女としての品性とは? そもそも「品性」とは何か?
男女問わず、品のいい人というのはいるものです。
品のない人が男女問わずいるのと同じに。
先日、同僚の女性から「つかささんは品があるよね。年齢以上の品性を備えているよ」と褒めていただきました。品がいい、と言われるのはなかなかないもので、じわじわと嬉しく思いました。
なんでもその人は最近、女性の品性についての本を読んでいるらしく、そこに書いてある条件にわたしが当てはまっているのだとか。
「読み始めてすぐね、品のある女性は走らないって書いてあったの。そこからわたしもうダメ」と言って楽しそうに笑った彼女は可愛らしく楽しい人です。その彼女が、品のある女性は時間にも心にもゆとりがあるから走ったりしないらしいよ、つかささんみたいだよね。と。
そんな風に見えますか、と問うたら思い切り頷かれました。
ありがたいことです。
ありがたいことですが、品のある女性は雑然とした部屋で胡坐かいて日本酒飲みながら燻製食べてそれをnoteに書いたりしないと思う。
日本酒飲んでチーズと数の子の燻製を食べながらこれを書いています。
楽しいよね。でも品があるかっていったら、そうでもないよね。
同僚が見ているのは「外用のわたし」です。
今これを書いているのは「素のわたし」。
つまり「外用のわたし」である巨大な猫は、品のある女性として見られているらしいということが分かりました。確かにわたしは滅多に走らないし(疲れるから)、仕草が色っぽいなどと若いころから言われていたし(口元を軽く隠す癖があったから)、人と話すときは心持ち口角が上がり声もきれいになります(電話に出るときみたいな)。
それら「社会的生活を送るために作り上げた自分」を総合すると、なんかいい感じに見える、と。
本当のわたしは心のゆとりなんかなくて、時間の配分も下手で、金遣いも荒く酒とつまみで夕飯を済ませるような女です。でもそれを他人から隠してしまえば分からない。
女性にあるべき品性とは何でしょうか。
そもそも「女」と断定すべきではないのではないでしょうか?
人としての品性とは?
Weblio辞典によると、外用のわたしは道徳的基準から見て「善い」に分類されるようです。では道徳とはなんでしょう。
つまり、わたしは正しい行いをしているように見える、と。
やたら走ったりしないことも、大声を出さないことも、できるだけ人当たりよくあろうとしていることも、「善悪をわきまえた正しい行い」である、と…???
ちょっとよく分からなくなってきました。
たぶん同僚のいってる「女の品性」はそういうことじゃないんですよね。仕草や動作、言葉遣い、端から見た性格、そういうものを総合して品質よく見えるから品が良いといっている。
辞書辞典の言葉の意味と、ふわっとした日常で使う言葉の意味は時に合致しないものです。走らないことが善悪をわきまえた行動なら、遅刻しそうで走っているひとはみんな善人なのか悪人なのか分からなくなってしまう。
でも、品のない人、というのはなんだか簡単に想像がつきますよね。
店員さんにぐずぐずと文句をつけている人。
自分とは違う価値観の他人を見下している人。
倫理観のない人。
誰かの悪口ばかり言っている人。
などなどなど。
そういう人は道徳の基準が当てはまる気がします。悪人というほどではないけれど、なんというか善ではない、という。
今日もなんか店員さんに絡んでるような人がいたのでそそくさとその場をあとにしました。店員さんには申し訳ないけれど、そういう現場が怖くて辛くてたまらないのです…自分の身を護るので精一杯なのです…
品性とは「優しい言動をすること」であり、また「他者から見て不愉快ではないこと」でもあり、「善なる人」のことであり、あるいは「急いでいるように見えない人」のことなのかもしれません。
それならば確かに、外用のわたしは当てはまるのかもしれない。
素の自分には該当しないけれど。
まあ単純に、わたしが件の同僚にひどく気に入られているだけという話かもしれない。
少なくともこれから、わたしは彼女を幻滅させないように行動することになるでしょう。それによって被った猫はより強固になっていくのです。
もしかしたら「あの人に幻滅されたくない」という気持ちが、品性というあやふやなものを保つ一因になるのかもしれないなと思います。
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