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[ためし読み]『ハバ犬を育てる話』

現代チベットを舞台に、そこに生きる人々の生活を、ユーモアを交えながらアイロニックに、そして真摯な愛情をこめて描く。実験的な手法でチベット文学に新風を巻き起こした、チベット現代文学を代表する作家・タクブンジャが贈る短篇・中篇あわせて9作を収録した『ハバ犬を育てる話』。

出版社4社合同で2022年7月に始まるチベット文学フェア「チベット文学のいまを知る」に、東京外国語大学出版会は『ハバ犬を育てる話』でエントリーしています。

本書から、表題作「ハバ犬を育てる話」の冒頭と、訳者解説の冒頭を公開します。


ハバ犬を育てる話

 総じてハバという呼称は、地方によってはごく一般的な犬の呼び方であるが、私たちの地方でハバといえば、虎丸、豹丸、狼丸といったあだ名で呼ばれる獰猛な大型犬でなく、毛足がふさふさとして長く、脚の太い、家や庭の中で飼う鼻ぺちゃの小型の愛玩犬をさす。ハバ犬の類は、獰猛な牧羊犬のようにドールや狼と闘うこともできなければ、強盗や泥棒を撃退する度胸もないけれども、家にお客が来ると愛想をふりまき、日中つくねんとしている間の遊び相手になってくれるだけでなく、大物やお偉方が来たら巧みに楽しい雰囲気を盛り上げてくれる、本当にかわいい生き物である。一時、私はそんな小さな愛玩犬を飼っていたことがある。

 そのハバは、もともと我が家と同じ建物の向かいの家に住んでいた。朝に午後に仕事へ出かけるたび、昼休みと夕方仕事がひけて家に戻ってくるたび、外扉の間から、ハバがちょっと顔をのぞかせる。ハバの華奢な小さな体、もつれきった毛、びくびくした顔を見ているととても哀れをさそわれた。そんな時、ハバもひどくへりくだった態度を示し、何もないのにあっちに行っては跳ね、こっちに行っては跳ねて遊んでみせ、ぐるっとまわって戻ってきて、頭を振り、尻尾をぱたぱた振りながら私の表情をうかがっているだけで、いっこうに私のそばにやってこなかった。こんな時私のほうもボスまがいの「尊大」な気分になって、ハバに対して知らんぷりを決め込んだ。

 雨降る夏の日の午後、私は地方に視察に出かけた。その帰り道、車がぬかるみにはまったため、全員降りて車を押し出さなくてはならず、みな靴も服も泥まみれになった。帰宅すると、妻は私の姿に吹き出しつつ、急いでつっかけを持ってきてくれたので、私は玄関先に革靴を脱ぎ棄てて中に入った。翌朝、仕事に出る時刻になって、靴を磨いていなかったことを思い出し、慌てて玄関先に向かった。すると驚いたことに、泥まみれの私の靴は見当たらず、代わりに燦然と黒く輝く新品の革靴が鎮座しているではないか。あたりをよく探してみても自分の靴は見つからなかったので、おそらく誰かに盗まれたのだろうと思った。だがよく考えてみればそんなことがあるはずもなく、首をひねりつつ振り返って靴をしげしげ眺めてみると、なんと自分の靴だったのである。磨きぬかれて新品同様になっていたので、持ち主である私ですら自分の靴と認識できないほどだった。昨晩私が疲れきっていたため、きっと妻が磨いてくれたのだろうと思い、そのまま靴をはいて職場へと向かい、とくにそのことについて気に留めることはなかった。何日かたったある日、また雨が降って靴底に泥がついたので、前と同じように玄関先に脱ぎ棄て、つっかけにはきかえて家に入った。不思議なことに、その翌朝もまた靴が黒光りするまで磨き上げられていた。

 よく見ると、その靴磨きの技は本当にたいしたものであるように思えた。何しろ靴の小さな縫い目にいたるまで完璧に砂や汚れが除かれているのだ。妻にはここまで手間をかける暇はないはずだと思い、家に戻って妻の革靴をちょっと見てみると、磨かれてはいるものの、いつも通り靴墨を塗りつけてあるだけで、私の靴のように清潔に、ぴかぴかになるまで磨き上げられてはいない。不思議に思って、妻に「ぼくの靴を磨いてくれたのは君かい?」と尋ねたが、違うとのことだった。「それじゃ、誰が磨いてくれたんだ?」と訊くと、先ほど同様、知らないという返事である。妻の様子を見てもふざけている感じでは全くなかったので、さらにわけがわからずに困惑してしまった。じゃあ、いったい誰のしわざなんだ。子供は二人ともまだ小さいので、こんなに丁寧な仕事はやらないし、やってできるはずもない。謎は深まるばかりであった。こんな微笑ましい摩訶不思議な魔法を見せてくれたのはいったい誰なんだろう、機会をとらえて是非この謎を解いてやろうと私は決意した。だが、それから長いこと雨が降らなかったので、意気込みも徐々に薄れ、自分でもそのことを忘れかけていた。(…)(pp.7-12)


草原が生んだ小説家、タクブンジャ 訳者解説

 本書は、チベットで現在、最も人気の高い作家の一人、タクブンジャ(一九六六〜)の短編・中編あわせて九編を収めた翻訳小説集である。いずれの作品も原作はチベット語で書かれたものである。

 チベット語で書かれた現代文学が日本語に翻訳されるのは、本書が四冊目となる。チベット現代文学の創始者とも称されるトンドゥプジャ(一九五三〜一九八五)、映画監督でもあり作家でもあるペマ・ツェテン(一九六九〜)、気鋭の若手作家ラシャムジャ(一九七七〜)、そして今回ご紹介するタクブンジャ、いずれもわれわれチベット文学研究会の手によるものである。邦訳の少なさ、そしてチベット現代文学自体の歴史の短さもあり、日本でのチベット文学の認知度はまだまだ高いとはいえない。伝統的なチベット文学は仏教への指向性が高く、フィクションや人々の心の移ろいなどを扱う小説とはなじまず、本格的な小説が書かれはじめてから、まだ三十年ほどしかたっていないのだ。

 チベットのような比較的マイナーな地域の文学を翻訳する場合、紹介する側としてはまず、どの作家・作品から紹介していくべきなのかおおいに頭を悩まされる。小説として楽しんでもらうためには、読者自身が作品に対して何らかの共感をもてるほうがよいであろう。作品に描かれる環境や問題意識があまりに読者と隔たっていると登場人物に感情移入しにくいと思われるからである。しかし、それと同時に、チベット文学を読もうとする読者の多くは、そこに「チベット的な風景や文化」が描かれていることも期待するのではないだろうか。チベット文学を読んでいるのだからチベット的な生活の雰囲気も味わいたいと思うのは当然かもしれない。解説を書いている筆者自身も、チベット人の目を通して語られる独特の世界観やチベットの生活の描写、欧米の外国文学や日本文学にはなかった表現のスタイルをどこかで求めているような気がする。同時代的な共感と地域的な独自性、なぜ今タクブンジャなのか、といえば、まさに彼こそがこの二つの要素をみたす作家の一人だからなのである。

 チベット東北部(アムド地方)の牧畜民の家庭に生まれたタクブンジャの作品には、牧地や農村を舞台にしたものが多く、家の間取りや生活用品から牧畜に関する仕事、宗教的な儀式に至るまで日常的な暮らしの中で目にする物や出来事などが詳細に描写されている。また、「小説は複雑な社会を映す鏡である」と作家本人も語るように、一つのコミュニティーにおける込み入った現実をユーモアとアイロニーに満ちた筆致で表現している。そこには、逃れられない現実、人間関係のしがらみといった人類共通のテーマが描かれ、われわれはつい物語に引き込まれてしまうのである。

タクブンジャの生い立ち

 タクブンジャが生まれたのは、チベットを含む中国全土を席巻した文化大革命が幕をあけた一九六九年だった。彼は青海省海南チベット族自治州貴南県のスムド郷ワンシュル村において、九人兄弟の三番目として生まれた。ちなみに、チベット人の名前には通常、苗字(姓)がない。タクブンジャの場合も苗字はなくこれが一つの名前である。

 牧畜民の家庭に生まれたタクブンジャは、七、八歳の頃から牧童として羊やヤクなどの放牧を手伝っていた。当時、草原には小学校などはなく、教科書もなかなか手に入らなかった。草原のテントの中で時々、僧侶がチベット語の読み書きを教えてくれるのが唯一の教育の機会であった。そんな機会も一年の中で夏と冬あわせても十五日か二十日あまり。さらに、このテント学校まで通う道のりが遠かったため、学校を休むこともしばしばだった。その頃のタクブンジャは、村に配達されてくる新聞の隅に載っていた『ケサル王物語』〔チベットの英雄叙事詩〕や、父が土産に買ってきてくれた『死体物語』〔チベットの民間文学〕を読み感銘を受けたという。

 タクブンジャは利発で成績のよい子供だったようで、スムド郷の小学校の校長先生が直々にタクブンジャの実家にやってきて、お宅の息子さんは郷の学校に通わせるべきだと父親を説得し、タクブンジャは町の小学校に通うことになる。牧地で育ったタクブンジャが町に出て、テントではない「家」というものを初めて目にしたのもこの頃のことであった。

 そして十三歳の時に中学校に入り、十五歳で海南チベット族自治州の中心都市、チャプチャにある海南民族師範学校〔日本の高校に相当する〕に入学した。同級生らによれば、学生時代からタクブンジャのチベット語の読み書き能力はとても高かったそうで、そのためか当時の彼のあだなは「ゲシェ(仏教学博士)」であった。一九八四年には、冒頭でも名前を出したトンドゥプジャが教師として師範学校に赴任してくる。当時、アムド地方のチベット口語を取り入れて語られる斬新な詩や恋愛小説を初めて目にし熱狂した学生たちは、トンドゥプジャに傾倒し、彼の代表作である『口語作品集 曙光』(一九八二)や自由詩「青春の滝」(一九八三)などが学生たちの「教科書」となった。タクブンジャはトゥンドゥプジャに直接教わってはいなかったが、他のクラスで行われていたトンドゥプジャの歴史の授業をタクブンジャも聴講しにいったそうである。同級生にはトンドゥプジャの自宅を訪れて創作について教えを乞う者などもいたが、タクブンジャは気がひけて結局トンドゥプジャとは言葉を交わせずじまいだった。翌年には、まだ当時三十二歳だったトンドゥプジャが自宅で自らの命を絶ち、その悲報で学内は騒然となった。ちょうどその時、貴南県の故郷に帰っていたタクブンジャは、学校に戻ってからその事実を知り、心にぽっかりと穴があいたようになり、つい最近まで学内で見かけていた憧れの作家の死がしばらくは信じられなかったという。

 当時、タクブンジャは詩の創作などを行っていたそうだが、トンドゥプジャの小説を読むようになってから、「これなら自分にも書けるかもしれない」と思い、次第に小説を書くようになった。在学中は、『ダンチャル』や『民間文芸』、『月光』などのチベット語文芸誌を夢中で読むかたわら、古典文学や中国文学にも造詣を深め、さらに文学の世界にのめりこんでいき、師範学校卒業前の一九八五年、同級生であったジャバと共著で書いた「蓮花」という小説を文学雑誌『月光』に発表した。その頃からタクブンジャは現代文学の道を歩み始めていた。この当時のタクブンジャのクラス担任はソナム・ガンデンという先生であったが、この先生がチベット語教育に大変熱心であったようで、担任していたクラスのチベット語の水準がすこぶる高く、タクブンジャの同級生の中からは多くの文学者が生まれている。アニョン・タシ・トンドゥプ(青海民族出版社『ダンチャル』編集局副編集長、作家)、ドゥクラジャ(青海ラジオ局、詩人)の他、もともと一年下の学年であったが、飛び級で同じクラスになったジャバ(中央民族大学副教授、作家)、モクル・トンドゥプ・ツェラン(青海師範大学副教授、詩人、書家)、龍仁青(ロンレンチン)(青海テレビ局、翻訳家、作家、評論家)などがおり、学生時代に彼らから創作について大きな刺激を受けたという。一年下のクラスには、タクブンジャの小説集を漢語に翻訳したペマ・ツェテン(映画監督、作家)も在籍していたが、当時は面識がなかったそうだ。

 そして一九八六年に海南民族師範学校を卒業し、同級生ら四人とともに青海ラジオ局への就職を希望するも、タクブンジャの願いはかなわず、故郷、貴南県の牧畜地域にできた小学校にチベット語の教師として勤めることになった。一九八八年から二年間は、教員を休職し、中国語の勉強と文学の基礎知識を高めるため、甘粛省の省都蘭州にある、西北民族学院(現西北民族大学)に聴講生として通った。西北民族学院では、先に入学していた民族師範学校時代の同級生、アニョン・タシ・トンドゥプ、モクル・トンドゥプ・ツェランらと再会し、新しい文学について語り合う機会を得た。それが、学院滞在時やその後の実験的な小説につながった。その後、貴南県の牧畜村や農村の学校を転々とし、二〇〇四年から現在にいたるまで、貴南県の県庁所在地にある民族中学校でチベット語の教員を務めている。

主要作品とその作風

 タクブンジャは多作な作家である。(…)(海老原志穂、pp.264-270)


【目次】
ハバ犬を育てる話 (←一部公開)

罵り
一日のまぼろし
番犬
貨物列車
犬と主人、さらに親戚たち
道具日記
村長
 
 解説 沼野充義
 訳者解説 (←一部公開)

【書誌情報】
ハバ犬を育てる話〈物語の島 アジア〉

[著]タクブンジャ
[訳]海老原志穂 大川謙作 星泉 三浦順子
[判・頁]四六変型判・並製・296頁
[本体]2400円+税
[ISBN]978-4-904575-45-1
[出版年月日]2015年3月31日
[出版社]東京外国語大学出版会

【著者紹介】
タクブンジャ
(སྟག་འབུམ་རྒྱལ། 徳本加 De Ben Jia)
1966年、中国青海省黄南チベット族自治州貴南県の牧畜民の家庭に生まれる。海南民族師範学校を卒業後、小学校教諭を務めるかたわら西北民族学院(現・西北民族大学)で文学について学び、現在も郷里でチベット語の教員を務めながら旺盛な執筆活動を行っている。主な著作に『静かなる草原』(青海民族出版社、1999)、『衰』(青海民族出版社、2012)の他、「二十一世紀チベット族作家シリーズ」として小説集『三代の夢』(青海民族出版社、2009)がある。 

【訳者紹介】
海老原志穂
(えびはら・しほ)
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所研究機関研究員。専門はチベット語の方言研究。
著書に『アムド・チベット語の発音と会話』『アムド・チベット語読本』『アムド・チベット語語彙集』(いずれも東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、2010)などがある。
 
大川謙作(おおかわ・けんさく)
日本大学文理学部准教授。専門は社会人類学、チベット現代史。
著書に「欺瞞と外部制 チベット現代作家トンドゥプジャの精読から」『中国における社会主義的近代化』(勉誠出版、2010)、「チベット仏教と現代中国」『現代中国の宗教』(昭和堂、2013)などがある。
 
星泉(ほし・いずみ)
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。専門はチベット語の文法研究。
著書に『現代チベット語動詞辞典(ラサ方言)』(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、2003)、訳書にラシャムジャ『雪を待つ』(勉誠出版、2015)、などがある。
 
三浦順子(みうら・じゅんこ)
チベットに関する多数の翻訳に長年携わる。
訳書にダライ・ラマ十四世『ダライ・ラマ 宗教を超えて』(サンガ、2012)、『ダライ・ラマ 宗教を語る』(春秋社、2011)、W・D・シャカッパ『チベット政治史』(亜細亜大学アジア研究所、1992)などがある。

※肩書・名称は本書刊行当時のものです。


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