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消えた平和主義者と、歴史戦の常勝将軍

ウクライナを巡る情勢は、刻一刻と緊迫の度合いを増している。国境に並べられた戦車の大軍、次々とキャンセルされるフライト、閉ざされた黒海への出口。バイデン大統領を呼び出そうとする最後の駆け引きも、時間稼ぎと見なされたのか、どうやら成功しなかったようだ。

「ホワイトハウスは、この招待に関するコメントを差し控えた。」

巨大な軍隊が動こうとする時、常に彼らは存在した、ある者は酒を飲み交わせば交渉が続けられるとうたい、ある者はボール紙のプラカードを、テンプレ通りに彩って繁華街を行進した。

SEALDs後藤宏基氏の勇姿
「もし中国や韓国が攻めてくるなら、アジアの玄関口に住む僕が、韓国人や中国人と話して、遊んで、酒を飲み交わし、 もっともっと仲良くなってやります。僕自身が抑止力になってやります」
http://www.asahi.com/special/iraq/TKY200303080238.html
2003年、アメリカのイラク攻撃に反対して

そんな彼らの姿が見えない、暴虐な大国が、戦車やミサイル、大砲を並べ、隣国の人々を服従させようとする、彼らの発言が最も輝くであろう、今この瞬間、彼らは消えてしまった。

彼らは、どこへ消えたのか。その答えの一端がニューヨークで見つかった。彼らは消えてなどいなかった、彼らは何故か、今まさに侵略を始めようとする大国と、不思議なほどに平仄を合わせ、アメリカ軍のポーランド増派に反対していたのだ。

ロシアは、少なくとも部分的には「いわゆる歴史戦」の勝者となっている。NATOの拡大がロシアを追い詰めた、というロシア政府の公式見解を、少なくともこのデモの参加者には信じ込ませることに成功したのだ。

いかなる物事も、決して一面からだけで、全てを理解することはできない。

ここに一枚の絵がある。ある人によってはこれは立方体で、ある人に取っては平面であるという。この角張った攻撃性から、自国民を守るためには、当然に戦車とミサイルと大砲を並べ、確実かつ可能な限りの力を持って、危険を除去しなければならないことはおわかりだろう。

絵のサンプルーWikipediaより

このように、自国にとって有利な情報、立って貰いたい立場を、歴史的側面から強調し、支持者を集めることを歴史戦と呼ぶ。上の絵が、四角で無ければ困る国もあり、その理屈を育み、作りだし、育て上げ、世界に支持者を得るべく放つことは、不可能では無い。

これは、いにしえの時代より続く「戦(いくさ)」の一つである。我が国の置かれた厳しい国際情勢は、この戦いに否応が無く、馳せ参じる必要があるという。

「いくさ」である以上、兵士、それも雑兵から、名馬にまたがる武将、さらにはそれらを取りまとめる将軍の存在を、的確に認識することが、今後を分析する上で不可欠だ。ここで、有象無象の雑兵は、容易に想像できるだろう、ただただ「韓国」「中国」という単語を見つけては、脊髄反射的に何かを罵り始める、今となっては珍しくなった、古典的なネトウヨなどがあげられるだろう。

名馬にまたがる武将は、その武勲故に、物語を紡ぎ出す。その立ち位置に当たる我が国の武将は、ベストセラー作家の百田尚樹氏がその地位にふさわしい。彼の語る、あたらしい史実は、数多くの著書や支持者に裏打ちされ、多大な影響を与えている。

では、最も重要な「将軍」は誰か、いかなる苦境に陥っても、自らの陣営の勝利を片時も疑わず、大勢の雑兵だけでなく、武将達にも尊敬され、そして実際に勝利を築き上げてきた者、そう、田母神俊雄氏ではないか。なんと言っても、彼は正真正銘の、現役時代は無敗を誇った元将軍である。

田母神氏は、その地位を追われた当初から、現在に至るまで、ほぼブレが無く歴史戦の主戦場を戦い抜いてきている。「旧日本軍は悪くなかった」「大東亜戦争はコミンテルンの陰謀」などの説は、後者は別としても、前者においては今や広範囲な市民権を得たと言っても過言では無い。

歴史戦を語る上で、彼の戦績は、登場時には冷ややかに見ていた、平和主義者たちの想定を、遙かに上回っているのでは無いか?少なくともこの戦域において、彼は常勝将軍の名にふさわしい貢献をしている。少なくとも、消えてしまった平和主義者と比べて、日本の公務員組織で高い地位に上り詰めた几帳面さで、連日きっちり140文字程度で投稿される日記には、いかなる揺らぎも存在せず、イイネの山が築かれている。

ー田母神氏のプリンターが壊れた事件、いいね数6681ー2022年2月14日時点ー

緒戦の歴史戦における勝利が、我が国の国際的地位を飛躍的に高めるのか。それはまだ分からない。ただ、現時点において、我が国の隣国にもまた、常勝将軍の名にふさわしい偉大な司令官が、日々歴史戦を戦い、適切な史実の矛と盾を、磨き続けていることは事実である。

同様に、プーチン氏の率いるロシア軍が、ウクライナを首尾良く支配下に収めるのか、はたまた、ウクライナ人が、膨大な悲劇的犠牲の果てに、新しい歴史的神話を勝ち取るのか、それは分からない。

実際の歴史は、そのどちらをも敗北者にすることはありえるが、両者を勝者とすることはない。積み上げられた死体の上に築かれる歴史の玉座に、立つことが出来るのは、最大で片方である。本物の史実は、どこまでも冷たい現実を突きつける。


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