見出し画像

働けるようになるまで②



休職3ヶ月の後退職。
その後半年程は何もできず
家族に心配された私は
実家で監視下の元
薬の影響でほぼ眠って過ごしていた。

毒親とは言わないが
子供の頃から
何事も気にし過ぎてしまい
親含め誰かの何気ない一言が
心に刺さっては
抜けることなく
元気な子供を演じ
親に迷惑かけないようにが
合言葉のような
子供らしくない子供だった。


なぜ生まれてきたのか
死とは何か
そんなことばかり考えて

親や先生
大人が苦手で
顔色ばかり伺っていた

ひとりの時間がないと疲れてしまい
時には約束を断ったりもした

大きな音にビクビクしては
平気なフリをして

誰かが叱られているところを見ては
自分の事のように心が痛くて

匂いが苦手で
芳香剤や香水売り場では
くしゃみが出た

日光浴は好きだったかが
眩しい光は苦手だった

子供の頃には
そんな言葉もないし
皆そういうものなんだろうなと
思っていたけど

今思えば子供の頃から典型的な
HSP気質だった。

実家は都内で
自活しない子が多い中
私は早く家を出て一人暮らしがしたかった。

私には「ひとりの時間」が
何より大事だったのだ。

勉強をして何かを学ぶ事よりも
とにかく家を出たいと思い
高校卒業後はひとり暮らしを始めた。

それから時々実家に戻ることはあっても
結局息苦しくなり
実家にたまに遊びに行く程度が丁度よかったのだ。

病気になり
また実家にお世話になり
見守ってくれた事には感謝しかないが
それでもまた働いて早く家を出たいという気持ちが強かった。

その為にも再就職を望んだのだった。

就労移行支援事業所への
通所を決めた訳だが
殆ど寝て過ごしていた為
体力が落ちていて
週に3日、体調の優れない時は早退する等して
少しづつ通所回数を増やして行った。

社会人経験の長い私には
就労移行支援事業所のカリキュラムが
新卒新入社員向けのものもあり
基本過ぎて今更……なものもあったが
初心に帰って学び直すという気持ちで
どんなカリキュラムも真剣に受けた。

1度通うと決めると
真面目に休みなく通い
就活フェードに持ち込むまで
通所80%3ヶ月以上の
最低ラインは割とすぐだった。

色々なパターンでの
就活があったのだが
私はエージェント経由で
職探しを手伝ってもらい
履歴書・職務経歴書の添削等
1人じゃ出来なかった事を
細やかに面倒を見ていただいた。

自活するにはそれなりの
給与が必要で
年齢の問題や資格のない私は
中々厳しい条件だったと思う。

エージェント担当の方の話では
障害者雇用は狭き門で
10社応募して1社書類通過するかどうかの世界。
気になった企業はどんどん応募していきましょう
とのことだった。

しかし、幸いな事に
最初の数社応募から
応募後すぐ書類選考が
通過した企業が2社あり
面接をして頂ける事になり
2社ともに採用頂けた。

両社共
特例子会社ではなく
一般企業の障害者枠。

1社は特例子会社ではないが
サテライトオフィスがあり
障害者は別オフィスでゆっくり働ける会社。

そしてもう1社は
一般の方たちと同じ職場で働く環境。

どちらも魅力的な条件があり
とても悩んだのだが
今後もし転職を考える事があったら
サテライトオフィスで働いた経験より
一般で働いていた方が有利だという
アドバイスや
後者の企業では、
在宅勤務やフレックスを取り入れた会社だった為
あればいいなという条件まで揃っていた。

後者の会社に入社する事に決めたのだった。


就労移行支援事業所に通い始めてから
5ヶ月程経っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?