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『スーツ=軍服!?』(改訂版)第93回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載93回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

時代の波に翻弄される皮革製造業者

ところで、タンニングとは、動物の皮を腐食しないようになめし、植物から抽出した液につけて加工することである。安価な革は化学処理で作られるが、高級なものは今でも植物によるベジタブル・タンニングで作られる。タンニングには高度な技術を要し、アメリカのホーウィン、英国のコノリー、フランスのデュプイ、イタリアのバタラッシなど、世界に名の通ったタンナー(皮革製造業者)は限られている。手間のかかる皮革製造は時代の波にのまれて廃れつつあり、ドイツにあった世界的名タンナーのカール・フロイデンベルクも二〇〇二年に惜しまれながら廃業した。 
いい皮革がなければいい靴も作れないわけで、技術の継承が望まれるところだ。

 ◆沈没船から引き上げられた帝政ロシアの幻の革

 靴以外にも、いい皮革を使った革小物を持つと、なんとなく粋なもので、ちょっと会計するときも見る目のある販売員さんなど、客筋を判断する材料とするのは間違いない。成金趣味の人がスーツやネクタイを俄か仕立てで高級品にしてみても、財布やコインケースまでは気が回らず、ほかのものにそぐわない安物のままだったりすると、確かに興ざめである。
 もともと馬具やブーツの製造からトップブランドとなった仏エルメスの皮革製品のすばらしさは別格であるが、皮革専業のブランドにもいろいろなものがあり、日本でもキプリスや万双、ブルックリンなど多くのブランドがある。
英国の名門ホワイトハウスコックスやグレンロイヤルのブライドルレザー、つまり蜜蝋を染み込ませた強靭な財布は味があり、評価が高い。
また、ホワイトハウスコックスが近年、発売した製品には、英国で発見された沈没船から引き上げられたロシアンカーフ(トナカイの革)が使われた。ほかにも若干のロシアンカーフが靴などに加工されたと聞くが、そもそもこの「ロシアンカーフ」とはなんであろうか。
トナカイの革はなめすのが難しく、帝政ロシアの門外不出の技法だったという。しかしロシア革命からソビエト国家への混乱期に技術は失われてしまった。
ところが、一九七三年に、一隻の沈没船が見つかったことで、思いがけないものが見つかったのである。
その船とは二百年の昔、一七八六年の冬に、ペテルブルクを出てジェノヴァに向かう途中、英プリマス沖で沈没したオランダ籍のブリガンティン(二本マストの小型帆船)フラウ・メッタ・カテリナ・フォン・フレンスブルク号(五十三トン)である。この船が七三年に、英国潜水協会のメンバーに発見され、その積み荷から幻のロシアンカーフが引き上げられた。二百年間、海底で眠っていた幻の皮革であり、大きな話題となったのである。
 ところで、革製品で私が個人的に好きなのは同じく英国のエッティンガーの小物だ。一九三四年にジェラルド・エッティンガーが創業した同社は、十九世紀来の伝統を誇るホワイトハウスコックスに比べれば歴史が浅いが(とはいっても第二次大戦前である。それでも新しい会社と感じられるのは英国のお国柄だ)堅実な製品と上質な素材で、使うほどに愛着がわく。九六年にチャールズ皇太子(現国王)のワラント(御用達)を受けてからは同社の革小物にはもれなく三本の羽の皇太子の紋章が刻印されている。
 ところで、革ものといってもう一つ、これも個人的趣味でご紹介したいブランドがドイツのブリーBREEだ。ドイツ語の発音からいえば「ブレイ」に近いと思うが、日本では普通ブリーで通っている。一九七〇年創業だからこの業界では新興勢力といえるだろうが、バッグや小物の専業企業なのだが、なんといっても革好きの人にはこたえられないのは、この会社の製品の主力が無着色のヌメ革である点だ。通常、皮革製品は時間をかけてなめした後に染色するが、この会社のものは白っぽい。まさに肌色のままの革である。これに特製の保革オイルを塗りこみ、太陽の下で「日光浴」させる。日差しの強い夏場だと一か月もすれば健康的な日焼けをして、バッグでも財布でも得も言われないツヤのある飴色に変色する。自分で色を創り出すので根気も手間も要るが、数か月もすると、他社の製品なら何十年もかかって経年変化させたような貫禄と味のある表情になり、手放せなくなること請け合いだ。茶色の革靴の手入れを楽しむ趣味がある人なら、ブリーの製品の魅力も理解できるだろうと思うのである。


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