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[ためし読み]『移民のヨーロッパ史 ドイツ・オーストリア・スイス』「はじめに」より

いかに流動的であったか――

移民問題というと、「よそ者」がやってきてもたらされた問題かのように、多くのヨーロッパ人は考えています。ですが、そもそも近代ヨーロッパは多くの人が移動しながら形成されました。

ヨーロッパにおいて常に中心的課題であった移民に焦点を当てたクラウス・J・バーデの主幹による百科事典『ヨーロッパの移民―—一七世紀から現代まで』から、人々の移動がとくに激しかったドイツ、オーストリア、スイスについて訳出した本書。移民、難民といった「移動する人々」の問題は、ヨーロッパに限らず、世界中いたるところで直面しています。本書がこの問題を考える手掛かりになることを願っています。

監訳者の一人、増谷英樹氏による「はじめに」から、本書の位置付けを語る部分を公開します。

【目次】
はじめに 増谷英樹  ←公開(一部)
用語解説 東風谷太一

序章 移民研究における術語と概念の変遷 ディルク・ヘルダー/ヤン・ルーカッセン/レオ・ルーカッセン(東風谷太一訳)
訳者解説 ドイツ語圏における移民史研究の歴史 東風谷太一

第Ⅰ部
第1章 ドイツにおける移民の歴史 クラウス・J・バーデ/ヨッヘン・オルトマー(増谷英樹/前田直子訳)
訳者解説 ドイツはなぜ難民を受け入れたのか―ドイツ難民・移民政策の現状 前田直子

第Ⅱ部
第2章 オーストリアにおける移民の歴史 シルヴィア・ハーン(増谷英樹訳)
訳者解説 現代オーストリアの移民・難民問題と国民意識 増谷英樹

第Ⅲ部
第3章 スイスにおける移民の歴史 マーク・ヴィユミエ(穐山洋子訳)
訳者解説 外国人受け入れに揺らぐ永世中立国―現代スイスの移民・難民問題 穐山洋子

第Ⅳ部
第4章 東欧、東中欧、南東欧からのドイツ系避難民および被追放民たち―第二次世界大戦終結後のドイツとオーストリア アルント・バウアーケンプファー(藤井欣子訳)
第5章 第一次世界大戦終結以降、南ティロールに居住しているイタリア人 ギュンター・パラーヴァー(鈴木珠美訳)
コラム 南ティロール旅行記 増谷英樹

おわりに 増谷英樹/穐山洋子
参考文献
索引

◇   ◇   ◇

はじめに

                              増谷英樹

一. 百科事典『ヨーロッパの移民——一七世紀から現代まで』

 (…)EUにおいて現在大きな問題となっている移民・難民がヨーロッパにおいては歴史的にも重要な意味を持ってきたことをバーデは早くから認識していた。百科事典の序論においてバーデは次のように述べている。「移民とその統合の問題は、二〇世紀後半と二一世紀初頭のヨーロッパにおける中心的テーマとなっている。多くのヨーロッパ人は、こうした問題に直面して、歴史的な例外状況に直面していると感じているであろう。しかし、歴史を振り返ってみるならば、移民、統合、文化的交流といった問題は、大昔からヨーロッパの文化史における中心的問題であったことがわかるであろう。さらに、今日移民の統合に関して頭を悩ませている国民の多くも、かつては自らが移民としてやってきた『よそ者』の子孫であることを認識するであろう。しかしながら、ユグノーといったよく知られた例外を除くならば、近代ヨーロッパの移民現象のなかでいかに多くのグループが、国家の境界線ないし文化的・社会的境界線をこえて移動していたかはあまり知られていない。そうしたさまざまな現象を、できるだけ多くの事例を通じて明らかにすることが、この『ヨーロッパの移民』百科事典の目的である」と。

 (…)本書がヨーロッパの移民を網羅的に取り上げている百科事典のなかで、特に中欧(ドイツ、オーストリア、スイス)を取り上げた理由についても言及しておかねばならないであろう。それは、訳者の専門と関心がそれぞれドイツ、オーストリア、スイスの近現代史にあり、特に移民ないし人の移動に関心を寄せてきたというだけではない。移民ないし人の移動の歴史のなかで、ヨーロッパ成立期の「民族大移動」の時代を例外として、人々の移動がもっとも盛んであったのは、一七世紀初めの「三十年戦争」以降のことであり、その中心は、後のドイツ、オーストリアないしスイス地域だったからである。そうした移動現象は、三十年戦争後のユグノーやオランダ人の中欧への呼び寄せ(宗教的ないし開発的動機による移動)、ドイツ人の東方進出(開発と防衛)、逆方向のハンガリー人、スラヴ人の西方浸透、フランス革命期における大移動、一九世紀のユダヤの通過ないし定住などさまざまに展開していった。さらに二〇世紀には二つの世界大戦が中欧を中心として、国境自体の移動とともに人々の強制的な移動(戦争の勝敗による強制的移動)を生み出した。そして、第二次世界大戦後にもドイツないし中欧の経済的移民(「ガストアルバイター」など)や「難民」の受け入れといった「移動する人々」の問題は、中欧を中心にしてさまざまに展開した。すなわち中欧は、ヨーロッパにおける移民の中心地域だった一方で、「移動する人々」の問題を抜きにしては、この地域の歴史は理解できないし、語れないのである。

 ドイツを中心とした移民を扱ったオルトマーは、その歴史を次のように性格づけている。「近代初期以降のドイツ語圏の移民の問題は、平和的な越境運動ないし間文化的運動だけにとどまらない。それは同時に、攻撃的な越境、国境をこえた逃亡、さらには国境内あるいは第二次世界大戦時におけるドイツ国境の暴力的拡大の後にはヨーロッパの他地域からのマイノリティの追放を内包している。ドイツの歴史においては、人間が国境をこえて動いただけではなく、国境が人間をこえて動いたし、マイノリティがマジョリティになり、マジョリティがマイノリティになり、国民が自らの国で外国人になったりした」。このような動向はドイツだけではなく、まさに中欧の歴史全体に当てはまることであった。

 最近のできごとに関しても、やはり歴史的な要因は無視できない。アフリカ大陸に加え、中東からも大量の移民・難民がヨーロッパを目指した二〇一五年以降の「欧州移民(難民)危機」において、人の移動が中東欧に集中したのは、たとえば最終目的地ドイツの移民政策が他国に比して寛容だから、というだけではない。内戦の影響でシリアを脱出した家族が陸路ヨーロッパを目指す際に、トルコからバルカンを抜け中欧へと足を向けたのは、バルカンないし東方からハンガリーを通ってオーストリア、ドイツへと到達する移民ルートが過去において形成されていた――この場合、必ずしも一方向的な移動を意味しないが――ことが関わっている(序章「移民研究における術語と概念の変遷」を参照)。また、ドイツの移民政策が寛容なのだとすれば、それには第二帝政期の「反ポーランド的な『プロイセン防衛政策』」や、ナチ期の「強制移送」「強制労働」「ユダヤ絶滅政策」(いずれも「ドイツ」の章を参照)の過去、およびそうした過去とドイツが向き合ってきた歴史が強く影響していることはいうまでもないだろう。

 さらにいえば、こうした歴史を振り返ることは、極東アジアの島国に暮らす私たちにとってもけっして無関係ではない。本書の描き出す移動する人々の経験は、海に囲まれた「日本」ないし「日本人」の移民概念、移動する人々に対する意識、あるいは「日本人」の「国民意識」にも大きな刺激を与えるであろう。現に私たちも、戦争による国境の変化を経験してきたうえに、マジョリティによるマイノリティの生成、その「よそ者」呼ばわりも現実に行われているからである。こうして、中欧における移民の歴史から、現代の「私たち」の問題を考えるきっかけだけでなく、その理解と解決の手がかりを得られるであろう。

二.「移動する人々」の呼称

 ひとくちに「移民」「難民」といっても、時代や地域にかかわらずさまざまな原因・理由で移動する人々は歴史上つねに存在し、その呼称や定義も多様であり続けてきた。そして、そのような呼称と定義は、現在も変化し、増え続けている。(…)

【著者紹介】
クラウス・J・バーデ

ドイツの歴史学者。専門は近現代移民史、植民地史、労働市場史研究。一九八〇年代以降数々の国際的な移民研究プロジェクトを立ち上げるとともに、オスナブリュック大学では「移民・異文化学研究所」(IMIS)の創設に尽力、同研究所所長を務める。

ヨッヘン・オルトマー
ドイツの歴史学者。専門は近現代移民史研究。一八世紀から現代までを対象に、受け入れ・送り出し社会との相互関係の視点から、労働移住、戦争難民、強制移動、ディアスポラなど多様な形態の移動する人々の歴史を研究。

ディルク・ヘルダー
ドイツの歴史学者。専門は近現代の移民史。特に北アメリカを対象に環大西洋世界のグローバルな移民労働者を研究。

ヤン・ルーカッセン
オランダの歴史学者。専門は社会経済史、グローバル・レイバーヒストリー、移民労働者研究。

レオ・ルーカッセン
オランダの歴史学者。専門はグローバルな視座からの移民労働者の歴史、労働運動史、都市史、シンティ・ロマ史。

シルヴィア・ハーン
オーストリアの歴史学者。専門はヨーロッパの地域史。研究の重点は、歴史的な移民研究、ジェンダー史、労働史。

マーク・ヴィユミエ
スイスの歴史学者。専門は近現代の政治史、社会史、特に労働や社会主義運動、難民・移民に関する研究。

アルント・バウアーケンプファー
ドイツの歴史学者。専門はイギリス近現代史、ヨーロッパのファシズム、ドイツ連邦共和国と東ドイツの社会史など。

ギュンター・パラーヴァー
オーストリアの政治学者・歴史学者。専門は政治制度の比較。研究の重点は、イタリア、特に南ティロールのエスニック・マイノリティとエスノ地域的政党など。
【訳者紹介】
増谷英樹
(ますたに・ひでき)
東京外国語大学名誉教授
専門:オーストリア/ドイツ史、ユダヤ史、ウィーン都市史

穐山洋子(あきやま・ようこ)
同志社大学グローバル地域文化学部准教授
専門:スイス近現代史

東風谷太一(こちや・たいち)
東京外国語大学大学院総合国際学研究院特別研究員
専門:ドイツ近代史

前田直子(まえだ・なおこ)
専門:ドイツ移民統合政策

藤井欣子(ふじい・よしこ)
東京外国語大学海外事情研究所特別研究員
専門:オーストリア近現代史

鈴木珠美(すずき・たまみ)
東京外国語大学大学院総合国際学研究院特別研究員
専門:南ティロールを中心とする、オーストリア、イタリアの国境地域の歴史

移民のヨーロッパ史

【書誌情報】
移民のヨーロッパ史 ドイツ・オーストリア・スイス

[編]クラウス・J・バーデ
[監訳]増谷英樹、穐山洋子、東風谷太一
[訳]前田直子、藤井欣子、鈴木珠美
[判・頁]四六判・上製・336頁
[本体]3200円+税
[ISBN]978-4-904575-90-1 C0022
[出版年月日]2021年9月22日発売
[出版社]東京外国語大学出版会

※肩書・名称は本書の刊行当時のものです。

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