞いた感じめっちゃ煙たそうな生活だ)
ちょうど住居の手入れをしていた。
考えたことがなかったが、昔の人も定期的にこうやって屋根の補修をしていたのだろう。レアな場面に出会えてよかった。
展望台から復元住居へ移動。
自分は今、当時の人達と同じような景色を見ているのかもしれない。
なんだか復元住居も色々種類があるようだ。
せっかく復元するんだし、色んなパターンを試してみたとかいう理由もあるのかもしれない。楽しそうな仕事だ。
昔の人々の生活に思いを馳せる。
時代の変化に一喜一憂していた気持ちも、なんだか収まってくるようだ。
こういった遺跡探訪には、宇宙のスケール感に圧倒されるのと同じ効果があるのかもしれない。
わけのわからないきっかけだったが、来てよかった。
せっかくなのでもう少し釧路湿原を楽しもう。
近くには釧路湿原をしっかり見るための展望台もあるらしい。
次回へ続く!
サポートには感謝のコメントをお返しします!