ちいかわが眺める、奴隷主の夕焼け

少子高齢化や、それに伴う数々の社会問題が提起されて久しい、他の先進諸国と異なり、「移民」を入れない、という道を歩んだ我が国も、別の手段を活用していることは、皆さんご存じであろう。そう、かの悪名高い「外国人研修生」である。

その例を以下に挙げよう、どこをどう取っても、悲惨としか言いようがない事件が発生していた。報じられるところだけでも、人道に反した恐るべき待遇が、にじみ出てくるようである。

トラックの上で作業している時に、日本人従業員2人からほうきや棒のようなもので数十回殴られたり、移動中の車でも暴力・暴言を受けたりしていました。

作業中に安全靴で左胸あたりを蹴られた際には、肋骨3本を骨折。

大きな部品を投げ渡された際は、歯を折り、左唇をケガをして4針縫いました。しかし会社側は当時、労災申請をせず、本人には「自転車で転んで怪我をした」という理由を強要していました。

鋭利な工具で足を突き刺された際には、男性は痛みに耐えられずに病院に行きたいと訴えましたが、会社側は塗り薬を与えただけだったといいます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6d8deef92b30779be78cde83c6909831878b151a

まさに、字義通りの奴隷と言わざるおえない。被害者の彼が、何故ここまで逃げ出すことができなかったのかは、満期労働以外は巨額の債務を負わせられるというシステムから、自明であろう。

この報道の直後、当然ながら、この悪徳業者に対する怒りが沸き起こった。この中傷のターゲットとされた業者は、このベトナム人とは無関係だと弁明している。

現代社会において、人権の尊重は、あらゆる主体に求められるはずであった。そして、その掟を破った者には、厳しい制裁が待っている、はずであったが、どうやら、そそくさと看板を取り替え、社名を変更し、嵐が過ぎ去るのを待っているという。(その実、無関係だと弁明した上記企業も、オフィスを置かせていたところを見ると、全くの無関係では無かったのだろう)

このような悪事を、何故我々は放置しているのか。なんとかできないのか?

そこで、昨今話題の、法を超越した懲罰ゲーム「キャンセルカルチャー」である。理不尽であろうと、なかろうと、このターゲットとなった暁には、あらゆる名誉、業績、地位が剥奪され、跪けば蹴られ、頭に三角の帽子をかぶせられ、死地まで連行されるのみである。

https://www.cnn.co.jp/style/arts/35157588.html
中国の先進的取り組み、世界に先駆けてキャンセルカルチャーを導入した

しかしながら、我が国においては、極めて残念なことに、単にTwitterで暴言をまき散らしていただけの歴史学者や、「人権」という言葉を軽々しく発言したプロゲーマーなどは、あっさりとキャンセルすることができるが、実際に弱者を収奪し、奴隷主としての身分を行使している人間を、キャンセルすることはできない

私たちも含め、こういった「キャンセル可能」な人物と、現代日本における「キャンセル不能」な奴隷主との境はなにか。

答えは、「ちいかわ」である。

https://mobile.twitter.com/anime_chiikawa
ちいかわアニメ公式サイト

ここでの「ちいかわ」は、アニメにもなる、かわいらしい、目がくりっとした、きっとさわればふわふわとしているだろう、小動物のことではない。

地位が低くて代わりが幾らでもいる人、これを「ちいかわ」と呼ぶ。クビにした、ゲーマー氏を雇っていた企業からすれば、プロゲーマーとして売り出す上で、もっと当たり障りの無い人間が他にもいたのであろうし、単なるスポンサー契約に過ぎない。面倒なことに巻き込まれるのであれば、多少スキルは劣後しても別の人に取り替えれば良かったのだろう。

ゲーマー氏より、遙かに名誉を獲得していたかに見える、業績を上げていた歴史学者も、日々縮小するアカデミア世界において、「少しでも奪える椅子」だったのでは無いだろうか。彼は実質的な解雇を言い渡された時には、単なる非正規労働者に過ぎなかったのだ。(正規雇用の内定が出ていたので、その地位を巡って係争中とのことである)

その職位は、他人の評価に依存しているのか?

我々大多数の都市労働者にとって、評価基準は、他人が握っているにすぎない。フリーランスであったなら、なおのことその地位は、都市の基準に依存した関係性に、基づくものであるだろう。

つまり、キャンセル可能なのだ。「こいつと付き合うと、良くないですよ」というなにかしらのレッテル(レイシスト、女性差別主義者、ゼノフォビア等)次第で、他の誰とでも、契約を振り替えることができる。不品行を理由に、画面から削除されていったあまたの芸能人達も、同じカテゴリーに入るだろう。

対して、かつて悪の化身と叩かれた、レタス農家の村はどうであろう。十年近く前の記事で、既に元記事が参照できなくなっているが、長野県の某所で「奴隷たち」には、家畜や農具を置く部屋で、寒い日にはマイナス十度を下回る気温の中、生活をさせ、そしてその労働時間は途方もなく長く、奴隷所有者達は、2500万円近い所得を謳歌していたという。

まことしやかな話として、「出身地別の色の付いた帽子」を被らせ、「同じ出身者が群れない」ように管理していたなど、ローマ帝国の貴族たちを彷彿とさせるマネジメント術が噂されていたが、その真実は時間と共に忘却の中に消えてしまった。

彼らは、キャンセルされたのか?

彼らは、悪の代名詞、ブラック企業の化身として、ミームとして消費された(通称:金持ちレタスの村)。オチの無い寓話の一コマとして語られることは、その村の人々にとって決して名誉なことでは無かったであろうし、語られていた内容も、全てが正しいものでは無かったのだろう。

だが、彼らのレタスは、市場に並び続けた。意識の高い一部の人が、産地を見て買わなかったとして、そのレタスが、どこかのコンビニのサンドイッチの中に移動するに過ぎない。レタスはレタスであり。我々はレタスを消費する。

そう、彼らは、キャンセル不能なのだ。

彼らには、生まれ育った村で生き、その村のしきたりの上に構築した人間関係があり、その生産品は、人間が必ず消費するものである。人によっては、その人間関係が窮屈だと感じるだろう。かつて、そこから出てきた人々で構築された世界が、都市にはあったのだ。人々は、都市に出ることで、村のしきたり、人間関係を脱出し、自らの能力と才覚に基づいた地位を手に入れ、人生を謳歌するはずだった。

しかし、時代は進んだ。我々と違い、今、彼らは、他人にキャンセルされない「フルスペックの人権」という特権を手にした、数少ない幸福な市民と言える。

かつて、都市は「枠からはみ出した」人間を、受け入れなくとも黙認し、活躍に陰口は叩いても消し去りはしなかった、過去のよき時代は、もはやアナクロな白黒写真の中にしか存在しない。私たち都市市民は、「他人をキャンセルする」というエクスカリバーを手にした代わりに、かわいくもない「ちいかわ」に成り果てた。

搾取と収奪が、持続可能な社会について

ベトナム人被害者を、奴隷的に使役していたシックスクリエイト社は、5年ほど前に、登記の変更を行い、違う場所に移っている。

その旧所在地には、GoogleMapを確認する限り、結婚式場が建っているようだ。こちらの広報によると、どうやらその結婚式場も、同一人物が代表取締役を勤めている。

なんということでょう!

無論、登記されている代表者がお飾りで、実質的には全く違う人物が運営していることもあり得る。だが、コンプライアンス意識の高まった現在、銀行と取引があり、こういった業務サポートを受けている企業が、そのような怪しい内部統制の元で、経営されていたとは考えづらい。

そう、奴隷主は持続可能な社会目標(SDGs)を追求していたのだ

考えてみれば、至極自明なことである。あなたが大邸宅に住まう、ローマ帝国の貴族で、大勢の奴隷たちにかしずかれていたとしよう。あなたはその社会の存続を、どこまでも希求するであることは、想像に難くない。

考えてみれば、至極自明なことなのだ。持続可能な社会を、何故日々の生活に困窮する非正規労働者が望まねばならないのか。高らかに胸に輝く、SDGsのバッチは、その人物がそれなりの、キャンセルは可能であるが、高い地位を示しているのだ。名だたる大企業は、当然に社会の存続を願う。大勢の奴隷を従えた帝国の貴族のように。

ユニセフより:https://www.unicef.or.jp/kodomo/sdgs/about/

項目1−4(貧困、飢餓、健康、教育)で見込まれるコストの大きさと、項目5(ジェンダー)の安上がり感、そして、ペットボトルのキャップをとりあえず箱に入れてどこかに渡せば、さらに安上がりに、なんと項目7、13、14、15(グリーン)は達成できる。項目9(技術革新)は企業として当然に取り組むであろうし、項目10番(平等)は、見ないことにしよう。

フルスペックの人権なんて、望むべくもない我々が、キャンセルというエクスカリバーで、手にするその先には、素晴らしい世界が待っているに違いない。

「平和と公正を 全ての人に」

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