[ためし読み]『それぞれの戦い エミー・バル=ヘニングス、クレア・ゴル、エルゼ・リューテル』の冒頭と「訳者解説」
一九二〇年代、ドイツ語圏で活動した三人の女性アヴァンギャルド芸術家
二十世紀初頭に始まった女性解放の動きに呼応するかのように、女性の伝統的生活領域を踏み越えていった三人の女性作家たち。――それぞれの戦いの軌跡。
彼女たちは常に旅の途上にあり、自分自身の体験を語るための言葉を探し続けた。現代ドイツの女性作家ラインスベルクが、男性が書いた「文学史」への批判を込めて、とぎれとぎれの、錯綜する女性たちの声をたどり、彼女たちの痛みと貧しさ、孤独、そしてすべてを越えて生きのびようとする反骨心を描き出していく――。
本小説の冒頭と「訳者解説」から一部を公開します。
◇ ◇ ◇
ブロンドの餓鬼、世界を抱く
エミー・バル=ヘニングス(一八八五-一九四八)
お話しして、世界さん。
彼女の恐れは雅(みやび)な歌だ。苦痛の中で、引き裂かれた断片たちが争いはじめる、指が、髪が。彼女はきき耳をたてる。
彼女は語る。彼女は九歳。するとオルガン演奏の最初の響きが、ヘブライ人の族長ヤコブが、聖歌が奏でる音の階(きざはし)をたどって真っ白な紙によじ登ってくる。怖がりな子供。教師がいつものように彼女を叩こうとするまさにその時、彼女は鉛筆を隠し持った手で耳を守ろうとして、鉛筆の先で鼓膜を破ってしまう。
それから彼女は大きな声で話しだす、どうしようもない調子で、勇ましいくらいすてばちになって。苦痛、神の痛手の音楽(それに合わせて彼女はこっそり踊っている)。若々し
く、乱暴に突きだされた、一対の長くて瘦せた脚が、彼女の頭上に落ちかかってくるだけ。 「私の怖いもの知らずの陽気さなら、ライオンをくすぐることだってできそう。」
苦痛は一つの数字だ。彼女はいつも一匹の獣の到来を待ち望んでいる。神は語られた(と彼女は思っている)。彼女には数字の計算なんてできっこないのだ。
最初に空がある。大地はブロンド、小鳥の模様の綿布とミルテの木と氷でできた冬。窓にかかったカーテンと同じ、悲しく、貧しげなイルミネーション。子供が生まれると、窓辺には明かりがともされる。貧しい人たちがあいさつにやってくる。
空、雲。大きな海が近くにある。海へと続く通りで、幼いエミーはわき立つ雲の中に、難破した船の姿を描きだす。鳥たちとミルテの花が春を、きつい労働の季節を呼んでくる。のちに彼女は「タツノオトシゴ」と呼ばれるようになる、あるいは「インゼマン」と。
そうしたら、水の中の魚たちは陸(おか)にいる彼女のところに帰ってきて、彼女が文字を刻むナイフの下に身を横たえるだろう。
空、街道。彼女は天気を操る術を身につけ、歌というものを知るようになる。歌え。貧しき者たちの抱く渇望を、エミー。
この乙女は、赤い血の流れる生身の人間だ。時が来たのだ、子供が忘却のイメージを得る時が。(後略)
訳者解説
本書は、Anna Rheinsberg: Kriegs/Läufe. Namen. Schrift. Über Emmy Ball-Hennings, Claire Goll, Else Rüthel. Mannheim: persona 1989の全訳である。
著者アンナ・ラインスベルクは一九五六年生まれ。第二波フェミニズムと呼ばれる戦後の新しい女性運動が盛んになった一九七〇年代にマールブルク大学でドイツ文学を専攻し、一九八三年に、本書でも取り上げられている女性作家クレア・ゴルに関する修士論文を提出している。当時、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)では女性の大学進学率が高まり、女子学生からの強力な働きかけや、女性雑誌、女性ゼミナールなどの場での討論の結果を受けて、女性に関わる問題やテーマが大学のカリキュラムにも取り上げられはじめていた。ドイツ文学研究の分野も例外ではなく、ラインスベルクの指導教員であったマリー・ルイーゼ・ガンスベルクや、レナーテ・メールマン、シルヴィア・ボーヴェンシェンらの女性研究者によって、フェミニズム批評の基礎が築かれたのもこの時期である。また、リュス・イリガライやエレーヌ・シクスーら、同時代のフランスのフェミニストたちの影響を受けて、女性の存在を縛る男性的論理や表象体系の制約を打ち破る行為としての「エクリチュール・フェミニン(女が書く/女を書く)」の運動が、西ドイツでも始まった。こうした時代の流れの中で、ラインスベルクも学生時代から女性運動に積極的に関わり、女性雑誌の創刊や女性雑誌への寄稿を行ってきた。当然、ラインスベルクにとっても「女性として書く」あるいは「女性として語る」という行為は常に最重要テーマの一つであり、この文脈で彼女は、一九八〇年代後半から一九九〇年代初めにかけて、「ものを書く女性」である自分たちの先達として、一九二〇年代の女性アヴァンギャルド芸術家たちのテクストの発掘と紹介を行ってきた。その成果が、一九八八年に出版されたアンソロジー『ボブ・カット──二十年代への出発』(Bubikopf – Aufbruch in den Zwanzigern. Texte von Frauen, gesammelt von Anna Rheinsberg. Darmstadt: Luchterhand 1988)、一九九三年に出版された詩集『なんて色とりどりに花開く私ではない私の姿──二十年代の女性詩人たち』(Anna Rheinsberg(Hg.): Wie bunt entfaltet sich mein Anderssein – Lyrikerinnen der zwanziger Jahre. Mannheim: persona 1993)、そして、この二つのアンソロジーにもその作品が収録された、三人の女性芸術家(エミー・バル=ヘニングス、クレア・ゴル、エルゼ・リューテル)の肖像をエッセイ的に描いた本書である。
以上の概要からも分かるように、ラインスベルクは一九七〇年代の女性運動の影響を色濃く受けた、いわば一世代前のフェミニストであり、さらに、二〇〇四年と二〇一一年に二つの自伝的長編小説を発表して以降、最近十年ほどは目立った作家活動を行っていない。その意味では若干 「過去の人」ともいえる作家の、三十年以上前に出版された作品をなぜ今、日本で翻訳出版するのか疑問に思われるかもしれない。しかし、近年のドイツ語圏におけるアヴァンギャルド研究の動向や出版状況と照らし合わせることで、この作品の特殊な歴史性とアクチュアリティが浮かび上がってくる。
二十世紀初頭にヨーロッパ全域に広がった、いわゆる歴史的アヴァンギャルドの研究において、性差やジェンダーの問題が中心に据えられることは従来ほとんどなかった。ドイツ文学の分野でもこの傾向は顕著で、エルゼ・ラスカー=シューラーのようなわずかな例外を除くと、そもそも女性芸術家の作品に注意が払われること自体がまれだった。本書の各章の末尾に付された、一九八九年当時に入手可能だった書籍のタイトルを見ても、女性作家の文献整備が十分に進んでいなかった状況が浮かび上がってくる。しかし、一九九〇年代に入ったころから、表現主義の女性作家のアンソロジーが編まれるなど、こうした研究動向を修正するような動きが見られるようになった。そもそもアヴァンギャルド運動が展開された一九一〇年代から一九三〇年代は、女性解放運動や第一次世界大戦の影響によって女性の社会進出が進んだことで、ジェンダーをめぐる 問題が先鋭化した時代だったのだが、こうした時代背景が作品研究の中でも意識されはじめたのだ。(後略)
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