見出し画像

すごく電力ギリギリ(SDGs)と、舗装される弱さについて

「みんな頑張って、うまくいったんだから良いじゃないか」

わたしたちは何度その言葉を聞いたであろうか?立派な目標に取り組み、そして何かを成し遂げた。より良いやり方は他にあったかもしれないが、あんなに頑張ったみんなを責めるというのか?

本日、関東一帯を震えさせた、停電の恐怖について

終わってみれば、結局のところ何事も無かったのだ。誰かが暖房のスイッチを消し、一日操業を取りやめ、他の地方から電気を引っ張ってくることで、なんとか停電は回避された。

この遠因となっている、ソーラーパネルの拡大や、止められたままの原子力発電について、もはや言及するものはいない。なんと言っても問題は解決したのだ。

環境を守る綺麗な電気と、「すごく電気ギリギリ」に至るまで

持続可能な発展目標、すなわちSDGs、その言葉を聞かない日は無い。日経新聞を始めとし、大手新聞社から週刊誌、さらには勤務先の社内報にさえ、その文字列は踊っている。

SDGsの目指す、立派な17の目標
https://miraimedia.asahi.com/sdgs-description/

いずれも非の打ち所の無い立派な目標が並んでいる。まかり間違っても「貧困が増えた方が良い」などという人間は余程のひねくれ者であり、これらで掲げられた17の目標そのものは、まっとうな人間であれば、おおよそ反論できないお題目が並んでいる。

正しさが何よりも重視される現代において、わたしたちには、賛同だけでは無く、参加が求められている。誰がどう見ても、ウミガメが喉を詰めそうなビニール袋を海岸でポイ捨てすることは不正義なことであろうし、それらを回収するボランティア活動は立派なものである。

しかしながら、わたしたちは100%善意のみで生きることはできない

ビニール袋はゴミ箱に捨てれば良いが、アフリカの貧しい子供のために給料の過半を寄付することなど、常人にはできないのだ。

ここで、有意義と不毛の境界線について。私の勤務先では、ペットボトルのキャップをSDGsの一環として集めている。しかしながら、この活動の意義については、SDGsの積極的な推進派からも異議が出ていることはご存じだろうか。

民間企業であれば、当然に問われるコスト意識について。慈善事業であるが故にその点の考慮がなされることは少ない。そもそも儲かるのであればどこかの会社がやっているのであって、慈善事業としてNPOなんかがやっている以上、儲かるものではない、と考えられている。

ペットボトルキャップは、単に非効率なだけかもしれない。しかし、善意に満ちた地獄への舗装路は、この分野においても存在する。

鬼怒川があふれた市内の若宮戸地区では、自然の堤防の役割を果たしていた砂丘林を、国が掘削などの際に許可が必要な河川区域に指定しなかったため、民間業者が太陽光発電事業のために掘削して「無堤防」状態になった。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/62608
「国の責任さらに追及」 鬼怒川氾濫 集団提訴から2年 原告団が裁判の現状報告

洪水の原因になったと係争中の、この例だけでなく、野山の大自然が切り開かれた上に、太陽光パネルが設置され、問題となる例には事欠かない。自然を守るために、自然をさらに破壊するという本末転倒は、SDGsという偉大なお題目の前では正当化されるのだ。

このような例は、海外でも事欠かないようで、実態として環境を守ってもいないのに、パフォーマンス的にSDGsを利用する所業を「グリーンウォッシュ」と呼ぶのだという。これを善行パフォーマンスと呼ぼう。

善行パフォーマンスは、日本において深刻な副作用をもたらす

本邦においては、何か高尚な目標を掲げることで、それによって大きな損失に直面したとしても、最終的に帳尻があってしまえば、振り返りというフィードバックを逃れることができる。

これは、激動する現代社会を生き抜く上で、極めて有用な投資といえるであろう。むしろ、金と地位と名誉を兼ね備えた人間であれば、SDGsで善人の側にたつことは、あらゆるフィードバックを回避した無謬の聖人への階段となる。

資本主義社会において、投資を行える人間は、不可避に豊かさを享受することとなる。投資のリターンは人類の歴史上、経済成長率をほぼ常に上回っており、それらが格差を拡大する原因となっている、と大著「21世紀の資本」は説く。

これらの善行資本を集積した人間は、「たかが電気なんて」「命が大切だ」という道徳強者の棍棒を振り回せるようになるのだ。

資本を集積し、豊かになる存在の裏面として、貧しいままに据え置かれ、虐げられる数多くの弱者が存在する。そう、善行貧者、即ち道徳弱者である。

道徳弱者は、日々の生活のことを考えるのがやっとである。工場や倉庫といった勤務先が、太陽光パネルで動いているのか、原発の電力で動いているのか、はたまたさらに貧乏な、技能実習生の人力労働で動いているのか、気にとめる余地はない。

「閃光のハサウェイ」より
隠れた主人公であるタクシーの運転手

ましてや、わずかな賃金で口に流し込む牛丼が、オーガニックかどうかなんて気にもとめることはない。牛丼を流し込み、味噌汁と、景気の良い日には卵をつけて、頬張るのだ。

善行資本家に対して、道徳弱者が勝てる見込みは、現代社会においてほぼ存在しない。かつて労働者は団結することで、資本家に対抗し、賃上げなどの要望を勝ち取ったと言うが、善行資本家に対抗できるような、道徳弱者の集合は、政治的正しさを欠いているため、着目されることは無い

そのような道徳弱者に、救いの神は存在するのか?
神は既に死んだかもしれない

しかし、ストロングゼロはそこにある。(後編へ続く)


この記事が参加している募集

#振り返りnote

85,214件

#SDGsへの向き合い方

14,700件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?