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tuesdayがヨコハマトリエンナーレ2020に行ってみた!

2020年7月18日、tuesdayのメンバー有志(上田、大川、小西、髙山、中尾、宮本)でヨコハマトリエンナーレ2020に行ってきました。
この文章は、そこでメンバーが見つけた「気づき」をシェアするものです。素人だからこそ率直に書くことができたので、これからヨコハマトリエンナーレに行く方や行こうかなと迷っている方の助けに少しでもなればと思います。

ヨコハマトリエンナーレって?

ヨコハマトリエンナーレ(以下、ヨコトリ)は、
2001年から3年に一度開催されていて、今回は第7回展です。


ヨコトリの特徴としては、子どもから高齢者まで、
障がいの有無に関わらず、
幅広い人が多様な表現に触れる機会を提供するための
インクルーシブな取り組みとしての側面も
もっていることが挙げられるでしょう。
11月からはその色の濃い、
ヨコハマ・パラトリエンナーレ2020」が開かれる予定です。

また例年会期の後半には、
同時期に黄金町バザールBank Artの企画展も開かれており、
横浜はアートファンにとって「激アツ」の地になることで知られています。

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今年のヨコトリは?

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そんなヨコトリの今年のタイトルは
「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」

アーティスティック・ディレクターには
インドを拠点とする
ラクス・メディア・コレクティヴを迎えています。


このインドのコレクティブがディレクションすることによって、
展示作品にはアジアの民族問題など、
背景知識が問われるものが多い印象でした。
また、5つのソース(独学、発光、友情、ケア、毒)をもとにして、
みなでアイデアを育てようと試みています。
それが功を奏してか、ひとつひとつの作品のテーマは鉛のように重く、
咀嚼するのに時間と体力が必要
でした。

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映像作品多し!本気で見るなら鑑賞は朝から!

今回のヨコトリは、コロナ対策のため、1日で2会場とも鑑賞を終えなければならないシステムになっているので、しっかり鑑賞をしたい人は朝から1日かけて回るしかないでしょう。
横浜美術館のボリュームとプロット48のボリュームは体感 3 : 1 くらいです。

作品の傾向としては、映像作品(しかも骨太!)が多いので、苦手な方は難しいかもしれません。映像作品を見ずに鑑賞するならば、3時間もあれば見終えることができるでしょう。

逆に映像作品を見始めるととても1日では無理!という感想になるかも。
なぜなら、じっくり見ようとすると
1本1時間ほどの尺の長編が多いからです。
どの映像作品を見るか事前にイメージして回るのがコツです。

体験作品は要予約です。
体感型の作品が少ないので予約してみるのがおすすめ。

もうひとつ重要な注意点としては、導線の分かり難さ!

今回のtuesday調べでは、
横浜美術館の、円形フォーラムで実施されている体験コーナーに向けて
下りていってしまうと有料エリアを出てしまうこと、
アートギャラリー2旧レストランにも展示があることが分かりにくく、
見逃しやすいです。

実際、わたしは存在に気付かずスルーしてしまった部屋がありました。


ただし、スタッフのフォローがきめ細かいので、
何か不安なことがあれば迷わず係の人に聞くとよさそうです!


9月11日から開催される「BankART Life Ⅵ」「黄金町バザール2020」とのセットチケットも販売されていますが、これらの会場とヨコトリ(横浜美術館+プロット48)をまとめて1日で見よう!とするのはちょっと無謀そうです。
友だちがそうしようとしていたら、間違いなく止めます。

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では、tuesdayの気になった作品をいくつか紹介していきたいと思います!

作品を括ることには抵抗もありますが、ここでは作品の関心分野を大きく「アジア」「地球環境」「ジェンダー」に分けて紹介させていただきます。
映像作品をこれだけの数根気よく見たメンバーの感想には、わたしもたくさん発見がありました。みなさんはぜひどの作品に時間をかけるか参考にしながら読んでみてください!

<アジアに関する作品>

横浜美術館の会場順路の序盤から、アジアに関する問題関連の作品が多い印象でした。背景知識が問われることもあり、わたしは敬遠してしまいましたが、しっかり鑑賞していたメンバーがちゃんとおります!
3作品を紹介します。

アリア・ファリド《引き潮のとき》(2019)  会場:横浜美術館

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一度スルーしかけたけど、アラブの女性が布をかぶって踊る映像に引き込まれてしまいました。TVで偶然つけたドキュメンタリーを最後まで見てしまう感じ。異文化であっても/だからこそ、人は踊り・色彩・音楽に惹きつけられるのかもしれません。(小西)

岩間朝子《貝塚》17分38 秒 会場:横浜美術館

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父の残した膨大な手書きの記録と写真たち。
セイロンでも日々と交流。
名もわからぬ父の取り巻きの人々。
セイロンの言葉を獲得することに困難を極め、
一人村の中に入っていった日々。
開発の波が押し寄せ、変わるセイロンの人々の暮らしが
そこにはあった。

原稿用紙にブルーのインクで認められた記録。
おびただしい写真の数々が淡々と積まれていくさま。
ご本人の声だろうか、抑揚のない静かなナレーション。

時空は飛び、東日本大震災後の釜石。
津波に流されたわが家。
父が家を建てようとしていた敷地の跡。

そこにたくさんの貝殻が現れる。
それは、震災で流れ押しやられ死滅した貝ではなく
家族が食事を重ねて食べてきた貝の塚だった。

思いもよらぬタイミングで今にその姿を表す貝塚。
作者の父が残した、膨大なセイロンの記録もまた彼の、
彼と家族をなした作者や母の貝塚なのだ、きっと。(髙山)

ナイーム・モハイエメン《溺れる者》65分 会場:プロット48

終末医療に関する映像とあるが、それだけでなく民族の悩みなども織り込まれていて、これも深く考えさせられる作品だ。そしてとてもわかりにくい。

一週間経っても飲み込めず、もう一度見たいと思わされる。あれはいったいなんだったんだろう、白昼夢か。

上映時間は1時間以上あるので、見るのは無理だと思った。しかし最初に後半部分を5分ほど見ただけで、引き込まれた。一旦外に出て、ぶらぶらする。やはり見たい。と、ちょうど上映が終わりまた次が始まるとわかり、引き寄せられるように展示室内へ入り全部見てしまった。

主人公の二人がとても魅力的だった。(上田)

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<環境問題に関する作品>


近年、本当に身に迫っている環境問題。その中でも原子力、放射能に関する作品が印象的でした。2作品を紹介します。

キャシー・ジェトニル=キジナー(withダン・リン)《聖なる力》 
会場:横浜美術館

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会場の片隅にある映像作品。

歌っているような、祈りのようなその声に思わず足を止めてしばらく見入ってしまいました。 

美しい映像とリアルな現実との痛々しいほどのギャップ。

鮮やかな青い海を波飛沫をあげて進むカヌーが向かうのは
いくつかの円のある島。
一つはえぐれたまま海のなかで美しい青色を呈しているクレーター。
もう一つは核廃棄物を投入しコンクリートで蓋をした白いドーム。

そのドームの上に
キャシー•ジェトニル=キジナーは弔いの珊瑚をおきます。

彼女がいるマーシャル諸島は昔カヌーで移り住んできた先住民がいて、
ドイツ・日本・アメリカによる統治時代も経験し、また過去の核実験による放射能の影響が未だに存在しています。

そして近年では気候変動による温暖化の影響を強く受け水害、干ばつといった予断を許さない状況にある国(共和国)の一つです。
キャプションには「回復と癒しの言葉」とある彼女の語りが、
身を挺しての行動にもみえました。

コロナ禍で身の回りの社会経済の動きは鈍くなっているものの
忘れてはならない多くの問題があることを
改めて痛感させられた作品でした。(大川)

この作品はパンフレットには記載されていませんがインゲラ・イルマンらの作品のある部屋にあります。わたしは全く気づかずに通り過ぎてしまっていました。このようにエピソード(インティ・ゲレロのキュレーションよる、横浜美術館所属作品を中心とした展示等)というカテゴリーで、個別にはパンフレットに掲載されていない作品もあるようです。

パク・チャンキョン《遅れてきた菩薩》55分 会場:横浜美術館

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1時間ほどの映像で見るには長いと思った。
最初に途中で抜けるつもりで見だしたのだが、見事な映像と感慨深い進行にどんどんのめり込み、最後まで見てしまった。
あっという間だった。
人間の驕りを深く考えざるを得なかった。
人間はいったい地球上で何をしているんだろう。
なぜ生きなければならないのか。
答えなどないが、
そんなことをぼんやり考えながら
何か自身の心の底の方に光があることを確認した。(上田)

こちらの作品はわたしもおすすめです!子どもたちが遊んでいて明るい空間であるズザ・ゴリンスカ《ランアップ》の奥にずーんと潜んでいます。わたしも1時間の映像なんて見られないと思っていたのに、少しずつ紐解かれていく物語とその深さに時間を忘れて見入っていました。グロテスクなシーンもあるので苦手な方は注意です。

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<ジェンダーに関する作品>

芸術祭に欠くことのできない作品群としてジェンダーに関する展示が挙げられるように思いますが、ヨコトリも例に漏れず、ジェンダーをテーマにした作品が多く見られました。2作品の感想を。

タウス・マハチェヴァ《目標の定量的無制限》 会場:横浜美術館

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写真では伝えられない凄み。声を鑑賞してほしい。

私は立ちすくんでしばらく動けなくなった。
心をえぐる力は絶大で、でもその言葉たちに慣れきっている自分もいて、
つい最近「女性だからあきらめた方がいい」と
面と向かって何度も言われた自分がフラッシュバックして、
その直後に「あなたならできるわ」という励ましの言葉が被さってきて、
孤独に追い込まれていくあの感覚が見事に再現されていた。

見聞きした人の心に直接的に訴える暴力性が
他の鑑賞者にも共感さていると思えることで、
孤独から救う作品だと思った。ある種、参加型かもしれない。(中尾)

こちらも私も気になった作品です。インスタレーション作品で、展示室に入ると声が次々に降りかかってきます。「女子」だからこそかけられてきたさまざまな言葉が記憶の片隅を抉ってきて、「ああわかるな」と悲しくなりました。でも中尾さんの話を聞いて、こういう体験をこの作品を通して共有できるのなら、この作品は救いだと思うことができました。

ジェン・ボー(鄭 波)《シダ性愛Ⅰ》 会場:プロット48

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シダとの性愛…いや、シダ食べたりとかしてるだけでしょ。
(一方的な)性愛=食べること=暴力だなぁ。
でも裏を返せば、人間が動物を可愛がったり、
植物を大事に育てたりする関係も、
愛で正当化するのは奇妙なことのように思えてきます。
植物の方はどう感じているのでしょうか?(小西)

正直に言えば、プロット48の展示は、比較的快活な作品もある横浜美術館と対比すると、性と生の存在感で重苦しい気持ちになりました。ただ、その中で会場2階のほとんどを占めていた、エレナ・ノックスが展開する「えびポルノ」は、その執拗さにクスリと笑ってしまえもしました。

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振り返るとやはりずっしりとした作品が多かったなあと思いましたが、わたしにとって癒しだったのは、チェン・ズ《パラドックスの窓》です。たそがれ時に焦点をあてた窓のイメージは美しく、映り込む他の鑑賞者まで作品の一部のようでした。さまざまな問題も、わたしも、ここにいる誰かも、みんな曖昧になっていくように感じました。

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tuesday的「誰かと見る、新しい形」

tuesdayでヨコトリに行こうという話が出たとき、もちろん私たちはこのご時世で仲良く集団で鑑賞するのは違うのではないかと考えました。

実際、美術館側も入館の際にモニターによる検温のタイミングがあるなど対策を講じています。

そこで、私たちは(ほぼ)同じ時間に入場するも鑑賞はそれぞれで。その日はそのまま流れ解散して、後日感想をシェアするスタイルをとりました。

美術館でメンバーとすれ違いざまに、「あれがよかったよ」なんて話したりしつつ、鑑賞した翌日にzoomで感想をシェア。
見落としていたことに気づいたり、もっと作品を調べるきっかけを得たり。

もちろん一緒に鑑賞する良さもありますが、自分自身の咀嚼が終わってから感想をシェアできることにはまた違った面白さがありましたし、各々が興味をもった作品が分散したからこそこの記事が書けたとも言えます。

こんな鑑賞のスタイルがあってもいいかも、なんて。

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AFTERGLOWとはなんだったのか

ヨコトリ2020のタイトルはAFTERGLOWです。
日本語に訳そうとすれば、残光でしょうか。
美術館を回りながら私は、
日常から覗き得ない世界へ想像力を懸命に巡らせました。
頭がパンクしそうでした。
もっと分かりやすい光はないだろうかと苦しくもなりました。
だけど、そんな中に光を見つけようとするのがアートなのではないか、
という囁きが頭をよぎったのです。
そして、メンバーもそんなことを感じたようです。

今回のヨコトリのタイトルの「AFTERGLOW」に初めはピンとこなかったけれど、見終えてみるとラクス・メディア・コレクティヴのメッセージにある「茂みを歩き回る」という体験はできたのかなと思います。

正解のないドキュメンタリーや、あいまいで多義的な作品は、
見て大きなカタルシスはないけれど、「あれは何だったんだろう」という問いを与えてくれます。
茂みを歩いて抜けると、
草の種がいくつかくっついてきたような感じ。(小西)
鑑賞中何度も落ち込みながら、表現しきれない想いを表現しようとする作品たちに光を感じた。(中尾)

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世界ではいろいろな問題が起きています。
新型コロナウイルスで頭がいっぱいになっている裏側で
たくさんのことが起きている。

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一見、工事中のようにも見える横浜美術館。
通りがかりのカップルは
「今日は工事中か、残念だね」と言って通り過ぎて行きました。

しかし美術館から出た私たちは知っています。
あの灰色の内側に色とりどりの残光が隠されていること。

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世の中には、美しく見えないもの、華がないもの、
よく見えないもの…そういう見過ごしやすいものがたくさんあって、
でもそれを見つめている誰かがいる。
そこにある光の破片を拾う人がいる。

振り返りながら思ったのです。
私たちの日常にもそんな残光が隠されているのかもしれない。
拾うことのできる破片はなんだろう、と。

おわりに

正直、ヨコトリ2020は「楽しい芸術祭!」といった風情ではありません。
しかし、今見ることのできる美術展の中でこれだけ痛いものを突きつけられるものもないでしょう(と思います)。
せっかく3年に一度の機会です。
少しでも気になった方は、訪れてみてはいかがでしょうか。

ここで紹介できなかった作品も含め、ショートムービーを作成中です。
そちらもお楽しみに。

書いた人

宮本ひとみ(tuesday)
大学で美学や文化資源学を学んだ後、流浪中。好きなアーティストは鴻池朋子。元とびラー(6期)。

開催概要

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ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」
会期 2020年7月17日~10月11日
会場 横浜美術館、プロット48
開館時間 10:00~18:00(10月2日、10月3日、10月8日、10月9日、10月10日〜21:00、会期最終日の10月11日〜20:00)
休館日 木(7月23日、8月13日、10月8日を除く)
観覧料 一般 2000円 / 大学生・専門学校生 1200円 / 高校生 800円 / 中学生以下無料 ※日時指定予約制。6月23日よりオンラインでの販売を開始し、会期中は会場窓口でも購入可能。詳細は公式ウェブサイトまで。
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