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弥生が散った、卯月が咲いた。

三月もお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
こんばんは綴音 夜月です。

三月は皆さんにとってどのような月でしたか?
私の周りには新しい世界に踏み込んだ人が多くいたような気がします。

期待と憂鬱を心地よく兼ね備えた季節を『春』と呼ぶのだと思います。

三月は綴音自身、思うように活動できない時間でした。


これは二月の最終日、三月に向けて書き出した目標です。
この書きだしをみては劣等感に襲われる日も多くあったのですが、
すこし時間を空けた後に見ると、どこに向かっているかわからない
『希望』
が見えてくるのは、きっとこの活動が好きだからだと思います。

『この活動は感謝と目標を見失ったら終わる』
と以前どこかで呟いた気がするのですが、今もその意識は変わっていません。
早速この後、四月の目標を書き出したいと思います。

話は変わりますが、私がこの活動を始めた理由
『誰かを救いたい』
漠然とした理由なんですけど本心なんです。
『救う』
というのは不可能なことだと最近まで思っていました。
ただそんなことはなくて、きっとその時気づいていないだけなんです。

一緒に食事をした、相手との会話に救われた。
音楽を聴きながら眠った、その曲に救われた。
恩師の言葉で決断できた、恩師との優しい記憶に救われた。
他愛ない会話が生を引き留めた、誰かの退屈に救われた。

形がないから気づかないだけで、
みんな誰かの救いの中で息をしているのかもしれないと。
都合のいい解釈かもしれませんが、私はそう考えてしまいます。

ここからお話しすることはただの私の考えです。
『救われる』その瞬間を待つときは大概訪れないです。
正確に言うなら、気づかないんです。
自分の苦境に目の前が暗くなって、小さすぎる光に気づく隙すら奪われるから。
全方位敵に見えるんです。
でもその絶望からすこし抜けるとその救いのきっかけに気づくんです。
考える余裕ができるからです。

『救い』には形があると思います。
暗闇を共に過ごす、独りにさせない『救い』
一緒に武器を持つ、戦う強さを与える『救い』
笑い合う、幸せを増殖させる『救い』
認識していないだけで、まだまだあるでしょう。
きっとどの救いも大切で一つでも欠けてはいけない感覚なんです。
その感覚を無意識のうちに享受し、放出しているのだと思います。

少なくとも今私自身が消えたさを抑えながらも
ここで息をしているのは、誰かがその感覚をくれたからだと思っています。

過去の話になりますが、
三年前、家庭環境が壊滅的だった頃に一時的に両耳が聞こえなくなりました。
その時に救われたのが『言葉』だったんです。
顔も知らない誰かが紡いだ言葉に生かされたんです。
直接恩返しはできないけれど、誰かにとっての
当時の私を生かした存在になりたい。
今はそう思って活動しています。

話は戻って、三月。
正直、思うように活動ができませんでした。散ってしまいました。
だから四月は咲きたい。
「目標がなくなったら」と言いましたが、あるだけの目標に意味はないです。
難しいことを語る前にとにかく走り続けようと思います。

長くなりましたが読んでくださりありがとうございます。
三月本当にありがとうございました
四月もよろしくお願いします。

そして新しい世界へ踏み込む皆様、
不安なことも多いと思いますが、きっと素敵な何かが待っています。
踏み込む権利を受けた皆様なら大丈夫です。
春は期待と憂鬱を心地よく兼ね備えた季節。
皆様に素敵な春が訪れますように。

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