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【つながる旅行記#44】3月の桜と大洲城

前回のあらすじ
大洲と函館はつながっていたんだよ……!

川の向こうに見える大洲城を目指して歩いて行く。

言うほど城に興味があるわけではないのだけれど、それはろくに観光をしたことがないからだろう。
なにせ大半を家と職場の往復&ひきこもりニートで過ごしてしまった人生なのだ。それも仕方ないというもの。

これを機に城に興味を持つかもしれないし、行っておくに越したことはない。自分は他人よりもとにかく人生経験が足りないのだ。
せめて何かに触れる回数を増やさねば。

なんだか面白い軒先が続く道に入った。
めちゃくちゃ急傾斜なデザインの屋根だ。

幅も人が一人通れる分くらいしかない。

なんだかこんな仕組みが戦国時代の防衛機構としてブラタモリで紹介されていたような気がしないでもないが、出典は定かではない。
非常にもやもやする。

もうすぐ大洲城だ。

大洲城を手前にして、大きな桜の木があった。
そういえばもう3月だ。
綺麗なピンク色の花が咲き誇っている。

函館は桜の開花が遅めなので、ちょっと驚いた。
さすがは四国。3月上旬でこんなに桜が咲いているのか。

坂を登りきると……。

Ozu Castleにたどり着いた。

見た目的にすごく建物が新しい印象を受けるが、本当に新しい。
この天守が復元されたのは2004年なのだ。

大洲市市制施行50周年記念事業として平成16年(2004年)に竣工したもので、第二次世界大戦後初の当時の工法・木造で復元されたものである。

明治時代に撮影された外観写真のほか、大洲藩作事棟梁の中村家に伝わる天守雛形(木組み模型)など内部構造を知ることができる資料が充実していたため、往時の姿をほぼ正確に復元することができた。

wikipediaより

新しくはあるが、棟梁が資料を残してくれていたお陰で元の姿に近いものになっているらしい。

早速中に入ろう。

おしゃれロッカー
大洲藩鉄砲隊
鉄砲狭間
大洲城建築ジオラマ
屋根の構造

やっぱりジオラマは良いな。

混雑
監獄…?

なんだかものすごく急な階段だ。
昔の人はこれで良かったのだろうか。
いや、建築スペースの関係か?

まてよ。もしかしたら迎撃用にこんな階段を……?

そう思って調べると、なんか普通に防衛用途説は否定されていた。
昔の階段はこんなもんだったらしい。

天守三階の柱は市民から提供された木材を使用

鯱(シャチホコ)は火除けのまじないの意味があるようだ。
鱗の表現が馬の蹄を並べたようで面白い。

もはや恐怖でしかない急な階段を慎重に降りる。

外に出る。

なるほど、これが城というものか。
良い経験になった。

大洲城から肱川を望む

さて、城は見終わったが次はどうしよう?

とりあえずエリアマップに書いてある場所をいくつか目指してみようか。

もうすぐ夕方になるが、まだ観光できるだろう。


~次回へ続く~


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