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【つながる旅行記#17】in飯能 ヤマノススメとおじいさん

前回、仙台の旅を盛大に行い、WindowsXPで旅は終わった。

そして朝になる。

青森、仙台と途中下車の旅を続けてきたが、それも今日で3日目だ。

新幹線に乗り込んで次の場所へ向かおう。

長い移動を終えて、たどり着いたのは埼玉県飯能(はんのう)市である。

なんだか途中下車の旅ですらない感じになってきた。
新幹線から乗り換えて普通にここへ来るためだけに移動したし。

そこまでしてここへ来た目的は明らかだ。

そう、聖地巡礼
わかりやすく言うとヤマノススメの舞台探訪が目的だ。

ヤマノススメは自分に登山の楽しさを教えてくれた作品である。
これをきっかけに高尾山に登り、高尾山から陣馬山から縦走することになった。

その苦しくも楽しい経験が、この旅を始めてからの函館山、紋別山、北海道駒ヶ岳、恵山の登山へとつながったといえる。

行けるときに行っておかないと次はいつ来れるかわからない。
今回がその時だと思った。

街中の移動手段はというと、徒歩である。

DATE BIKEには今日は頼れないのだ……。

まずは謎の象が居る観音寺へ。

作中でよく主人公たちが集まっている場所だ。

絵馬もヤマノススメ仕様
おぉ・・・

ヤマノススメの聖地巡礼という意味では、もう高尾山の登山自体が聖地巡礼になってはいるのだが、やはり主人公たちの生活している場所を巡るというのは別の意味での楽しさがある。

解説を見る。

このお寺の檀信徒の人たちが長い時間をかけ、四国八十八ヶ所の霊場の砂を集めて来たものを埋めてあるらしい。

なのでこの像の周りを歩くだけで八十八ヶ所巡りの効果が得られるのだ。
(そんなうまい話があるのか……?)

しかし自分もいつか四国へ行き、四国八十八ヶ所を巡ることはあるのだろうか。

水曜どうでしょうで見たので憧れはあれど、八十八はきつそうだな……。

観音寺を後にして次の場所へ。

このこども図書館も、作中キャラクターの家の参考になったのではと言われている。

飯能河原

そしてここが飯能河原
子どもたちがいっぱい居る。
バーベキューを楽しむ人も。
飯能市民にとって大事な憩いの場なのだろうなと思う。

さて、聖地巡礼と言ったが、街中の細かな場所を全て巡るのは大変だ。
なにせ徒歩だし。

なので行きたい所だけ厳選して巡るつもりだ。

そうなると一番行きたい場所は決まっている。

作中でも登場した山、天覧山である。

また山かよという感じだが、観光するとなると山に必ず登るもんだと思うのは自分の思い込みではないと思う。

山登りする気がなくても、意外に観光地は山の上にあったりするものだ。
まだ全然旅行してないけど、すでにそんな持論が出来た。

山の手前にあったコンビニでソフトを買って、食べながら行く。

天覧山も低山だ。山とはいえ気楽に行ける。(標高200m)

函館で少し過ごして思ったが、地域に気軽に登れる山があるというのは良いもんだなと思った。

看板を見る。
なんとこの山の名前は明治天皇が来てから天覧山になったらしい。

昔は愛宕山、次に羅漢山、そして天覧山

そんなにコロコロ変わって大丈夫か?

登山道はしっかり整備されている。

この調子ならすぐに山頂へ行ってしまいそうだ。

先程この山は羅漢山という名前だったと言ったが、そうなった由来がこの羅漢像のようだ。

近くの看板の由来を見ると……

昔、徳川綱吉が重い病になったとき、生母の桂昌院が飯能出身の黒田直邦に相談した。

直邦は地元飯能にある能仁寺の和尚に病気平癒の祈願を頼むように桂昌院に勧め、和尚は飯能から江戸城へ向かうことに。

和尚の祈願で綱吉はたちどころに健康になり、桂昌院はその感謝にと羅漢像16体と褒美を送り、それがきっかけで羅漢山と呼ばれるようになった。

……ということらしい。

イベントが起きるごとに名前を変えているのか。

しかし江戸時代もまだまだ祈願で病気を治していたんだなあ。

というわけで山頂に到着。
登り始めて10分くらいしかかかっていない。

めちゃくちゃ気軽にこれる山である。

山頂からは富士山も見えるらしい。

ほんとにぃ……?

富士山

いやホントに見えた!!


山頂にはなぜか若い男性が何人も居る。

いや、なぜかなんて言うべきじゃないか。

自分と同じ、聖地巡礼組だよね?(決めつけ)

さて、まさかの10分で登頂とは思っていなかったのでどうしようかと思っていると、なにやらまだ他の山へ行けるらしい。

せっかくだし行ってみよう。

目指すは多峯主山 (とうのすやま)。

予定にはなかったがまだ13時30分。余裕はある。

なんだか田舎を思い出す景色だ。

飯能笹

歩いていると、向こうから来たおじいさんが話しかけてきた。
どうやら若者が歩いているのが珍しかったようだ。
(登山するような服装じゃないのも原因かもだが)

話を聞くに、おじいさんは80歳らしい。

いや正直な感想を言えば80にしては元気すぎだろと思った。
前を歩いてきたときもめちゃくちゃキビキビ動いていたし。

80歳になってもこれほどのフィジカルが保てているとは……すごいな。

自分もこんな風に老後を送れるのだろうか?

おじいさんと別れ、また歩き出す。

まさかの鎖場

登り始めて30分、山頂へ到着。

思った以上に山頂には人が集まっていた。

とはいえ聖地巡礼っぽい若者は居ない。
みんな山頂での休憩を楽しんでいるようだ。

では目的も達したので、もう帰ろう。

羅漢山の名前がつくきっかけとなった黒田直邦の墓もあった。

また天覧山へ

ということで麓のコンビニ辺りまで戻ってきた。

時刻は15時前くらい。

山に登って小腹も空いたので、またコンビニに寄ろう。

※コンビニの中です

言ってなかったが、このコンビニはヤマノススメ関連グッズの展示ゾーンがある。

こういう聖地でおなじみのノートも置いてある。

(うますぎる)


またソフトクリームを買い、小腹を満たす。

もう夕方。あと一箇所くらい観光したいが、どうしよう。

ということでやってきたのは飯能郷土館

やはり知らない土地に来たら、博物館的な場所で情報を得なければ。

展示を見ていくと、飯能は林業を行ってきた地域だったことがわかった。
山から切り出した木材を筏に組んで、江戸まで流していたらしい。
入間川の筏流し

でも下流では川の水を利用するために堰を作ったり、漁労場所として使っている人が居たので、筏が上から下ってくるのは障害でしかなく、争いも耐えなかったとか。

そりゃそうだろうなぁ……。

しかし明治になっても筏流しは盛んで、日清日露戦争では木材需要の急増でそりゃもうすごかったらしい。

そして大正4年(1915年)に飯能ー池袋をつなぐ鉄道が出来ると、鉄道での木材輸送に切り替わり、道路も整備されたりで筏流しは消滅したそうだ。

展示を見終わってふと資料コーナーに目をやると、なんとさっき山で会った80歳のおじいさんを発見。なにやら資料を熱心に読みふけっている。

おいおい、山登りをするフィジカルだけでなく、知的探究心まで……!?
まさか山に登ったあとに郷土館で学習までしているとは。

……あんな健康な老後を自分も送りたいものだ。

なんだか終わってみれば、いうほど聖地巡礼してないような気もする。
しかし下手な聖地巡礼よりも、土地のことを知れたし、学ぶこともあった。

ぶっちゃけ80歳のおじいさんが一番印象的だった。


さあ、長い途中下車の旅もこれで終了。

実家に帰るとしよう。


いい旅だった。


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