【つながる旅行記#18】in福島 信夫山と放射線
帰省を終えて、また職場へと戻る帰り道。
実家に帰省するにあたって、せっかくだからと途中下車の旅をしたわけだが、それって職場に戻るときも出来るんじゃね?ということで、一箇所だけ寄っていくことにした。
行き先は福島。
理由としては、新幹線も停まるし、なにより今まで行ったことがなかった場所だから。
福島というと東日本大震災のイメージが強いのが正直なところだ。
もちろん今から向かう福島駅周辺は海が近いわけでもないし、津波の被害はなかった。
しかしどうにも自分の知能レベルではイメージが一緒くたになっている。
となれば、自分の目でしっかり確かめておこうと思ったのだ。
さっそくコインロッカーに荷物を預けて街へ繰り出す。
駅でレンタサイクルも借りられたので、移動に関しては問題なさそうだ。
観光すると言っても、今日中に函館に戻らなければならない。
行ける場所は限られるだろう。
まずは信夫山へ向かう。
信夫山は福島市民の憩いの場となっている山らしい。
前回の飯能市に行った際も思ったが、こういう気軽に行ける山が近くにある環境は良いなと思う。
自転車でここまでスムーズに来れたのは良いが、ここからは山。
当然徒歩だ。
案内図を見るに、これは全部回ったら結構な時間がかかりそう。
実はもう昼を回っている。
さっさと歩き始めよう。
とりあえず展望台に向かおう。
自分は高いところへ登りたい系の人間なのだ。
展望台へ到着。
眼下に見える巨大なレース場みたいなものはなんだろうと思ったら、福島競馬場だった。すごい広さだ。
展望台の周りにはたくさんの動物たち。
ストーンヘンジみたいなものも。
冒険の森へ行ってみることにする。
冒険の森へ到着。
すると近くに看板があることに気付く。
なるほど。
こうやって空間放射線量を測って計測値を看板に書いてくれているらしい。
やはり震災とそれに伴う原発事故があったわけだし、こういった対応は安心感のためにも大事な調査なのだろう。
ちなみにこの看板のデータは2015年のもの。
現在の様子は以下のマップやpdfなどで直近のデータがわかるようになっている。
データを見ると、旅行した2015年時点では0.59μSv/hだった冒険の森も、令和2年時点では0.18μSv/hになっていることがわかる。
除染の努力や、放射性セシウムの半減期などの絡みもあるのだろうが、こうしてみると大きな変化だ。
冒険の森を後にし、羽黒神社へ向かう。
頂上の羽黒神社には、超巨大なわらじがある。
この日本一の大きさのわらじは、長さ12m重さ2t。
1年に1回、「わらじ祭り」で山から福島市内に下ろされて、福島市民の健康と多幸を祈願し練り歩くという。
すごいスケールだ。
しばらく歩くとねこ稲荷というものがあった。
稲荷と聞くと狐だろうに、猫とはどういうことなのか。
説明を見ると、いたずらばかりしていた狐がいろいろあって改心した結果、蚕を食い荒らすネズミを退治してくれるようになり、養蚕の守り神として祀られるようになったらしい。ねこ稲荷として。
(いや猫関係なくない……?)
恐らく、「ネズミを退治するのは猫」というイメージが当時から強かったのだろう。
でも由来は良いとして、「猫の幸せを祈願」ってのは正直よくわからないが。
自分の愛する猫の写真を貼るスペースもあるらしい。
もう完全に狐要素は消えて猫に乗っ取られている。
まあ猫は可愛いから仕方ないか……。
歩いて歩いて、第一展望台へ。
また違った眺めだ。
信夫山が街の中にあるのがよくわかる。
正直、登り始める前は天覧山(#17)くらいの軽い登山だと思っていたが、思ったより山登りしてる感じがする。
なにせもう信夫山に入ってから2時間は歩いているのだ。
色々な場所を見ようと思うと、想像以上に時間がかかっているというこの感じ。そうだ、函館山もこんな感じだった。
そういえばこの烏ヶ崎(からすがさき)展望デッキは標高260m。
自分が上る山って基本的に300mくらいだなと気付く。
(福島市が標高60mくらいらしいので200mしか登っていないけど)
今日もよく運動した。
この素晴らしい景色の中で、しばらく休息をとることにする。
無事に下山完了。
時刻は14時。
まだ時間はありそうだ。
函館には夜につけばいいし。
少し自転車で街を巡ってみよう。
色々巡る。
信夫山を背にして建つこの建物は美術館と図書館だ。
左側の美術館は残念ながら休館中。
いつかまた来ることがあれば、中を見学したい。
あまりに良い感じの建物だったので図書館に入って15分ほど過ごし、また街へ。
旅行中に図書館に寄るとは思わなかった。
展望台から見た福島競馬場。
地上から見ても大きな建物だ。
もう完全に当て所もなく彷徨うモードに入っている。
そんな感じで自分の福島の旅は終わった。
正直言って、福島市は、もう普通に生活している土地だった。
そりゃそうだ。
福島市は津波での被害はなかったし、この旅行当時(2015年)でも震災から4年経っているのだから。
もちろん、飛来した放射性物質による影響はまだあったが、それも2022年においてはかなりの落ち着きを取り戻してきてはいるというのは記事内で示した通り。
そんな当たり前なことを再確認しただけだったが、来てよかった。
また機会があれば来よう。
もう時間だ。
新幹線に乗らなければ。
色々な思いの中、また労働が始まる……。
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