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『スーツ=軍服!?』(改訂版)第88回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載88回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

七、靴と皮革製品の章

謎だらけの「靴の歴史」

衣服の歴史をたどるのは実は非常に困難だ。普通のものなら四、五年、よほどの高級品でもせいぜい五十年もたてば大抵の衣服は捨てられてしまう。しょせん消耗品なのだ。
著名人や歴史的事件にかかわった特別な衣服などは残りやすいが、それはまた芸能人とか権力者とか、かなり特殊な立場にあった人の身につけた物であることが多く、ごく普通の人の日常着などはなんの記録も残っていないものだ。あるいはまた、現代人でも、スーツやらスカート、ズボンのことならまだブログにも書くかもしれないが、下着の話題となるとどうだろうか。百年もたって今の下着の形がすっかり変わったころ、二十一世紀初頭のブリーフとか、ブラジャーはどんなものだったか忘れ去られてしまうのかもしれない。歴史とは珍事の集成であり、現代の新聞やテレビを見てもニュースとなり記録に残るのは異常なこと、物珍しいことである。日常の当たり前なことは、かえって記録に残りにくい。歯の磨き方とか、トイレの使い方、風呂の入り方、こういったことが一番、後の時代になると分からなくなってしまうもので、衣服にしてもしょせんは日用品であり、その例に漏れない。
それでも衣服については、精密画や肖像画、彫刻作品に残されることも多く、想像することは比較的に容易である。
が、靴となるとどうか。日本人は伝統的に履物に冷淡な民族だが、諸外国においてもそんなに古代から今に至る靴の歴史の変遷がたどれるものでもない。絵画も足下は描かないものが多く、あまり確かでない想像が混じりがちである。ごくまれに、化石のように川底の泥の地層から発見されるほんの少数の遺物を見て、判断するしかないものである。
西欧人の衣服の文化が、ギリシャ、ローマでは開放的な「ひらひら」で、身体にぴったりした服は周辺異民族が持ち込んだもの、と本書でも繰り返し書いてきたが、履物についても同様であり、温暖な地に住むギリシャ人やローマ人が日常用に好んだのはサンダルである。古代ローマでは執政官、元老院議員、市民などと身分により微妙に違う多種の履物が規定され、特に乗馬身分の高官や騎士、騎兵の戦闘用には、ヒモで締めるブーツが存在した。
一方、足をぴったりと覆う靴は非常に古くから存在するようで、最も古い時代の靴のひとつといえば、二〇〇八年にアルメニアで見つかった、ヒモで縛る革製の靴がある。紀元前三千五百年、つまり五千五百年も前のものだ。
その後、徐々に靴が普及し、特に騎士階級の戦闘用にはサンダルよりも中東風のブーツのほうが好ましいのは当然だったから、フランク王国の時代から中世までに、欧州の人々は、ブーツを履いた乗馬身分の人か、さもなければ相変わらず貧乏な裸足の労働者、のいずれかであった。騎士たちはヒモやストラップで締められるタイプの、膝より長い乗馬ブーツを愛用した。この種のブーツは、後のウェリントン公のブーツ改革まで生き残るのである。

とんがり靴とミッキーマウス靴

現代でもミッキーマウスの足のような幅広の「足に優しい」コンフォート靴が流行したり、逆にやたらと先端がとがった「ロングノーズ」が流行したりする。つま先が円くなったり、とんがったりを繰り返している。実は古い時代にもそれがあって、十四、十五世紀ごろには極端に長く、かかとからつま先まで四十センチ以上もある、尖端が三角形にとがった靴が大流行した。
それが一転、十六世紀に入ると、今度は幅広の円い靴が流行。極端に横幅の広い馬鹿げた靴が広まり、見かねた英国王ヘンリー八世(一四九一~一五四七)が、靴の横幅は十五センチ以内、と規制したほどである。
靴は十六~十八世紀の間ごろまで、左右同形のものが流行した。技術的な問題というより、美意識の問題のようである。また、ヒールが靴につけられるのも十六世紀末ごろからである。初めは雨の日にわざわざパッテンpattenという取り付け式の木製のカカトを装着した。十七世紀に入り、英国の清教徒革命による内戦期、オリヴァー・クロムウェルが、軍用に初めからカカトを取り付けた軍靴を量産させて以来、今のような靴が普通になったという。
この時代までの靴は、簡単なヒモで縛る一種のヒモ靴ではあるが、今日のようなアイレット(鳩目)、つまり靴ヒモを通す穴を開けることが出来ず、だから十分な強度を保って靴の甲をヒモでとじ合わせることが出来ず、ごく簡単に足首を締める程度の構造だった。
チャールズ二世やルイ十四世がスリーピース式衣装(今のスーツの原型)を広めた十七世紀の時代には、女性は極端な厚底靴を好んで使用した。これは巨大な当時流行のスカートの下に隠れるがゆえの流行だ。男性用にはヒモやストラップのないスリッポン式の華麗な靴や、バックルでストラップを締める、今のいわゆる「モンクストラップ」式の靴が流行した。モンクは修道僧であり、もともと中世イタリアの修道僧用の靴として普及したというのだが、どうもこの表現は日本でしか通りがよくないようである。ともあれこれが、きりっとした印象の靴として再評価された。チャールズ二世の服装改革には「ヒモ靴を廃止してバックル式の靴」を導入することもあったわけで、重要な変化である。

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