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消えるにはまだはやい気がした

こうしてしっかり文章として自分自身のことをお話しするのは
久しぶりな気がしています。
こんばんは、綴音 夜月です。

三月も本当にあと少しで終わるなと思う度に、
春の空気への多幸感と変化への憂鬱で息が詰まります。
『桜は飽きられる前に散って恋しく想われるから美しい』
とどこかで読んだことがあるのですが、
飽きられる前に去って、延命を望まれる存在って本当に一握りというか
選ばれし存在だなと、自分と対比してその存在に圧倒されます。

人も自然もそうですが、
散った瞬間に評価されるあの現象なんなんでようね。
散り際に値がつくというか、
きっともっと生きている間にかけてあげられた言葉あったんだろうな
ってその言葉たちを見聞きする度に考えます。

私自身はきっと生死問わず何もないんだろうなと
最近はそんなわかりきったことに落胆しています。

振り返りも含め近況報告を少しだけしたいと思います。
綴音自身、今現在かなり限界を生きているなと日々強く感じます。
以前持病の話を少しだけしたんですけどそれ以外にも諸々ありまして、
病院に行けば当てはまるものに名前がつくだけなので、
その形式に自分自身、あまり信頼を置いていないです。
正確に言うのなら
『信じたくない』
が本音です。信じたくなければ、認めたくないんです。
ただ、通院するたびに病名と薬は増えていくわけで、
もちろん、とても親切な先生なので治療上のことだと理解はしています。
ただ、その現状を目の当たりにすると不意に正解もわからない
『普通』
が恋しくなるんです。

二月、思い描く『普通』をなぞろうとしたんです。
朝に起きて、明るく振る舞って、とにかく笑って、
真っ当に普通に何も壁なんてないようにしようと。
自分の中の息が詰まる感覚は全部無視しました。
止まってしまうからです。
その反動が今月襲ってきました。
全てに気力が湧かなくて、
不眠と過眠を繰り返して、
原因不明の体調不良が続いて、
周りの人に迷惑を心配という形の迷惑をかけて、
何を思っているかわからなくなって、
その変化を認識した時
うまく笑えなくなりなりました。

『生きるの向いてない』って本気で思いました。

だから、改めて綴音に縋ったんです。
もうきっとここしかないから。
『救いたい』
本当に救われたいのは自分だったのかもしれないです。
こんなこと言ったら余計消えたくなっちゃうけど。
『救いたい』
と同時に
『救われたい』
今はそんな我儘の狭間にいます。

だから絶対に
『綴音夜月にしか描けない作品を描きたい』
限界の中で唯一わかった答えです。

今は長編に向き合ってます。
体調面のこともあり、作業に支障をきたすことも少なくありません。
でも今は足掻けるだけ足掻こうと。

まだ消えるにははやいのかもしれない
その想いが消えるまで
綴音は活動を続けたいと思います。

深夜にこんなまとまりのない話をすみません。
読んでくださった方ありがとうございます。
これからも綴音をよろしくお願いします。

感謝は絶対形にして返したいです。

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