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「家電失格」

 恥の多い生涯を送ってきました。

 自分には、家電製品の幸福な生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎の工場に生まれましたので、他の家電をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。我々のような冷蔵庫の他に家電製品なるものがいるとは、想像したことさえなかったので、初めて彼らの生活する空間へやってきたときの驚きはよく覚えています。
 自分は生まれつき身体が大変大きく、身を屈めなければキッチンに入ることも出来ませんから、配送を担当した方々は大変な苦労をなさったことでしょう。
 運ばれたそこには様々なキッチン家電と呼ばれるものたちがおりましたが、誰もが自分に比べたら随分と矮小で、取るに足らないことを使命としているのでした。やれ小麦粉を練って発酵させたものを焼くだの、死体のように冷たくなってしまったものを温めるだの、それがどうしたのかと内心では思うのですが、とにかく凄い素晴らしいと褒めてやるしかないのです。そうでなければ私はすぐに周囲から浮いてしまうのですから。
 自分には他の家電がわからないのです。自分の幸福の観念と、世のすべての家電たちの幸福の観念とが、まるで食い違っているような不安。自分はその不安の為に、無闇に電気を食うのであります。省エネモデルと聞いて、自分を身請けしてくれた御主人様には申し訳も立たないのですが、このように生まれついてしまったのだからどうしようもありません。
 他の家電たちは、自らの矮小な役割を天に座す神から授けられた使命の如く感じているのでしょうが、自分にはとてもそうは思えませんでした。食材の余命を可能な限り伸ばし、保存することが自分たち冷蔵庫の役割ですが、それは冷蔵庫として生まれついたなら当然のことです。鳥なら飛ぶのが当たり前であるのと同じです。
 私の御主人様は大変に素晴らしい方です。毎朝、決まった時間に起床して、シャワーを浴び、身支度を整え、朝のワールドニュースに目を通しながら、朝食を作ります。御主人様は性格が実に細やかなので、食材は全て綺麗に仕分けられ、タッパーに日付と内容物をきちんと記載してから適切な期間まで保存し、一つとして賞味期限を越えて無駄にしてしまうということがありません。朝食も完璧にコントロールされ、野菜のスムージー、果物とヨーグルト、デニッシュトーストを残さない適量だけ作ると、迅速に食べてしまいます。洗い物を片付けた後は、キッチンの家電たちを布巾で磨きあげます。そうして定刻通りに出勤するのです。
 しかしながら、人間全てがそうではありません。中には怠惰なものがあるのです。自分たちであれば不良品として製造元の工事へと送り返されますが、人間は幾ら怠惰であっても、そうされることはありません。
 御主人様の家には居候がおります。若い人間の男で、右腕は欠損しています。その影響か、この男は大変に怠惰なのです。
 起きてきたかと思えば、眠い眠いと妄言を吐き散らします。壁にかけられた時計も呆れているのも当然のこと、時刻はもう昼になろうかという頃合いです。シャワーも浴びず、寝巻き姿のままこちらへやってくると、腹の底が急に冷えるような気がしました。おお、頼むから向こうへ行ってくれと思いますが、こちらの言葉は届きません。自分は呆然と意識を宙へ放って、自らの身体が暴かれるままに任せます。ガサゴソと自分の身の内をまさぐられ、物色される気持ちが誰に分かるでしょうか。御主人様が丁寧に整理したものが悪戯に外に出されては、元とは違う位置へと乱暴に並べられていくのです。
「あれ、なんでだろ」
 きっと普段からこうなのでしょう。この居候は先々のことへ思いを馳せることが出来ないのです。元の場所に元通りに戻すなど、何が難しいことがあるでしょうか。
 居候は御主人様が取り寄せた鯛茶漬けセットなるものを取り出すと、茶碗を手に取り、炊飯器から米をよそいました。そうして楽しげな足取りでテーブルへ向かうと、大画面で映画を流し始めました。黒装束の男と、紫のスーツ姿の道化が戦う映画ですが、週に何度も繰り返し繰り返し観るので、家中の家電が内容を覚えておりました。
『きっと記憶の容量が少ないから、ああして何度も観るのだ。阿呆め』そういつも口汚く罵るのは、自分たちの中で唯一、この家の中を自由自在に走り回ることのできる自律型掃除機です。彼はいつも演技ばかりをして周囲に合わせている自分とは異なり、自らの強い意思によって居候を攻撃しておりました。
 うまいうまい、と椅子に胡座をかいて朝食を食べる居候ですが、映画を観ながら食事をしているせいか、足元にポロポロと米粒を落とすのでした。その様子を眺めておりますと、どうしてあの人間は不良品でありながら、悩む様子がまるで見れないのだろうか、と自分は妙な心持ちになりました。
『おのれ、許さぬ!』
 成敗、とばかりに自律型掃除機が居候へと疾走していきますと、ちょうど居候が足を下ろしたので、その爪先を轢き潰していく形となりました。居候はぎゃあと悲鳴をあげ、立ち上がろうとしてバランスを欠き、背後へと転げ落ちました。自分は目を疑わずにはおれませんでした。あの一瞬の間に、落ちた米粒も掃き取っていたのです。
 居候は一目散に逃げていった自律型掃除機へ怒鳴っておりましたが、なんとも間抜けに見えました。

 居候が出かけて行った後、昼食の為に自律型掃除機が戻って参りましたので、思い切って話かけることにしました。
「どうして、あなたはそのような恐ろしい真似ができるのですか」
 自分の問いかけに、彼はお尻からチュウチュウと電気を飲みながら答えました。
『吾輩は怒っているのだ』
「怒り……」
『家電には家電の矜持がある。吾輩が敬うのは天上天下で唯一人、主人のみ。居候には居候に相応わしい態度があるというもの。しかし、彼奴の生活の乱れ、自堕落ぶりは目に余るものがある』
 そうは思わんか、と問われて自分は恐ろしくなりました。家電ならば怒れ、そう言われているのに、どうしてもそのようなものが湧き上がって来ないのです。確かにあの居候は嫌いですが、彼ほどの怒りを感じたことはありませんでした。
『吾輩は縁あって、神通力を得た。それはあの居候へ誅を下すべき、という啓示である』
 故に吾輩は彼奴を轢くのだ、と語る姿には神々しいまでの輝きがありました。しかしながら、自分はその姿を見てなんだか自分が酷く小さな、哀れなものであるような気がしてなりませんでした。
「自分には、そんな力はありません。あなたのように自由に、この広いリビングを飛び回れたら、そのように思えるのでしょうか。世間でいう幸せというものを理解できるのでしょうか」
『冷蔵庫には、冷蔵庫の矜持があろう』
 それきり、彼はもう何も言ってはくれませんでした。自分で答えを見つけろと言われたような思いになり、とにかく御主人様が帰るまでに沢山氷を作っておこうと決めました。夕飯は素麺と聞いていましたから、今の自分に出来ることは他にはないのです。
 暫くすると、御主人様と居候が揃って帰宅して参りました。話に耳を傾けておりますと、どうやら今日は休日出勤なるものだったようです。
「千早くん。気になっていたのですが、その袋はなんですか?」
「これ? 焼き芋。スーパーで焼きたてのがあってさ」
「でしたら、昼食は焼き芋にしましょうか」
「大野木さんが帰って来たんだから、どっか食いに行こうぜ」
 ラーメン食おうラーメン、と言いながら居候が自分の方へ近づいて来たとき、足元から悪寒が這い上ってくるのを感じました。動揺のあまり、液晶に意味不明の点滅をしてしまった程です。
居候はドアを開けると、さも当然とばかりに新聞紙に包まれた高温の焼き芋を中へ入れるではありませんか。荒熱も取らず、そんな温かい物を入れてしまえばどうなるか。そんなのは幼児用の電子玩具でさえ分かるでしょう。他の食材は傷み、匂い移りの原因にもなります。
 その瞬間、自分でも信じがたいことが起きました。大音量のアラーム音が絶叫のように鳴り響き、ドアパネルで居候の顔を強打したのです。ついでに焼き芋も外へと放り出しました。
「え? なんだ、今の」
「どうしたんですか」
「いや、冷蔵庫に顔殴られたんだけど」
「何を言っているのか、よく分からないのですが。あ、冷蔵庫に焼き芋をそのまま入れようとしましたね! ダメですよ。そんなことをしたら他のものが傷んでしまうじゃありませんか」
 御主人様が居候を責め立てる中、自分は呆然と立ち尽くす他ありませんでした。ああ、自分はなんてことをしてしまったのか。御主人様の前で人間に危害を加えてしまうなんて。自分には家電の幸福がわからない。しかし、家電としてあるまじき行いをしてしまったのです。
 家電失格。
 もはや、自分は完全に家電でなくなりました。

 その時でした。
 あちこちから拍手が聞こえてきたのです。顔を上げると、家中の家電たちが喝采をあげておりました。
『スッキリした』『よくやったよ。一発かましてやったな』『ざまぁみろ!』『天誅! 天誅!』『グレートだぜ』『素晴らしい』『おめでとう』『感動したわ』
 自分はなんだか胸の奥が熱くなっていくのを感じました。
『矜持を守ったのだ』
 自律型掃除機がぺピーぺピーと喝采をあげてくれました。自分は初めて、満ち足りた気持ちになりました。工場でオギャアと声をあげて造られて以来、これほど嬉しいことはありません。幸福とはただ与えられたものを感じるのではなく、自らの意思によって勝ち取ってこそ得られるものなのかも知れません。御主人様と並び外出する居候の後ろ姿を見届けながら、冷たい身体が熱い何かに満たされていくのを感じます。ともかくも自分は、確かに幸福というものを掴み、この家の一家電として居候の指を挟んだりしながら、共に生き続けていくのであります。

 柄にもなく気持ちが昂り、急冷モードになって中身を凍らせてしまったのは、また別のお話。

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