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写真の話ではなく、カメラの話をしよう[Nikon編]

皆さんは、写真をどのように撮影されているだろうか?携帯にカメラが付いている、などというのは野暮である。家電量販店を眺めていただきたい。未だに、巨大な物体が、ご立派な値札を付けられ鎮座しているのだ。そう、この金額を出す人間がいると言うことは、その御利益があるからだ。

カメラだけで車が何台も買えるではないか?と思われた方に、この記事ではもう少しリーズナブルなカメラを紹介したい。軽量で小さければ良い?携帯のヵメラをどうぞ。回らない寿司屋の鮨と、スーパーの惣菜売り場に並ぶ寿司を比べても仕方があるまい。

カメラのクオリティ=これ見よがしの威圧感xレンズのラインナップx撮った写真の自己満足度

こちらをご覧に入れたい。

桜吹雪の中、目黒川で立てる場所を巡って争う鳥
作者撮影

利用した機材の写真。ハンディカムやコンデジより若干大きめであることは理解できるだろう。

Nikon D5 と単焦点レンズ

カメラ本体は小さく、性能の良いモノも存在するが、レンズにおいては「利用されたガラスの質量」と「商品価格」と「得られる画質」はおおむね比例するといって良い。

つまり、大きければ大きいほど良いと言うことである。

Nikonであるならば、まずFXとDXというタグを見よう、前者は本物であり、後者はまがい物である。購入するからには本物に金を出そう。FXの中でも単焦点とズームレンズ、という種類があるが、こちらも単焦点が本物であり、ズームレンズはまがい物である。単焦点の純正レンズを並べること、それこそが写真を撮る目的だ

三次元ハイハイと、振興するZの軍勢

この重厚感に満ち満ちたニコンのカメラであるが、どうやらZシリーズなるものが発生している。これは、この重厚感をウリにしていたこのブランドへの反逆であり、そのレンズの性能の良さを見るたびに歯ぎしりをするほかない。つまり、Zは侵略の旗印であり、撃滅されねばならない。

「新しいファシズム、Z、新しいカギ十字」オデッサ市の写真
https://twitter.com/CanadasPMPET/status/1505702888483528709?s=20&t=9s7DBij8qtQcLXcqxxg6rg

考慮しなくても良いこと

カメラの性能比較として、画素数を挙げる向きはなぜか多い。そもそもモニターが4k=約800万画素なので、拡大や切り取りを利用しない人は、画素数にこだわる意味は無い。最高級品のNikon D6が2000万画素であることからも、このことは自明であろう。

ポータビリティーも、同様に考慮不要である。そもそも携帯のカメラ以上の何かを取りたいからカメラを持ち出すのであって、その決心は揺るぎない大きさであるべきだ。つまり、大きなカメラにずっしりとした三脚が望ましい。

レンズマウントの将来性も、また考慮することは愚かなことだ。わたしたちは今を生きているのであって、過去や未来を生きているのでは無い。撮影するべきは「いま、ここ」の現実であって、未来を思い描くのはSF小説を読むときと、株を買うときだけで良いだろう。

コレクション紹介

全てずっしりとした単焦点レンズであり、本物の重みを感じさせる
作者の機材コレクション(Nikon)

AF-S NIKKOR 24mm f/1.4G ED

 言わずとしれた広角レンズ、標準ズームレンズという邪道の手前の画角に相当する。

PC-E Micro NIKKOR 45mm f/2.8D ED

 ミニチュア的な不自然なボケを生み出すことができる、至高のレンズ。プライバシーに厳しい当世で、どうやっても人の顔が入るときに大活躍する逸品。ただし、オートフォーカスは存在しない点に留意。

AF-S NIKKOR 58mm f/1.4G

三次元ハイハイを導入した、標準レンズ。58mmという微妙な画角はニコンの伝統とされている。

AF-S NIKKOR 105mm f/1.4E ED

三次元ハイハイの決定版、大きさ、威圧感、画質のいずれも至高のレンズ。

AF-S NIKKOR 400mm F2.8 G ED VR

 旧型のヨンニッパレンズ。大きさ信者の必需品。これをぶら下げているとまるで鳥博士がやってきたような眼差しに包まれる。

ここまで重いレンズであれば、あらゆる景色が絵となる
上記ヨンニッパで撮影

ご覧いただけただろうか。写真を撮る目的、それは機材を買いそろえることにある。新しい機材は常に「最後の機材ファイナルレンズ」であり、これさえ手に入れればあらゆる問題は解決するかに見える。しかしながら、切磋琢磨という言葉があるとおり、一段階段を上れば、次の課題、即ち、次に手に入れなければならないレンズとカメラが明確となっていくのだ。

理解しがたいかもしれないが、高校の授業で習ったであろう、数学の教科書を思い出していただきたい、ファイナルレンズは常にN本目であり、それ故にN+1本目が存在することは、もはや定理といっても過言では無い。

沼は、どこまでも深い。もし、少しでもこの話を読んで興味を持っていただけたのなら、是非この沼をのぞき込んでいただきたい。

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ

「善悪の彼岸」
フレードリヒ・ニーチェ

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