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「スーツ=軍服⁉」改訂版 第58回

『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載58回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
③レジメンタル・タイとカーキ色、迷彩色

レジメンタル・タイの特別な意味合い

一八五〇年ごろから広まったのが現代の、結んで下げるネクタイである。この中でも、特別な性格の柄として出てくるのがストライプのネクタイ、つまり縞柄である。
一八八〇年代にオックスフォード大学マートン学寮の学生が、学校のスクールカラーを使った帽子の鉢巻きリボンを外して、フォー・イン・ハンドで結ぶようになったのが始まり、という。すぐにそれが各学校のカラーを使ったネクタイの流行となるのだが、同じ頃に、英国の軍隊が、自分らの部隊の紋章や旗に使っている色を使ったネクタイを採用し始めた。これをレジメンタル・タイと呼ぶ。regimentは連隊の意味だから、直訳すると「連隊ネクタイ」である。

「カーキ色」と「迷彩」の登場

ちょうどこのころから、在インド英軍で、それまでの赤ジャケットの英国陸軍の制服のままでは目立って仕方がない、特に黄色っぽい地形が多い現地ではどうにもならない、ということで、現地の泥色に染めたくすんだ黄色の制服を採用した。シーク教徒やアフガニスタンの精強な戦士と死闘を繰り広げている現地の部隊には対面を気にする余裕などなく、また銃の性能が上がり、ナポレオン時代のように直立して列をくみ、突撃するような時代は終わって、遠くに潜む見えない敵の狙撃を恐れなければならない時代となった。これが、軍隊における保護色の最初であり、現地ヒンドゥー語の泥を意味するkhaki=カーキ色と呼ばれた。語源はさらに古くペルシャ語の泥という言葉だ。考案者はハリー・バーネット・ラムデン中尉(後に中将)とされる。
諸説あるのだが、よく言われているものをとれば、初めてカーキ色の軍服を実戦使用したのは、パンジャブ地方を制圧した第二次シーク戦争(一八四八~四九)でのペシャワルの戦いだとされる。さらに、第二次英アフガニスタン戦争(一八七八~八一)、アフリカで始まったボーア戦争(一八九九~一九〇二)でカーキ色の軍服を本格使用、その戦場での効果に満足し、以後、英国陸軍は、儀礼用は別として、実戦用の制服をカーキ色に統一していく。日英同盟を結んでいた日本軍も、それまでの紺色を基調とした制服を、英軍にならってカーキ色にしていくのである。ちょうど日露戦争(一九〇四~〇五)のさなかのことだ。
さらに、今のような迷彩服が登場するのは第二次大戦の前、ドイツ軍武装親衛隊が独自に開発したカモフラージュ・スモックが始まりで、ヴィム・ブラント親衛隊(SS)少佐が開発し一九三六年に制式化された。その後、ドイツ軍では親衛隊を中心に使用が広まり、米海兵隊でも大戦後半には使用された。ただしその着用は太平洋戦線に限られた。欧州戦線では「迷彩はドイツ兵に間違われる」からだった。第二次大戦では、まだまだ迷彩服は一般的なものではなかった。日本軍も兵器の迷彩はあり、兵士個人が工夫することはあっても、正規の迷彩服を支給されるということはなかった。
ここでカーキ色の話題が出たついでに、カーキ色のコットンパンツをチノパンと称する理由も紹介しておこう。英国で量産したカーキ色の生地が余り中国に輸出、さらに余剰在庫が中国から在フィリピン米軍に供給された。そこで、中国のChinaから転じてチノとなったという話が有力とされている。

ということで、それまでは軍隊の部隊・兵科ごとに派手なユニフォームの色が決まっていたのが、カーキ色一色になって行ったのが、一八八〇~一九〇〇年代なわけで、まさにフォー・イン・ハンドのネクタイが普及定着する時代でもあった。そこで、それまでの部隊の派手な色彩をどこかに残したいということで、連隊色、連隊旗を使ったネクタイを作った、というのがレジメンタル・タイである。
そういう由来があるから、国際舞台、とくに英国や英連邦の国に行く場合は、ストライプ系のネクタイはしないほうが無難、とされる。下手に縞のタイをしていて、その色彩がどこかの学校やどこかの連隊のものに似ていたら、あきらかに馬鹿にされるからだ。たとえばメージャー元首相は労働者階級の出身だったが、議員になって初めてのころ、なにげなく締めていたネクタイが馬鹿にされた。なんとなく、議員がみんなそんなタイを締めていたので、つい、こういうストライプのタイが議会で流行っているのか、と誤解して締めて行ったのだが、これは大間違いだった。その柄のタイを締めていたのは、みんなイートン校の出身者だったのである。それで大恥をかいたし、上流出身の連中からバカにされたそうだが、そこから彼は一念発起して、ついに首相に上り詰めることになる。
まあ、もし日本人がイートン校や近衛連隊みたいなネクタイをしていても、実際には「外国人のやることは」と思うだけだろうとは思う。内心で軽蔑するだろうが。
もちろん、本当にイートン校とかオックスフォード、ケンブリッジを卒業していたり、英国軍に所属したりした、という経歴の人は、むしろここぞというときに締めるべきであろう。
なお、レジメンタル・タイはミリタリーが出自のネクタイなので、外交の場では締めない、などと、知ったかぶって解説する人が、一時、日本で存在したが、そんな話はない。まったくの間違いである。今も書いた通り、最初のこの種のネクタイは、むしろ軍隊よりも大学で広まったのである。そして外交の場で気を付けなければならないのは、たとえば英国のイートン校のネクタイとか、近衛連隊のネクタイに似た柄のものを、関係ない者が締めていると恥をかきますよ、という程度の意味である。
だから、アメリカのこの種のネクタイは、リバースと言って、わざとストライプの流し方を、イギリスのものと逆にする。向かって右上から左下にストライプが流れるのが英国のレジメンタルだが、アメリカのものは左上から右下に流す。こうしておけば、もし英国のどこかの団体のネクタイと似た色や柄になっていても、違うものだ、と言い訳できるからである。
外交の場でのレジメンタルは、それ自体は全く問題ない、ということである。もちろん日常のビジネスなどではまったく問題ない。
ただ、そもそも学校とか軍隊のユニフォームから生まれたネクタイなので、純然たるフォーマルな場には相性が悪い、とはいえる。つまり結婚式などには向かない。


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