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サヨナラは通過点

本日、綴音夜月は中学校を卒業しました。
『三年で人は変わる』
その言葉を実感する三年間でした。

私の青春はコロナ全盛期に幕を開けました。
『転校生』として入学した学校に正直期待はしていなかった
というか、できていませんでした。
生徒数も多くないので、その集団の中に入ることが怖かったんです。

ただそんな不信感を解いてしまうほどに、
私の辿り着いた場所はあたたかい場所でした。

ここ以外、というか今日以外話す予定もないので
今日は少し私の持病の話をしましょう。

中学三年生の秋、『複雑性PTSD』の診断を受けました。
以前は、鬱や躁鬱など不確定な診断が重なったのですが、
深追いし、現在の診断としてこの病名が診断されました。

簡単に説明すると
『幼少期のトラウマ』が主な原因で起こる精神疾患。
私自身、自分に病名がつくことを過度に恐れていたから、
診断書を見た時は正直逃げたくなりました。認めたくなかったんです。

ただ、『認めたくない』反面『認めざるを得ない』
身体の状況になっていきました。
ご飯は食べれないか、一度食べても戻してしまう。
頭痛と眩暈が毎日治らない。
睡眠薬を飲んでも眠れなくて泣くだけの夜。
不定期に聴こえてくる幻聴。
一日に三回以上起こる過呼吸。

『身体の症状だけなら風邪と一緒だから』と
誤魔化していたはずが思うようにいかず、
笑っていることだけが取り柄だったのにそれさえも難しくなりました。
自分ではうまく笑えてるつもりだったんですけど、周りのお友達から
『綴音最近元気なくない?大丈夫?』
って頻繁に言われるようになって、そこで初めて気づいたんです。

『自分が自分じゃない感じ』
何を感じているのか本当にわからなくなっていました。
そんな感覚に嫌気がさしすぎて願いたくもない願いばかり
ずっと抱えたままの自分がいました。

その頃から無条件に多方面のことを拒絶していました。
誰かに認めてもらいたくて、でも素直に慣れなくて
それの表し方が拒絶でしかなかった自分を今はすごく幼く思います。

そんな不安定な私自身のことをずっと見捨てずに見守ってくださった人
唯一なんでも話せる存在でいてくれた担任の先生
『親友』なんて言葉じゃ足りないほどに大切な存在
私に心から『愛してる』と言ってくれる人
気づけば隣にいてくれたあの子

自ら狭めていた視野は周囲の方によって広げられました。
逃げ癖が少しずつ矯正されました。
感情を表に出せるようになりました。
よく笑い、よく泣き、よく笑いながら泣きます。

卒業式後、母が言いました。
『小さい時の綴音に戻ってきた』
担任の先生は手紙にこう綴りました。
『最後まで、自分の決めたことはやり通す、好きなことに夢中になれる、責任感が強い、本当は甘えん坊でさみしん坊』
後輩からはこう書かれた手紙をいただきました
『誰よりも周りを見て動いている、ふわふわしているようで誰よりも芯のある強さを持つ人』
ずっと拒絶していたきっとすきだと言いたかった先生から
『人を支える人になりなさい。巡り巡って行くからね』

まさかこの言葉を言える日が来るとは思っていなかったけど
『生きていてよかった』
と心底思いました。
そして、今隣にいる人への手紙にこう綴りました。
『一緒に生きること』
これが私からの最後の約束だと。

綴音は思っていた以上に
たくさんの人の愛を受けて今日まで生きてきたことを
改めて気づいた日でした。

『サヨナラは通過点』
自分がこれからしていかなければいけないことを
示され日が今日でした。

誰に感謝して生きていくのか
誰を幸せにして生きていくのか
どこに向かって生きていくのか

綴音自身はどう在りたいか。
きっと生きる選択肢しか許されていないほど
愛をもらっていて、返しきれていない。
今まで話したことを全て覚えてはいないけれど
伝えきれていない『ありがとう』と『ごめんね』が
多すぎることは確かなことです。

これから逢う知らない人がきっと
いつか『隣にいてほしい』と思える人になることを願っています。

過去の自分のような人を救えるように
綴音は活動を続けていきます。

大切を大切として守っていけるように
綴音自身はまだまだ強くなります。

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