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自分は石器を作れるのだろうか

逆境だらけの人類史という本を読んでいる。
困難に直面した人間が、大英断を下して局面を打開した事例が集められた本だ。

この本の一番最初に出てくるのが、まさに人類の初期も初期、
最初の石器を作った人類の話だ。

大英博物館に所蔵されているオルドワン石器は、東アフリカのオルドバイ渓谷で見つかった、180万年前に誰かが作った石器。

石同士を打ち付け、刃を作り、明確に何かを切るための道具として製作されたことがうかがえる一品である。

オルドヴァイ

作ったのは、私達ホモ・サピエンスではない。

初期人類の種の一つであるホモ・ハビリスだと考えられている。

なんかいきなり知らない人類が出てきた。

自分は「ホモ・サピエンス」と「ネアンデルタール人」しか知らないので勘弁してほしいのだが、今回の話は初期人類の詳しい分類とかではないので問題はない。


本を読んでいて思ったことは、

なんの予備知識も無しに太古の世界に生まれ落ちたとして、
自分は石からナイフやらの石器を作れるのだろうか?ということだ。
(自分を生んだ親はそういったものを作れないとする)

今自分が何かを思いついたり出来るのは、教わった知識によるところが大きい。

「大きな脳と器用な指先があれば色々思いつくものだ」と本文で語られてはいるが、世界の誰も作ったことがないものを、事前知識もなしに、誰かの助けも無しに、自分が本当に思いつけるか?


なんか無理っぽい気がする……。



100歩譲って、自然のものを利用するくらいのことはしそうではある。
例えば、動物の頭蓋骨から歯を取り外して、何かしらの道具にするとか。

ゼロからの発想は厳しい気がするが、自然から学んで、同じことをするくらいならきっと自分でも出来るはずだ。
道具としての発展性はなくとも、自然物のもつポテンシャルをそのまま使うくらいならできるはず。

ノコギリみたいなサメの歯をノコギリっぽく使うとか、
たまたま落ちてた尖った石をなんか上手いこと活用するとか。

でも”石同士をぶつけて自ら尖った石を生み出す”のは無理だろうなと思ってしまうのは何なんだろう。

自分をあまりにも信用していないきらいがある。
(自己肯定感が低すぎるのかもしれない)


そんな折、まさかのドンピシャな動画を発見した。

動画を見てもらえばわかるように、

サルが石同士をぶつけあわせて石器のような何かを作っているのである。


おいおい……。

サルが思いつくなら自分もいけるのでは?(謎のイキり)

そして最悪自分が思いつかなくとも、周囲のサルがこんなことを実演してくれていたら、問題は解決したようなものだ。

自然から学ぶことはできるわけだし、石器の作り方もサルに教われば良い。

よかった。このサルが近くにいれば、自分は石器を作ることができそうだ。

(でも多分、石器の作り方をサルに教わるレベルの人間は、他の要因ですぐ死ぬ気もする)


このサルの石器づくり動作(サルはこれを石器として活用してないけど)が発見されたことにより、過去に見つかった石器もサルがテキトーに作ったやつなんじゃないのか?という疑惑が考古学で騒がれ始めたのが悩ましい部分ではある。

とはいえ、人類はその後どこかのタイミングでどんどん道具を作り出し、素材を選定し、更に機能的なものをあれこれ作り上げていくのだ。
最初がいつだったかなんて重要ではない――いやそれは違うか。
ぶっちゃけ普通に気になるし。


ちなみに日本の旧石器時代の最初期については謎のままらしい。

日本の酸性の土壌が遺物を残しにくいため、石器が見つかっていても後期旧石器時代(3万~1万年前)のものしかないようだ。

日本の旧石器時代の前期・中期はというと、ゴッドハンド・藤村新一の影響で疑惑しかないのでなんかもう全部怪しいらしく、存在しない扱いになっている感がある。

捏造ダメ絶対。


そんなわけで、昔の人はすごいなあと思ったのだった。

もはや昔過ぎてホモ・サピエンスですらないけど。


せっかくの人生、なにか新しいものを一つくらいは生み出したいものだ。


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