推しがいると、内向型人間が外向型人間になる瞬間がある

私は内向的な人間だと思う。

思うっていうか完全にそう。

人と一緒にいるより一人でいることを好むし、自分の内側を探るのが好きだ。

自分の思ったことを形にして世に出すことも好きだし、人より自分に興味がある。

特に仲良くない人と一緒にいるくらいなら、一人でノートに向かっていろいろ考えていた方が楽しいタイプだ。

(ちなみに内向的で人にあまり興味がないくせに、さみしがりやという変な性格で困る)

内向的だからかわからないが、自意識も過剰である。

自分のことばかり考えているからか、人が気にしていないようなことでも(今こう思われたかな!?)みたいなことをよく考えてしまう。

内向的+自意識過剰+他人軸みたいな状態なのかもしれない。


そんな私が、めちゃめちゃ軽く生きられる時が存在する。

それが、推しがいる時である。

推しがいる時は、とにかく意識が推しに集中している。

推しのことしか考えていないから、推しがいないときに考えてしまうようなことを考えなくなる。


例えば、推しが赤いシャツが好きだったとする。

普段私は、赤いシャツなんて着ない。というか着れない。

周りにどう思われるかな、変じゃないかな、と自意識が邪魔をする。

しかし、推しがいると赤いシャツをいともたやすく着ることができる。

なぜなら、推しとおそろいのものを身にまといたいという気持ちしかそこには存在せず、自分に意識が向いていないのだ。


また例えば、推しがアイドルだったとする。

推しのダンスする姿がかっこいい!私もそうなりたい!と思ったら、私はダンスレッスンへ行く。

推しがいなかったら、ダンスがやりたくても行かない。

ああ、私だけ下手だ、恥ずかしい、と絶対思って、なんなら他の人に笑われているような気がして身がすくんでしまうのが目に見えているからだ。

しかし、推しのようにダンスが踊りたい、その気持ちの時は、ただ推しのようにダンスが踊りたいと思って踊るんだと思う。下手とかそういうの、あまり気にならない。下手という現実を突き付けられたとしても、じゃあどうしたら推しみたいになれますか!?と食らいついていける気がするのだ。


そんなわけで、推しがいると意識が外に向くようになる。

正確には多分、外交的ではなくまた別の種の内向的の形なのだとは思う。なんだかんだ「自分」に向いているし…

でもその時、完全な自分への矢印だったものが外へ向くのは事実である。


推しがいると気分爽快。

いつでも推しのことを考えているからご機嫌だし、嫌な現実をさらっとスルー出来たりする。

新しいことにも挑戦できたりする。

自分のために生きていない感覚がある、というと言い過ぎかもしれないが、そのくらい「推し」を目指して生きていて、自分に変に意識が当たっていない。

この状態になると無敵で、私としては「推しがいる時は人生のボーナスタイム」と勝手に呼んでいる。


ある意味恋に近いのかもしれない。

君が僕の世界に現れてから、世界が急に輝きだした、(何気ないことでも君に伝えたい楽しい出来事のようになった)みたいなやつだ。


常にこの状態を保っていられたら、多分私はすごく楽しい人間になれるのだが。

現実は難しく、数か月でまた矢印は自分に戻ってきてしまうのだ。


矢印を外側と内側、うまく両立できるようになりたいものである。

放っておくとどんどん内に内にと入ってしまうから、意識して外に向ける術を手に入れたい。


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