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『スーツ=軍服⁉』(改訂版)第112回

『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載112回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

十、時計の章

最初の懐中時計はヘンリー八世か

紳士服のルーツの起源を求める本書の最後に、ミリタリー・オリジンのもう一つの典型として、腕時計の歴史にも触れておこうと思う。今や、時間を知るためだけの道具なら、携帯電話で十分であり、腕時計というものも嗜好品とか、アクセサリーという要素の方が強くなっている。腕時計、ことに最近の機械式時計については多くの研究がなされているし、出版物も世にあまたあることと思う。本書ではあくまでもルーツという点に絞り、機械式腕時計の歴史を振り返ろう。
機械式時計の歴史は十世紀にまでさかのぼれ、当初は教会や時計台に設置する巨大なものだったが、最初の携帯できる時計、懐中時計は英国王ヘンリー八世(一四九一~一五四七)に対しドイツの職人ペーター・ヘンラインが製作し献上したものだとされる(実際にはそれ以前から同様のアイデアは存在していたとも言われる)。
この時代、十六世紀の戦国時代の日本にも、機械式時計がもたらされ、外国人宣教師から織田信長や徳川家康に献上された記録があり、家康所要のものは現在も残っているという。
一七六一年には洋上でも精度を保てる艦載用精密時計クロノメーターがジョン・ハリソンにより発明され、時計の信頼度は一挙に向上した。
スイスのアブラハム・ルイ・ペルレ(一七二九~一八二六)が、一七七〇年に自動巻き機構を発明した。その弟子であるアブラアン・ルイ・ブレゲ(一七四七~一八二三)は、フランス王ルイ十六世妃マリー・アントワネット(一七五五~九三)の希望にこたえて、重力による針の遅れを補正するトゥールビヨンや永久カレンダーなどを発明し「時計の歴史を二百年は進めた」と言われる。
フランス革命後のブレゲは、新時代の帝王ナポレオンの妹カロリーヌ・ミュラ(ナポリ王に封ぜられ、最後にナポレオンを裏切る軽騎兵隊長ジョアシャン・ミュラ元帥の妃)のために世界初の腕時計を製作、献上している。しかし、あくまでも皇族のための特注品で、その後に腕時計が普及したわけではない。

懐中時計と「アルバート」の時代

十九世紀は、それまでごく一部の王侯貴族の持ち物だった懐中時計が、一般に普及した世紀である。この世紀の初め、ボー・ブランメルが活躍した時代の紳士は、すでにズボンの腰の部分に、時計を入れるためのウオッチ・ポケットを設けていた。時計とズボンをつなぐチェーンにリボンや、家紋入りの装飾品を取り付けて、これをフォブと称した。フォブはさまざまなデザインが施され、中には手紙の封蠟を捺すためのシール・フォブもあった。
十九世紀半ばとなると、英国のアルバート公がウエストコート(ベスト)のポケットに、時計用のフォブチェーンを飾り付けることを流行させた。それで、時計用チェーン自体を「アルバート」と呼ぶようになった。一本だけのシングル・アルバート、二本の鎖を使うダブル・アルバートなどさまざまなスタイルが生まれ、フォブも工夫を凝らしたデザインが次々に考案されて、紳士のオシャレの重要なポイントとなった。
また、軍用や狩猟用に、ガラスを守る蓋を付けた懐中時計が流行したのも十九世紀で、ナポレオンが好んだハーフ・ハンターや、完全にガラス面を覆うハンター・タイプなどが生まれた。
十八世紀後半から十九世紀は懐中時計の黄金時代で、この間に、ブランパン(一七三五年創業)、ヴァシュロン・コンスタンタン(一七五五年創業)、パテック・フィリップ(一八三九年創業)、オメガ(一八四八年創業)など、今でも時計界に君臨している多くの有力ブランドが続々と産声を上げている。
一八四七年に、ジャガー・ルクルトがリューズを開発している。それまではゼンマイを巻くにはいちいち鍵を差し込む必要があった。
一八五〇年、アーロン・ラフキン・デニソンが最初の工業的な時計メーカー、ウォルサムを興している。貴族や富裕層向けの工芸品から、実用的な時計の大量生産、という概念の始まりだ。
一八七九年にロンジンがクロノグラフを、八〇年にIWCが機械式デジタル時計を送り出している。IWCは一八六八年に米国人アリオスト・フローレンタイン・ジョーンズが創業したスイスのメーカーだ。ドイツ語圏であるシャフハウゼンにありながら、この会社が「インターナショナル・ウオッチカンパニー」と英語名であるのもそれが理由である。
一八八九年にホイヤー(今のタグ・ホイヤー)がスプリット機能つきクロノグラフを発明し、パリ万国博覧会で銀賞を得ている。


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